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市民の力で。今年も芦屋に花火が上がる。

芦屋の夏の風物詩といえば、「芦屋サマーカーニバル」。第47回となる2025年には約3万人が来場。約6,000発の花火が南芦屋浜の東西2カ所から打ち上げられた。砂浜に設けられた有料観覧席では、花火と和楽器の生演奏を楽しみながら、この日のためだけに準備された食事やお弁当を味わう方々も。近くの市民広場に設けられたステージでは、市民によるステージショーも繰り広げられている。100名ほどの当日ボランティアと400名ほどの警備員のほか、地域住民、行政・警察、各交通機関も連携しあって開催が実現している。

この芦屋サマーカーニバルを運営しているのが、NPO法人芦屋市民まつり協議会による実行委員会だ。行政や大規模なイベント会社ではなく、市民ボランティアが主体となってこれほどの規模の花火大会を主催する例は、全国的にも珍しい。
とりわけコロナ禍以降、花火大会を取り巻く環境は大きく変わった。人手不足や安全管理のための警備費の高騰を背景に、兵庫県内でも開催中止となった大会や、開催方法を見直した大会が少なくない。芦屋サマーカーニバルも、かつての10万人規模から現在は約3〜4万人規模へと縮小している。それでも、このまつりは続いてきた。
「まちの“酔狂”なおじちゃんおばちゃん」が集まって。

「行政主体だったら、なくなっていたかもしれないですよね」と話すのは、芦屋サマーカーニバル実行委員長の秦忠幸さん(55歳)。30年以上にわたり、運営に関わり続けてきた。「費用もかかるし、リスクもある。でも、僕らは市民でやっている。まちの人たちでやっているから、逆に生き残ることになったと思っています」と話す。
「まちの“酔狂”なおじちゃんおばちゃんが集まってやっている、というのが実際です。変わった人らが集まって、変わった人らの力を寄せ合っている感じですね」。

当日の運営のみならず、花火の企画、会場設営、警備計画、ステージ企画、住民説明会、行政・警察や企業との連携、食事やお弁当の手配、HPやSNS・ポスター等での告知、100名ほどの当日ボランティアの募集、写真コンテストの開催……。数え上げたらきりがないほどのことを、実行委員会メンバーそれぞれの知識や経験を持ち寄って担っている。
資金繰りもしかり。協賛企業を一軒ずつ回り、観覧席の売れ行きを気にし、警備費や花火代の高騰に向き合う。「天候によって観覧席の売れ行きが変わるんですよね。中止になった時は、赤字にもなりました。その時はそれまでの信頼関係を頼りに支払いを待ってもらったこともありましたね」と秦さん。

設計事務所に勤務する根津歩さん(33歳)は、会場設営や企業協賛などを担当する。前・実行委員長であった父の姿を見ながら育ち、高校生の頃から運営に関わっている。現在は二人目の子どもの育休中でもある。「会社とか、行政とかじゃなくて、自分たちで自分たちのまちを花火のあるまちにしているというのは、かっこいいじゃないですか」と話す。
どうやら、善意や責任感だけでは説明しきれないものがあるようだ。なぜ芦屋では、市民による花火大会が、何十年もあたりまえのように続いてきたのだろうか。
主催も、場所も変わった。それでも続いている。

いまでは、芦屋の三大祭り(※)の一つとして知られる芦屋サマーカーニバルは、1979年、芦屋浜のまちびらきを記念して一般社団法人芦屋青年会議所を中心に構成された実行委員会の主催で始まった。会場は芦屋公園や市内中学校のグラウンドなど。南芦屋浜の開発とともに場所を変えながら続いてきた。地域の人たちが集まる、小さな祭りだった。
大きな転機となったのが、1995年の阪神・淡路大震災だ。
「震災のときは、花火をやる、やらないという話じゃなかった。まちそのものが、そんな状況じゃなかったですから」
と、秦さん。それまでの日常が一度完全に途切れ、まつりの開催も危ぶまれた。しかし、青年会議所中心の運営から、地域の有志による運営へと切り替え、その年8月27日に開催。翌年には、市民からの募金を募り、花火も上げられた。
その後、市民による運営の体制が整えられ、1998年、芦屋市民まつり協議会が立ち上がる(2007年にNPO法人化)。今の会場、南芦屋浜地区で開催するようになったのは、同地区に芦屋市総合公園(現:ミラタップパーク芦屋)などが全面開業した2004年からだ。
「場所も主催もころころ変わった。そういうタイミングで、やめようと思えばやめられたとは思うんです。でも、そういう話にはならなかった」
秦さんは、そう振り返る。
「花火が上がって、みんなが集まって、あぁ今年も花火が上がったなって思える。花火があるまちって、ええやないですか」
花火が上がり、人が集まる。この風景が芦屋の夏にはあったほうがいい。場所が変わっても、主催が変わっても、その感覚は引き継がれてきた。
「夏になったら花火が上がって、みんなが集まる。そういうあたりまえをみんなで作っていこうというのが、あるんだと思います」
その「あたりまえ」は、少しずつ形を変えながら、受け継がれてきたものだった。
※芦屋の三大祭り:春の「芦屋さくらまつり」、夏の「芦屋サマーカーニバル」、秋の「あしや秋まつり」を合わせて、芦屋の三大祭りと呼ばれている。参考:芦屋市HP
ボランティアは善意なのか。

「人間不信にもなりますよ」
秦さんから、こんな言葉も飛び出す。行政、警察、地域住民、企業など、多くの関係者と最前線で関わるなかで、「花火で儲けている」などの心無い言葉を投げつけられることもあれば、「困ってるからそっちでなんとかして」とサービス業のように扱われることも。担当者が変わったことでこれまでの計画が承認されず、何度も計画を立て直すこともあった。それでも、関わる一人ひとりとの関係を築きながら、続けてきた。
「心配ごとがあるからちょっと相談したいと住民の方から言われたら、その日のうちに会いに行ったりもしますね。結局は、一対一で関係を築いてきたという感じです」
そう淡々と話す秦さん。その裏には、花火大会という一日限りのイベントでは測れない、長い時間の積み重ねがある。立場も利害も異なる相手と顔を合わせ、言葉を交わし、つながりをつくり続けてきた。
そこにあるのは、「いいことをしている」という感覚や「役に立ちたい」という使命感とも、少し違うようだ。芦屋サマーカーニバルを支えてきた人たちは、いったい何を原動力にしてきたのだろうか。
閑話~off-topic~
カップル弁当は、地元企業とのコラボで。カップル弁当はホテル竹園芦屋の方と相談しながら、工夫を凝らして作られている。 「カップル席のお弁当は地元のホテル竹園芦屋さんに毎年お願いしています。カップルで食べるんだから、ポロポロこぼれやすいものはやめておこうとか、素敵な容器にしようとか、毎年工夫して作ってもらっています。僕はなんでも美味しいと思ってしまうので、別のメンバーにも試食してもらいます」実行委員長 秦忠幸さん
さらに深掘り-Q&A-
――花火が打ち上がった瞬間って、どんなことを考えますか?

秦忠幸さん(以下、秦):正直、きれいやなと思う余裕はないですね。無事に上がった、事故がなかった。それだけでほっとします。当日は、実行委員会用の自転車に乗って、会場の浜を東へ西へと行き来しながらトラブルの対応に駆け回っていますから。どっかでトラブル起きてへんかなと、そればかり考えています。
根津歩さん(以下、根津):私はその瞬間だけは、ちゃんと見るようにしています。一年やってきたものが、形になる瞬間なので。その後はすぐ本部に戻り、来場者数の確認作業などをしています。
秦:長い時間をかけて作って、その1日で終わる。作品みたいなもんです。花火はもちろん、会場も警備も含めたすべてのことが。1月から動き始めて、5月くらいからは毎週末が潰れる。開催前の1週間はほぼ会場にいますね。本当に地味な、筋トレみたいなことをコツコツとやっています。
――花火の演出も実行委員会で考えられているとか。

秦:他の花火大会に行っては、この演出いいなぁとかこの花火使いたいなぁとか話していますね。2025年は「和」をテーマに和楽器とのコラボ花火をしました。芦屋神社の宮司さんに和楽器奏者の方をご紹介いただいて。会場に来られた方からはとても好評でしたね。
僕は疎い分野なのですが、食事のお皿も、ワインも、詳しいメンバーが一つひとつ選んでいます。実行委員会のメンバーはみんなそれぞれこだわりがあるので、花火の企画も会場の演出も、専門家と相談しながら決めていますね。
また、会場周辺の住民説明会でも、「通行許可証の申請には、こういうシステムを使ったらいいんじゃないか」と提案してくれる住民の方もいて。そういう、自分にはないものを持っている人たちの力が寄せ集まってできているんだと思います。
根津:もともと私は、父が実行委員長をしていたので小さい頃からその様子を見ていました。高校生の時、募金で資金を集めると聞いて、街頭でも呼びかけた方がいいのではと言ったら、「じゃあ、やってみて」と言われて携わることに。やりたいことがあるならやってみよう、必要なら手伝うからという人たちの集まりだと思っています。
――ここまで大規模な催しが行政ではなく市民の力で続いてきているのは、芦屋ならではだと思いますか?

秦:続ける呪いがかかっているんじゃないかと話してます(笑)。
阪神間モダニズム(※1)という言葉もありますけど、もともと芦屋って大阪の船場のお金持ちがやってきて自分たちの好きなようにやろうって発展してきたまちだと思うんです。だから、そういう「好き勝手やる」まちの成り立ちはあると思っていて。良くも悪くも、芦屋の人ってちょっと面倒くさい人が多い。自分の意見がはっきりしているし、納得しないことはちゃんと納得するまで言う。でもその分、引き受けることは最後まで引き受ける。それが、矜持なのか、負けん気や意地なのか。そういうのを持っている人らがいるまちやから、続いてきたんやと思っています。その誇りはあると思う。
根津:正直、芦屋じゃないとできないとは思っていないです。他のまちでも、自分たちでやっていこうと思う人たちがいたらできると思うから。芦屋だからできたというのは違う。ただ、自営業の人が多いとか、コミスク(※2)の協力でポスター貼りをしてもらえるとか、協力してもらいやすい雰囲気はあると思う。自分たちでやっていく土壌があったと言えるかもしれないですね。
氏原さん(事務局職員):私はまさにコミスクのつながりでこの事務局の職員をやらないかって声をかけていただきました。
※1 阪神間モダニズム:明治末期から昭和初期にかけて、大阪の商人や実業家らが阪神間へ移り住み、西洋文化を取り入れて住宅地や文化を築いていった都市文化のこと。
※2 コミュニティ・スクール:小学校区ごとの地域コミュニティ。全国的には学校運営への参加を主目的に活動しているが、芦屋市では小学校を拠点とした地域活動コミュニティとして文化・スポーツ活動や地域のまつりなど、より広範囲な地域活動を行っている。
――阪神・淡路大震災の際も、翌年には花火が上がったと聞きました。


根津:私自身は小さくて当時のことを覚えているわけではないんです。でも、震災に負けたくないという思いが皆あったと父から聞いています。当時、復興の希望の象徴になったのが花火だと思うんです。
いまの実行委員会のメンバーも避難所で仲良くなったという人たちもいっぱいいるらしくて。行政や企業という縦割りの関係じゃなくて、横のつながりがあるというのは、まちを助けるものになるとは思っています。
秦:震災の後に花火が上がったときは、戻ってきたなという感じ。日常がなくなってしまったのを一度知っているからこそ、続けていきたいという思いはあります。
コロナ禍でも、中止となる花火大会も多かったですが、私たちはシークレット花火を上げたんです。早くに収束することを願って、前の実行委員長の根津さんが花火玉に「悪鬼退散」と書いていましたね。人を集めることはできないから隠れて準備しましたが、噂を聞きつけて見に来てくれた方もいました。やっぱり夏に花火があるというのは続けていきたいと思っています。
――続けていくために、今後は何が必要だと思いますか?

根津:いまのメンバーは50代、60代が中心なので、若い人たちがもっと入ってきてほしいなとは思っています。だいぶ変わってきましたが、まだまだ、行政が運営しているものだと思われることが多いので、ボランティアで運営していることを知らない方も多いと思います。
秦:「できることがあれば」と入ってくれる方もいらっしゃいます。問い合わせをいただくこともあるので、説明のための案内書も作成しました。年末に餅つき大会をしていて、そこに来てくれる方にお話しすることも。関わりを持ってくれる方を少しずつ増やしていけたらと思っています。
根津:芦屋サマーカーニバルは、単なる「花火大会」ではなく市民の横のつながりを作る「まつり」だと思っているので、どんな形でもいいからまずは関わってほしいなとは思っています。ボランティアとしてじゃなくても、例えば有料観覧席を購入していただくのも、自分たちのまつりを自分たちでつくる一つだと思っています。
あたりまえの顔をした、あたりまえじゃないもの

あたりまえのように続いてきた芦屋サマーカーニバル。
その裏側には、仕事や日常生活の合間を縫って、時にはそれよりも優先して、ボランティアとして地道に準備する人たちがいた。警備費や花火代の高騰、天候に左右される収支、大勢の人が集まるリスク。毎年、必ず成功が約束されているわけではない。
それでもずっと続けられてきた。まちの発展とともに、場所も規模も変わった。主催団体の変更もあった。阪神・淡路大震災やコロナ禍といった想定外の事態も起こった。それでも「自分たちのまちに、自分たちの力で花火を上げる」という想いを持ち続けてきた。
それを秦さんは「酔狂」と表現した。ただの好きや善意というよりは、なぜか引き受けてしまう感覚。面白みや楽しさを見出しながら、自分たちで作り上げる「誇り」を持って歩んできた。前には出さないけれど、意地や負けん気もある。そんな積み重ねの先に、人と人とのつながりが生まれてきた。

根津さんが、こんな話をしてくれた。
「会場周辺の住民からは、人が大勢集まるから迷惑という声もあって。でも、ある時、そこの自治会が『地域のことを考えてやってくれてありがと』と感謝状を贈ってくださったんです。それが何よりも嬉しいですね」
「あたりまえの反対は、ありがとうだと思うんです」。
秦さんはそう話す。毎年花火が打ち上げられることは、決してあたりまえのことではない。運営する人たち、支える人たち、楽しむ人たち。まちの力が寄せ集まって続いている。
あたりまえの顔をしながら積み重ねられてきた、あたりまえではない営みが、いつもの芦屋の夏を彩っている。
閑話~off-topic~
花火のあとも続く、花火の景色2025年写真展に出品された作品の一部。素人カメラマンの作品が多いという 「芦屋サマーカーニバルでは、写真コンテストもしています。当日の写真を応募いただいて、9月にJR芦屋駅前にあるホテル竹園芦屋のロビーで展示してもらっているんです。みなさん本当に素晴らしい写真を撮ってくださっていて。当日だけじゃなくて、その後も続いていくのがこのまつりならではだと思っています」秦さん
取材・文:渡邉しのぶ

