すごいすと取材記

復興支援ネットワーク淡路島 世話人代表木村幸一 さん(65) 兵庫県

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故郷は、たった一度の人生を送る場所

大阪で生まれた木村さんは、家庭の事情で小学校の6年間を但馬の和田山町竹田(現朝来市)で過ごし、中学校から大阪へ戻った。カメラマンだった父親の影響もあり、写真を撮ることが好きだった木村さんは、高校卒業後、写真専門学校に入学。技術を習得した頃、ちょうど大阪万博が開催されていたことから、会場での記念撮影のカメラマンとしてプロの道を歩み始めた。昭和50年、淡路島の記録映画を撮影していた父が体調を崩したため、その仕事を引き継ぐことになる。大阪から淡路に移り住んで、東浦町で写真店を開業した。

淡路シネフォト

車体の文字は、前を走る車のバックミラーから「淡路シネフォト」と読める。
木村さんの経営する「淡路シネフォト」前(淡路市久留麻)

淡路に移り住んだ木村さんが、地域のことに関心を持ったきっかけは、大阪から遊びに来た友人を東浦のサンビーチに案内した時に「きたないなあ」と言われた一言からだった。悔しい思いを抱き、東浦の海岸をきれいにしようと掃除を始めた。掃除をしていた時に、手に負えない程の流木が流れ着き、役場に勤めていた友人に相談し、仲間を集めてもらった。作業の後、話をするうちに、ボランティアグループ「青年さきもり会」が誕生する。行政や団体に寄りかかって活動するのではなく、会費を集め、掃除道具を揃えて行動する自立した会にした。カーブミラーの清掃や献血の推進運動など、様々な活動を重ねるうちに、交通が不便で住みにくいと言われていた淡路に対する意識が変わる。淡路の良さを認識し、地域に役立つことをしたいと考えるようになった。

その後、淡路の特産品をPRするための「ミス・カーネーション事業」や「日本吹き戻し保存協会」などで活動の輪を広げて行く。今では、一般社団法人淡路島観光協会の副会長など、数々の地域団体やグループの役職を務め、淡路の魅力を全国に発信しようと駆け回っている木村さん。故郷とは、生まれたところではなく、育ったところでもないという。「故郷は、たった一度の人生を送るところです」

くにうみの祭典(昭和60年)の頃作った名刺(奥)と日時計にもなる考案の名刺

くにうみの祭典(昭和60年)の頃、明石海峡大橋の早期実現を願って作った名刺(奥)と、花と魚と夢のある町・子午線の通るまちをアピールする日時計にもなる考案の名刺

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