すごいすと取材記

くもべまちづくり協議会梶谷郁雄 さん(69) 兵庫県

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私の生きる道

閉校をきっかけに、地域経営とも言うべき大きな課題に向き合った梶谷さん。頑張り続けるエネルギーは、どこから生まれたのだろう?
「この事業に取り組まないという選択肢は、ありませんでした。当時(昭和34年)の新校舎は、旧多紀郡内で初めての鉄筋コンクリート造りだと聞いています。6年生の時、自分たちの手でコンクリートを練りを体験し、一輪車で運んで手伝いました。自分たちで造った校舎だという想いが強いんです。だから、学校は絶対につぶさないという気持ちでした。」
さらに背中を押したのが「若い人が事業をやってくれたら、年寄りも集まれるなぁ。」という高齢者の声だったという。
「『廃校』という言葉は使わないでくれと市当局にお願いしました。二度と立ち上がれない気がしたので。『閉校』だったら、また開ける可能性もありますから。」
カフェのオープンから間もなく、高校を中退し居場所を探していた男の子がカフェで働くことになった。同僚になるのは、元幼稚園の先生や地域のお母さんたち。わが子のように彼を励まし、時には叱り、支え続けたという。そして一年後。茶色い髪を黒髪に戻し、彼は農業がしたいと大型農家に就職していった。学校とは閉じてなお、人を育てる場であり得る。梶谷さんの笑顔が印象深いエピソードだ。

兵庫県立大学環境人間学部の学生の方々と共に梶谷さんの畑でフィールドワークを行い、獣害や転作、水利などの学習や農地に関するワークショップを実施。県下でも耕作放棄地が少ない地域である篠山。後継者の育成は勿論、学生との交流やワークショップ等で新しい意見を取り入れている。

カラカラカラ……。窓の外から音が聞こえる。視線を向けたその先には、エプロン姿の女性が校旗を揚げていた。
「カフェのオープン時間に合わせて掲揚しています。」
例え閉じられても、小学校は地域の心のよりどころ。風に舞い踊る校旗が、雲部のみんなを見守り励ましているかのようだった。

(公開日:H28.11.25)

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