すごいすと取材記

播磨マリンクルー代表吉政静夫 さん(79) 兵庫県

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消えた海岸線

播磨マリンクルーの中心メンバーは高齢者が主で、また生粋の高砂っ子が多い。彼らは心のなかに、同じ原風景を共有している。それは毎日の暮らしとは切っても切り離せない高砂海岸の風景だ。

 

昔は海岸がすぐ手の届く場所にあった。高砂の子どもたちは学校が終われば家にかばんを置いて、すぐ海へと飛び出していった。

「家におもちゃなんてないから、日が暮れるまで海で遊んでいた。自分で竿を作って魚釣りしたり、遠浅の岸を足でさぐってアサリをとったりと、海でならいつまでも遊んでいられた」

自宅水槽前にて吉政さん

副代表の古川さんも、高砂海岸には多くの思い出を持つ。

しかし、そうした風景が見られたのは昭和30年頃まで。その後高砂の海岸は、産業の発展とともに広範囲が埋め立てられ、海岸線はその分南へと遠ざかった。その距離約1km。子どもたちが学校帰りに遊びに行っていた海辺は消えた。

 

「自分たちの遊び場だった砂浜が埋め立てられていくところだって、僕達は見ていた」

パイプを使って沖の海底の泥を吸い上げ、その泥で埋め立てられていった砂浜。子どもたちは、泥の上に一人寝られるほどの板を渡し、その上に乗って泥に交じるうなぎをとっていた。怒られながらも、みんなやめなかった。単純におもしろかったのだ。

「その時は分かっていなかったけど、それは二度と海辺で遊べなくなるということと引き換えの、最後の遊びだった」

これ以降、日常的に海辺で遊ぶ高砂の子どもたちの姿は見られなくなった。

昔の海岸線がどのあたりにあったのか、今の子どもたちの親だって知らないと話す吉政さん。ふるさとの海岸の記憶を持つ人は、ずいぶんと少なくなっている。

今では、大きな工場が立ち並び、トラックが行き交う道路を超えた先にある海。子どもたちは海に近づくことすら容易ではない。

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