すごいすと取材記

NPO法人多言語センターFACIL 理事長吉富志津代 さん() 兵庫県

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多言語による情報の発信

平成7年1月、阪神・淡路大震災が起こった。幸い自宅の被害が軽微で済んだ吉富さんは、ようやく連絡の取れた鷹取教会にとにかく駆けつけ、神父に何か手伝いたいと申し出る。

たまたま仕事を辞めたばかりだったこともあり、焼け跡にテントを建て地域の救援基地として機能していた鷹取教会に通い始め、炊き出しや救援物資の配布、ボランティアの調整、多言語に翻訳した情報の配布といった支援活動を始めた。

救援基地では、夜になるとボランティアたちが、たき火のまわりに集まって暖をとり歌った。

被災した地域では、外国籍の被災住民が言葉の壁や偏見などからトラブルに遭っていた。

倒壊した自宅から避難所に持ち込んだ食料を盗んだものと疑われたベトナム人。日本語がうまく話せないため誤解が解けなかった。自宅の電話が使えず母国に連絡しようと誰でも使える避難所の電話の列に並んだフィリピン人。「避難所以外の人間は使えない」と追い払われた。

そこで、日本語の理解が十分でない被災者を支援する組織が立ち上がり、教会の一角で多言語によるラジオ放送をスタートすることになった。日本語の案内しかなかった炊き出しや救援物資の情報、罹災証明や義援金の受け取り方法などの震災・生活情報をラジオで発信し始めた。

多言語で放送することで、外国人に確実に情報が届くことになるとともに、ここに外国人が暮らしているという事実を地域住民たちに改めて認識してもらうことにもつながった。

震災発生からちょうど1年後、このラジオ放送はコミュニティ放送局「FMわぃわぃ」として国の認可を受けた。扱う言語数も10言語に増え、震災20年を迎えようとしている今も、「多文化共生と人間らしいまちづくり」というテーマで活動を続けている。

東日本大震災で被災した宮城県のフィリピン人女性たちによるラジオ番組制作の支援も続けている。

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