このまちで、市民のだれもがスポーツに参加できる取組みに早くから関わってきたのが、加古川市スポーツネットワーク委員会会長の大辻利弘さんだ。
加古川に生まれ育った大辻さんは、大学を卒業した年から、長年にわたって地域で生涯スポーツの普及・振興の旗振り役を務め、地域に根ざした総合型地域スポーツクラブを運営するNPO法人を立ち上げるなど、スポーツを通じた地域活性化の中心的な役割を果たしている。
子どもの頃から体を動かすことが大好きだった大辻さん。高校で体育の授業として出会った柔道に魅了され、そのまま柔道部に所属して稽古に励む毎日を送った。
大学進学後も柔道を続けたが、昭和37年の卒業後は父親が営んでいた飲食店の経営に携わる。しかしこの時、高校の恩師に声をかけられ、市の体育指導委員(現スポーツ推進委員)として市内の複数の高校で柔道の指導に当たることになった。
「柔道だけでなく、指導委員の仲間たちとあらゆるスポーツの普及にも関わりました。自分たちでスポーツイベントや講習会を企画したり出前指導を行ったりと、充実した毎日でした」
飲食店の経営に、指導委員の活動にと日々忙しく飛び回っていた大辻さんだが、30歳を目前にした昭和44年12月、大きなトラブルに見舞われる。
順調に業績が伸びていた大辻さんの店が、火事で焼失したのだ。
自分の店からの失火で、周りの店舗も類焼させてしまった。茫然自失の状態だった大辻さんだったが、焼け跡で思いがけない光景を目にする。たくさんの友人、知人が火事の後片付けに集まってくれたのだ。
地域の仲間が手を差し伸べてくれたことに恩義を感じた大辻さんは、「生まれ育った加古川のために、本気で何かをしようという気持ちが起こった」と当時を振り返る。
火事の後始末が一段落した昭和47年、大辻さんは32歳という若さで市内の体育指導委員を束ねる体育指導委員会の会長に抜擢された。以来38年という長きにわたって会長職を務め続けることとなる。
その間、平成元年に始まった加古川カップ綱引大会、翌平成2年の加古川マラソンと、大きなスポーツイベントの立ち上げに中心となって取り組んだ。いずれも現在に至るまで20年以上の歴史を重ね、「スポーツのまち加古川」を広くアピールし続けている。
「これらのイベントは、観戦するだけではなく、市民が年齢に応じて楽しみながら参加できる生涯スポーツの場にもなっています」
生涯スポーツは、「健康」と「ふれあい」をテーマに、競うことより楽しむことに重きが置かれる。
「日本人の平均寿命は伸び続けていますが、重要なのは自立して毎日元気に暮らせる健康寿命を伸ばすことです。それに貢献できるのが生涯スポーツだと考えて、これまで普及活動に努めてきました」
かつてスポーツといえば学校での部活動に象徴されるような競技スポーツが主流だったが、今では健康増進や余暇を楽しむためのものというあり方も徐々に浸透してきている。
綱引やマラソン以外にも加古川市では、市内の名所旧跡や自然に触れながら歩くツーデーマーチや、初心者も参加できるボート大会である市民レガッタなど、年間を通じてさまざまなスポーツイベントが開かれ、いまやすっかりまちの風物詩として定着している。
昨年から始まった加古川市民スポーツカーニバルも、市民のだれもが参加できるイベントのひとつだ。大辻さんは市内の主なスポーツ団体のメンバーを集めて加古川市スポーツネットワーク委員会を設立し、自ら会長に就任。まちを挙げての開催にこぎつけた。
当日は体力測定やラジオ体操のコーナーを設け、「単に長生きではなく健康年齢を高めるきっかけづくりの場にすることを心掛けた」と大辻さん。「ウェルネス都市加古川」を掲げる市とタッグを組み、まちぐるみで健康づくりに取り組んでいる。
長年地域のスポーツ振興役を担ってきた大辻さんが、もっとも力を注いだ活動のひとつが、総合型地域スポーツクラブの設立だ。年に一度の大規模イベントだけではなく、だれもが日常的にスポーツ活動を楽しみ、それを通じて地域交流ができる場を作りたかった。
「大都市ではない加古川でも地域でのつながりが薄れていっていることに危機感を持っていました。そこで、スポーツを媒介に、地域の人たちが年齢に関係なくふれあいや絆を育むことも、クラブの目的のひとつとしました」と大辻さんは設立の思いを語る。
平成11年、小学校の体育館など市内5ヶ所にスポーツクラブを立ち上げ、平成12年からは兵庫県が推進する「スポーツクラブ21ひょうご」の事業として全小学校区にスポーツクラブを設立。さらに翌平成13年には、各クラブを統括して運営するNPO法人加古川総合スポーツクラブを設立し、大辻さんが理事長に就いた。
現在、市内のスポーツクラブは、小学校区を基本単位として31ヶ所を数え、各地域で展開されている活発なスポーツ活動に、全国からひっきりなしに視察が訪れている。
クラブオリジナル種目の「親子スポーツ」で遊ぶ乳幼児から、グラウンドゴルフといったニュースポーツに興じる高齢者まで、それぞれが思い思いの種目を楽しむ一方、幅広い層に人気の卓球では、シニアと小学生との間で鋭いラリーの応酬が見られることもある。
世代を超えた会員同士や家族で結成したチーム同士の対戦などをきっかけに、スポーツを離れても地域の餅つき大会などへと交流の場が拡大することもあるという。大辻さんが理想とする一昔前ならどこの地域ででも見られたような近所づきあいさながらのコミュニティが、スポーツをきっかけに再生しつつある。
大辻さんの座右の銘は「順道制勝」。「道に順(したが)いて、勝ちを制す」と読む。近代柔道の創始者、嘉納治五郎が好んで書にしたためた言葉だ。
「勝っても負けても道に順うことに価値を見出すということです。若い頃はあまりその意味を気にしていませんでしたが、社会人としてさまざまな経験を経て、腑に落ちるようになりました」
とにかく勝てばいいという考えがもてはやされる昨今、この言葉の重みが増すと大辻さんは感じている。
今後、関西ではふたつの大きな生涯スポーツの大会が予定されている。兵庫県が開催地となる平成29年の「日本スポーツマスターズ2017」と、近畿一円が舞台となる平成33年の「関西ワールドマスターズゲームズ2021」だ。これらの大会がさらなる生涯スポーツ普及のチャンスになると、大辻さんは意気込む。
「順道制勝」の精神が、生涯スポーツの理念にも通じると捉える大辻さん。これからも生涯スポーツによる健康づくり、そしてまちづくりに邁進する。