すごいすと取材記

青山1000人会岸岡孝昭 さん(71) 兵庫県

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訪問が受け入れられるまで

グループが発足してすぐに個別訪問が受け入れられたわけではなかった。当時、ボランティアという言葉は世間で認知されておらず、「『ボランティア?押し売りですか』と怪しんで、扉さえも開けてくれない人もいました」と、岸岡さんは語る。多くは、神戸の避難所が閉鎖され、行き場を失った高齢者で、遠方に住まうことになったため、地元である被災地の情報も届かず、サポートも希薄になっていて、孤独で不安な状態だった。

青山県民交流広場で開催する「ふれあいサロン」100回記念

岸岡さんは、家族からのアドバイスで、声かけの代わりに絵手紙の投函を行い、少しずつ本音が聞ける関係になってきたと思った矢先、訪問を拒んでいた新白浜仮設に住む女性が亡くなった。死後3週間も経つのに、気付けなかった。「二人目は出さない」を合言葉に、99年8月に最後の一人が神戸に戻るまで活動は続いた。

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