すごいすと取材記

合唱指導者鈴木史朗 さん(85) 兵庫県

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家庭、学校、社会をハーモニーで結ぶ

 音楽教諭の免許はなかったが、太子町の石海中学校に赴任し、数学も教えながら免許取得に励んだ。寝台車で12時間かけて東京の音大まで何十回も往復、通信教育も受けながら約5年で免許を手に入れた。「結婚したばかりの妻にもずいぶん助けられた」という。

 その後、相生市内の中学校に赴任。いずれの学校でも音楽と数学の二足のわらじに加え、合唱部・吹奏楽部の指導と野球部の監督も務めた。なかには暴力で新聞を賑わした学校もあったが、「やんちゃな生徒を野球部に誘い、しばらくして合唱コンクールに出場させた」という。暑い中で野球の練習をしても平気な生徒が、コンクールの舞台で貧血になったことがある。

 「それほど緊張するということを知りましたなあ」と鈴木さん。幼いころ、造船の町で本物の音楽に触れた自身の経験から、あえて生徒を大舞台に連れて行き、他校の優れた合唱を聴く機会を大切にしたと語る。校内音楽会では生徒・職員・PTAの発表の後、プロやセミプロの音楽を聴く構成にした。

「新相生ペーロン音頭」の歌碑

長崎出身の造船所従業員によって大正11年に始まったペーロン競漕。
祭の観覧席にもなるポート公園には鈴木さんが作曲した「新相生ペーロン音頭」の歌碑がある。

 また、市立3中学校合同のブラスバンドを結成して、ペーロン祭などの行事に参加。さらに児童合唱団、PTAや市立幼稚園職員によるコーラスグループなどの創成に関わり、指導した数は両手に余る。革新的な行動に対して時には批判も受けたが「工大出身の音楽教師」という経歴をポジティブにとらえて型にはめずにまい進し、頼まれるままに地域の音頭や県内外の校歌、園歌などの作曲も手掛けてきた。多忙な中で120曲も作曲してきたのは、「市民や生徒たちが喜んで楽しそうに歌う姿に感激したから」。中でも「新相生ペーロン音頭」は、長年市民に親しまれ、相生を代表する曲になっている。

 鈴木さんは、学校を核に、家庭、社会へ「ハーモニーの和を広げる」信念と願いを貫いて、教職員生活を全うした。

あおば幼稚園の夏祭りでシデ棒を手に新相生ペーロン音頭を踊る園児たち

あおば幼稚園の夏祭りでシデ棒を手に新相生ペーロン音頭を踊る園児たち。
市内では盆踊りなど行事があるごとに歌い踊られる。

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