鈴木誠さんが経営するあこうぱんは、赤穂城址に程近い加里屋地区の落ち着いた一角にあり、店内には、毎日250種類以上のパンが並ぶ。食パンやフランスパンはもちろんのこと、地域の食材をふんだんに使用した惣菜パンや菓子パン、プリンなどの多彩な商品や、赤穂義士をイメージして作られたアコウバーガーなど、ユニークなパンもある。地産地消にこだわり、地域に密着したパン屋として、全国から注目を浴びている。
あこうぱんの母体は、祖父が創業した播州製菓株式会社。鈴木さんは三代目にあたる。
しかし、両親はパンの製造販売という厳しい家業を息子に継がせるつもりはなかったという。鈴木さん自身も、12歳のとき岡山県にある中高一貫の進学校に進み、卒業後はふるさとを遠く離れて自由を謳歌したいと、北海道の大学に進んだ。
「大学時代は本当に遊び回っていました。結局、大学には8年いました」
大学5年目のある日、鈴木さんはアルバイト先で一人の女性に出会う。後に妻となる美都(みやこ)さんだ。この出会いが鈴木さんのその後を決定づけることになる。
パンが大好きという彼女の気を引きたい一心から、自分でパンを作ろうと思い立った鈴木さんは、ある日、近くのパン屋に飛び込んだ。単に作り方を覚えたいだけのことで、パン職人になる修行のつもりではなかったが、子供の頃からずっと身近にあったあの匂いと熱に包まれた瞬間、背筋がゾクッとした。
「やはり蛙の子は蛙なんでしょうか。結局、遠い北海道でパン作りに目覚めました」
修行中の平成8年1月に美都さんと結婚。ふるさとに帰ってきたのは、赤穂を離れた18年後の平成13年4月。30歳になっていた。そして、その年の6月、鈴木さんはあこうぱんの営業を開始した。
あこうぱんの工房では、平日は1日に2000個、土日祝には3~4000個以上のパンが焼かれている。店にはひっきりなしに客が訪れ、スタッフの「いらっしゃい!」という声が響きわたる。
県外から来てまとめ買いをしていく主婦、子ども連れの母親、観光で訪れた若い女性グループ。遊びがてら立ち寄っていく近所の子供たちもいる。
お客さんと友達のように接したいという思いから、鈴木さんをはじめスタッフは堅苦しいコックコートは着ず、清潔な普段着で接客している。飾り気や体裁、気負ったポーズはいらない。やさしさと強さを兼ね備えた、まちのお母さん的な存在でありたい。そんな鈴木さんの思いが、店の隅々にまで行き届いている。
赤穂に帰った当初、鈴木さんは全国各地の高価で珍しい食材を取り寄せてパンを焼いていた。
そんな鈴木さんを地産地消に転じさせたのは、勉強を兼ねて何度か訪れたフランスでの経験だった。
フランスでは、どんな小さなまちのパン屋にも、必ず地域の食材を使って焼かれたおいしいパンがあった。パンというものは見栄えやポリシーではなく、まず食べ物であり、食べた人の命になるものだと、鈴木さんは改めて気付いたという。
命になる食べ物の材料は、遠くの地から運ばれてくるようなものではなく、自分たちの暮らす地域の自然が育んだ、地元の食材こそふさわしい。それらを生かしたパンを作ることが、職人としての自分の仕事ではないかと思い至った鈴木さん。それ以来、赤穂の塩、赤穂みかん、生みたての卵、新鮮な牛乳、坂越湾で獲れる牡蠣、近海の新鮮な魚、地採れの野菜など、地元の食材の素晴らしさに目を向け、これらを自らの焼くパンに生かし続けている。
鈴木さんは地域での食育活動にも積極的に関わっている。
「夫婦共働きで子育てをする中で、特に幼い時期の子育てがいかに大変なことかを実感したことがスタートでした」
パンの製造・販売という、時間的にも肉体的にも厳しい仕事をこなしながら子育てをしてきた鈴木さん夫妻。特に一日の始まりである朝食の食卓を、子どもたちと一緒にゆっくり囲めないことに引っ掛かりを感じていた。
同じように子育てをしている親たちのために、パン職人としての技術と経験を生かして、何か役に立てることはないか。朝の食卓を、短時間でも親と子の楽しいつながりの場にする手伝いはできないか。そう考えていた折、長男の通う幼稚園からの依頼で、朝食パン教室を開いた。このことがきっかけとなり、朝食パン作りを教えることとなった鈴木さん。最近では、隣接する相生市やたつの市の保育園や幼稚園からも依頼を受けている。
朝食パン教室でのメニューは、残り物のおかずを詰めて焼いたパンや、残った食パンを使用したフルーツフレンチトーストなど、忙しい朝でも、残り物の具材で簡単に作れるものだ。
そして鈴木さんは、この時必ずお母さんから子どもへの直筆メッセージを記したメモを、お子様ランチの旗のように爪楊枝でパンに差してもらうようお願いをしている。
パンは食べ物であるとともにコミュニケーションの道具でもあると語る鈴木さん。教室の中で、必ず親たちに伝えるひとつのメッセージがある。
「家族の食卓、それは生きる力をつける場所です。親が子どもに残すべき財産の一つは生きる力。それを伝えられる場所が食卓なのです」
この話を聞いた母親が、後日店に来て鈴木さんに言った。
「考えさせられました。これからは、家族の食事を作れることが自分の特権だと思って、子どもとの食卓を大切に楽しみます」
鈴木さんはパンを通じた地域の中での交流にも積極的だ。
地元で酒店を営む友人で、シニアワインアドバイサーの資格を持つ青木さんが選んだワインと鈴木さんのフランスパンで仲間たちが交流する催しや、「満月バー」と称して毎月満月の晩に地域の若手経営者が集まる交流の場にも、鈴木さんは必ず自慢のパンを焼いて参加する。
「18年も赤穂を離れていました。それが良かったと思います。長く離れていたからこそ赤穂という土地や、地域の人々のすばらしさを、いま、人一倍強く感じられるのだと思います」
そんな鈴木さんは、赤穂に関わるものを何でもパンに変えてしまう。中でも、特に赤穂を意識して作っているのがアコウバーガー。年ごとに、違う赤穂義士にスポットをあて、それぞれの義士にまつわるエピソードからイメージを膨らませてバーガーに仕立てるもので、いまや定番の人気商品になっている。
また、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターで、赤穂市にゆかりの深い樫本大進さんが音楽監督を務める赤穂国際音楽祭の際には、出演者をイメージしたパンを作って応援する。最近では、それを知った樫本さん本人が演奏者を連れて店を訪れるのが恒例になっているという。
大好きな女性との出会いから始まったパンづくり人生。そんな鈴木さんの好きな言葉は「ありがとうをパンに代えて」。
「ありがとうという言葉のかわりに全力で届けられるものがパンであり、この仕事は僕のすべて」と語る鈴木さん。生まれ育った赤穂の人たちに笑顔を届け、ふるさとに恩返しをしたい。鈴木さんと美都夫人の二人三脚はこれからも続く。