すごいすと取材記

大藤山ボランティアグループ会長三村桂 さん(70) 兵庫県

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語り継がれる伝承を追って

このように地域住民が地域のために活躍する「大藤山ボランティアグループ」。その中でも、三村さんが特に力を入れてきたのは、平成17年にスタートした大藤山に伝わる伝承を元にした登山道づくりだ。

 

グループの名前にも掲げられている大藤山は、永室地域の北に位置する標高250mの山。ふもとの長楽寺は、古くから地域の人たちに「谷の地蔵さん」と呼ばれ、親しまれてきた。

永室には、この大藤山や長楽寺をめぐっては、戦国時代に端を発する言い伝えが残っている。

それが「蛇ヶ池の鐘」と呼ばれる民話だ。

三村さんらはこの民話をもとに地域の名所づくりをしようと考えたのだ。

 

天正6年(1578年)、羽柴秀吉らがこの地にある神吉城を攻め落とそうとしたときのこと。一本の矢が秀吉の軍勢に打ち込まれた。矢にあった銘から、長楽寺から放たれたものだと知った秀吉勢は、寺と大藤山を火攻めにする。その時火の手から守ろうと、住職によって長楽寺の本尊と釣り鐘は運び出された。鐘は池に沈められ、本尊は住職とともにいずれとなく姿を消した。

それから長い年月を経た今なお、池に沈んだ鐘はそのままで、池の主である大蛇によって守られている。もしもその鐘を誰かが引き上げようとすると、大蛇の怒りを買い、村に大雨を降らせるという。

 

三村さんを始め、永室に生まれ育った70歳位より上の世代は、みんなこの伝説を聞いて育った。

実際、住職とともに消えたとされる本尊「木造延命子安地蔵菩薩半跏像」は、後年発見され、再興された長楽寺に安置された。今では国の重要文化財として指定を受けている。

 

9年前、地域の名所を作ろうとグループで思案した時に、全員が思い当たったのがこの伝説だった。燃やされたと伝わる旧長楽寺の跡地と、蛇ヶ池―― 子どもの頃から話に聞くだけだったものが、ひょっとしたら今も実在しているのではないか。

三村さんたちは伝説の痕跡を求めて、大藤山の探索に着手することにした。

 

足を踏み入れる人もいなくなっていたため、道らしき道もない。草木に覆われた斜面をひたすら進んだ。

「山の名前の通り、藤づるが縦横無尽にのびていたので、苦労しました」と三村さんは振り返る。

しかし、その苦労の甲斐もなく、山頂付近には、旧長楽寺跡らしきものは見つからなかった。

落胆するグループのメンバー。ただ予期せぬ物が見つかった。背丈ほどもある笹をかきわけた先の大きな岩の前に、高さ110センチほどのひとつの石仏が発見されたのだ。

大藤山を登るメンバー

大藤山を探索するメンバーたち。

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