すごいすと取材記

シンガーソングライター、防災士石田裕之 さん(39) 兵庫県神戸市

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神戸から全国へ、歌で「元気」を届けたい

 

「歌手になりたい。」
石田さんがそう思ったのは中学3年生の頃。倉庫で見つけた父親のギターを独学で弾き始め、高校、大学とバンド活動にのめりこんだ。大学卒業を控え、本格的にミュージシャンを目指すと決めた時、周りのメンバーたちは次々に音楽を離れて一般企業へ就職。石田さんは一人きりになった。
「自分は何ができるんだろう、自分って何だろうと、アイデンティティを問い直すことになりました。」
阪神・淡路大震災で多くの犠牲者が出た神戸の市民でありながら、大きな被害もなかった自分がどこか後ろめたく、震災を語ることへの戸惑いを感じていた中学生当時。被災者たちの困難を傍観するしかないもどかしさに苦しんでいた時、ボランティア活動を通してまちへの愛着が自分の中からあぶり出され、助け合いの気持ちがあれば社会との接点を持てる喜びを知ったという石田さん。
「そんな自分だからこそ地域に根差し、音楽を通じて全国へ元気を発信したい。そう思ったことが、この世界に入ろうとしたきっかけだったと思い出したんです。」
大学卒業から半年後、デビュー曲を神戸ルミナリエの応援歌に決めた。被災者への鎮魂と癒しに共鳴し、収益金を寄付する活動からスタートしようと思ったのだ。その時の石田さんは、まだ社会活動をテーマにするつもりはなかったという。しかしこのデビュー曲が、社会派アーティストとしてのその後の生き方を決める入口になった。

 

全国の被災地を積極的に訪問。「被災地同士が経験を共有し合い、防災への意識や備えをアップデートするための、地域の懸け橋になりたい」と石田さん。写真は、北海道胆振東部地震の被災地のひとつ真備町でのライブの様子。

全国の被災地を積極的に訪問。「被災地同士が経験を共有し合い、防災への意識や備えをアップデートするための、地域の懸け橋になりたい」と石田さん。写真は、北海道胆振東部地震の被災地のひとつ厚真町でのライブの様子。

 

講演活動では、子ども向け防災ソング「ぼうさいジャンケンポン」を参加者と一緒に歌いながら、避難の心がけや日頃の心構えを説く。防災士としての顔がのぞく活動だ。

講演活動では、子ども向け防災ソング「ぼうさいジャンケンポン」を参加者と一緒に歌いながら、避難の心がけや日頃の心構えを説く。防災士としての顔がのぞく活動だ。

 

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