すごいすと取材記

認定NPO法人コミュニティ・サポートセンター神戸 理事長中村順子 さん(68) 兵庫県

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転職、結婚、出産後に見いだした天職

団塊世代の中村さんが、短大を卒業して商社に就職したころは「女性は結婚するまでの腰かけのように見られていた」という。もっとやりがいのある仕事がしたいと、23歳で広告代理店に転職。営業部に属し、自ら訪問取材してコピーを作り、労働組合活動にも参加した。

「自分とは正反対の、きめ細かく穏やかな人」という保佑(ほゆう)さんと25歳で職場結婚し、1年後に長男、その4年後に長女が誕生した。別々の保育所に預けていた子どもの送り迎えなど育児と家事に追われながら仕事を続けていたが、両立が難しくなる。中村さんは退職する決意をし、大阪の団地から東灘区の一軒家に引っ越した。34歳のころだ。

専業主婦となった中村さんは、1カ月で、身体の中で湧きあがるものを抑えられなくなった。市の広報で「神戸ライフ・ケアー協会」を知り、ボランティアも福祉も初めての世界だったが飛び込んだ。「夫の給料を持ち出さずに自立して活動できる」仕組みだったからだ。介護保険制度がなかった当時、依頼者が遠慮しないようにと、掃除や洗濯などの生活支援を1時間600円で協会が請け負い、従事者がその一部を受け取るという有償ボランティアだった。

中村さんは高齢者や障がいのある人たちの家を訪ね「全部してあげる」のでなく、依頼者ができるふき掃除など簡易な作業は任せるようにした。高齢者夫婦宅では、リウマチで手を動かしにくい女性が、一緒に調理することを楽しみに待っていてくれた。「自分のできること」を必死でする依頼者も、その姿を見守る中村さんも、お互いに元気になっていった。

経験を積み重ねコーディネーターとしても活躍するようになり、非営利組織運営の基本を学びながら13年が経とうとしていた。

平成7年1月22日、神戸市東灘区の自衛隊による臨時給水所。

平成7年1月22日、神戸市東灘区の自衛隊による臨時給水所。

平成7年1月17日午前5時46分に発生した阪神・淡路大震災。前夜に旅行先から帰ってきたばかりの中村さんは「ヘリコプターが落ちてきた」と思った。7時ごろ、東京で単身赴任中の夫からの連絡に「とにかく帰ってきて」と告げたきり、電話はつながらなくなった。

自宅は壁にひびが入った程度で近所にも大きな被害はなかったが、中村さんの胸は不安でいっぱいになった。

「ライフ・ケアーのクライアントは高齢者や障がいのある人たちばかりや」

すぐに大学生の長男を走らせ、午後には中村さんも訪ねて回った。まちは助けを求める人であふれていた。

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