NPO法人 関西芸術文化支援の森 ゆずりは 代表理事

すごいすと
2014/06/25
和泉喜久男さん
(63)
兵庫県西宮市
NPO法人 関西芸術文化支援の森 ゆずりは 代表理事
平成23年に設立されたNPO法人 関西文化支援の森ゆずりは。拠点を置く西宮市から神戸市を中心に公共ホールでの定期演奏会、中学校・高校での芸術鑑賞会、ホテルのサロンでのディナーライブなど、若手音楽家による数々の演奏会を開催している。

代表理事の和泉喜久男さんは、昭和49年に大阪教育大学を卒業後、高校の音楽教師として教鞭を執った。その後、兵庫県教育委員会で主任指導主事を務め、平成20年、県内の公立高校で唯一音楽科を設けている県立西宮高等学校の校長に就任した。そのとき、演奏機会の少ない若手音楽家を地域で支える必要性を感じ、定年後にNPO法人を設立して活動を始めた。以来、公演活動を中心に、若手音楽家に演奏の場を提供し続けている。

NPO法人 関西芸術文化支援の森 ゆずりは 代表理事和泉喜久男さん

若き音楽家の悩み

少年時代から歌うことが何よりも好きだった和泉さんは、小学5年生だった昭和36年、西宮少年合唱団に一期生として入団し、中学卒業まで在籍する。阪神間で初めての少年少女合唱団として創立され、現在も国内外で多彩な活動をしている名門だ。

県立鳴尾高校でも合唱団に入ってテノールとして活躍した後、大阪教育大学特設音楽課程に進学。この頃はプロの声楽家を夢見ていた。

「学生時代に憧れたのは、フェルッチョ・タリアヴィーニというイタリアのテノール歌手でした。彼の歌う『忘れな草』が今でも僕の一番好きな曲です」

その一節を口ずさみながら、和泉さんはほほ笑む。

若き日の和泉さん

大学在学中、学内発表会で独唱する和泉さん

大学生の頃は、仲間と四重唱を組んでキャバレーに出演するアルバイトをした。いまや大物となった男性演歌歌手のバックを務めたこともある。報酬は驚くほどよかったが、芸能界の複雑な舞台裏を垣間見ることもしばしばだった。「僕、真面目な人間なんですよ」と笑って語る和泉さん。これは自分の進むべき道ではないと思った

一方で、プロの声楽家への道も決して生易しいものではなかった。出演の機会を得るためには、公演のチケット買取りなどの負担を求められる。また、過酷なスケジュールの下、厳しい条件で演奏しなければならないこともある。そんな実情を知るほどに、このままでは自分の受けた音楽教育も無駄になるのではないかと不安を抱くようになった。

「こういった悩みは、今の多くの若手音楽家も同じように持っているのではないでしょうか」

教育大に在学していた和泉さんは、悩んだ末、教師の世界に身を置いて音楽を続けて行こうと決心した。

県立西宮高校

若手音楽家を支えるために

音楽教師として17年間教壇に立った和泉さん。教育委員会での勤務を経て現場に戻り、県立西宮高校の校長を務めていたとき、音楽科の教員から「卒業生が大学を出た後、演奏する場が少なくて困っている」という相談を受けた。

一流の教育を受けても、その才能をステージで披露する機会が少ない日本のクラシック界。プロとして一本立ちできるのはほんの一握りだ。この相談をきっかけに、若手音楽家にとって演奏する機会がいかに大切かを改めて痛感した和泉さんは、準備におよそ1年間をかけ、若手の活躍の場を地域で支援するNPO法人を設立した。学生時代に身をもって感じた悩みや、長年音楽教育に携わってきた経験から来る思いにも背中を押された。

関西保育福祉専門学校校長室での和泉さん

ゆずりはのシステムは、会員になって演奏者登録をし、公演やイベントで演奏するといったものだ。設立から3年、当初は14人からスタートした会員も、現在では230人にまで増えた。

「私たちの使命はなるべく多くの若手にチャンスの場を提供すること。音楽家はいくら才能があっても人前で場数を踏まなければいけません」

年1回の「ゆずりはコンサート」、月1~2回の「ホテル北野プラザ六甲荘クラシックライブ」といった定期的な演奏会を中心に、これまで約80回の公演を開催。出演者はのべ320人にのぼる。会員は、ソリストクラスから音楽学科の大学生までと幅広く、出演するためには、理事による事前の技量審査を受けるため、クラシックコンサートとしてのレベルは高い。

定期的な公演に加えて、地域に密着した活動も大切にしている。西宮市内では、楽器店を会場に会員が自主的に企画したミニコンサートを開いたり、自治会や病院のイベントに招かれることもある。県立高校の芸術鑑賞会では、トロンボーン奏者が生徒に直接吹き方を指導し好評だった。聴衆との距離が近い小規模の会は、ステージ上の演奏とは一味違った親しみがあり、地域の音楽愛好家に喜ばれている。

設立4年目に入る今年は、活動の場を阪神間から兵庫県全体、さらには近畿圏に広げていきたいと和泉さんは語る。

演奏会の様子

ホテル北野プラザ六甲荘クラシックライブ

ゆずりはコンサート

県立芸術文化センターで開かれた第3回ゆずりはコンサート

生きる勇気を

平成7年1月17日に起こった阪神・淡路大震災。西宮の和泉さんの自宅は全壊し、当時10歳だった長男を亡くした。

「まもなく20年になりますが、あの日を忘れることはありません。人生で最も悲しく最も苦しい出来事でした。しかし、残った者は生きなければなりません」

そして平成23年3月11日、東日本大震災が発生。和泉さんは会員に呼びかけて、翌年に予定していた第1回ゆずりはコンサートを、「設立記念兼被災地支援コンサート」として開催することにした。来場者から寄せられた募金はすべて「東日本大震災遺児育英資金 桃・柿育英会」に寄付され、遺児となった子どもたちの奨学資金となる。以後、毎年のコンサートには必ず「東日本大震災被災地支援コンサート」の名が付され、今後も続けていくという。

災害で肉親を失った同じ悲しみを抱える者として、未来のある子供たちをささやかでも支え、彼らに生きる勇気を持ってもらえればと和泉さんは願っている。

和泉さんと慰霊碑

西宮震災記念碑公園の慰霊碑には長男の名前も刻まれている

人づくりへの努力

長年にわたる音楽教育を通じて実践してきたのは「心豊かな人づくり」だと振り返る和泉さん。現在は関西保育福祉専門学校の校長として、その人づくりの経験を生かし続けている。

「『ゆずりは』という名前は、植物のユズリハからとりました。春、若葉が出ると、前年の葉が譲るように落ち、それが幾世代も絶えることなく続いていく。若い世代を受け入れる優しさと思いやり、さらには育てることの厳しさという意味がこの名前には籠められています」

そんな和泉さんの好きな言葉は「努力」。

若葉たちの模範となるよう、ますます自らを磨く努力をしなければならないと語る和泉さん。音楽家として、さらに教育者として、心豊かな人づくりに向けての努力は続く。

好きな言葉「努力」

(公開日:H26.6.25)

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