淡路市の生田地域活性協議会 事務局長の田村伊久男さんは、景観を整備するために、それまで淡路で栽培されていなかったそば花を植えて花畑をつくった。その副産物として予想外に上質なそばの実が収穫できたことをきっかけに、生田産そばの実を使用する「そばカフェ生田村」を開店。本物志向のそばと心からのおもてなしをモットーにしたカフェでは、向上心を持って働く兼業農家のスタッフたちの生きがいにもなり、地域を活性化させている。
海に囲まれ、里山も多い淡路島は食材の宝庫。島の北部、明石海峡大橋を渡って北淡ICから車で約10分のところに生田地域がある。このあたりは棚田の美しい風景が象徴的な、稲作主体の農村地帯。近年は映画、ドラマ、コマーシャルなどのロケ地としても露出する機会が増えて来ている。
約35年間、兵庫県職員としてさまざまな部署で勤めてきた田村伊久男さんは、退職後、高齢化や過疎化が進む地元の生田地域の活性化、そして、美しい棚田の景色の存続について考えるようになっていた。
「かつての日本の田園風景にあった水車をここに再現したいと考えました」という田村さん。地域の人たちの考えも聞きたいと思った田村さんは、いろいろな人の所へ足を運ぶようになった。そうするうちに、地域活性化に関心を寄せていた有志が集うようになり、後に生田地域活性協議会が誕生することになる。
しかし、いざ水車を復元しようとすると、資金調達が困難なことに気づいた。取りかかる順番を変更して、まずは景観整備事業から始めることにした。「島内のよその地域にはない花畑をつくりたくて、素朴なそばの花がこの景色にしっくり合うと思いました」と田村さんは振り返る。
地域住民に協力を求めたが、田村さんより年輩の人から「昔から生田地域は何をやろうとしてもまとまらない地域だ」と諦めたように言われたこともあった。田村さんたちは一人ひとりの声に真摯に耳を傾け、時間をかけて説得した。時に声を荒げて議論したこともあったが、最後には承諾を得られた。今では約2ヘクタールのそば畑を約140世帯で共同で世話をしている。
9年前から始めたそば花の栽培は毎年秋に満開になる。いまや生田地域の秋の風物詩にもなり、満開の時期に合わせて「そば花まつり」も開催。地域が盛り上がりを見せるようになった。
そば花は単に美しく心を和ませてくれるだけでなかった。標高約200mの生田地域では、昼夜の寒暖差も手伝って、思いのほか美味しいそばの実を収穫することができた。
イベントの屋台でふるまったそばの評判がよかったこともあり、田村さんは安定した生産量の確保を視野に入れ、地域のコミュニティづくりの場ともなるそば処開業を構想する。
まずは、そば花畑を一緒に管理している住民に打診して、運営に参加したい人たちを募り、メンバーを集めた。また、出店場所を探している最中に、廃園となった生田保育所を市から借り受けることができた。それと同時にそば打ち技術を修得するため、プロにみっちりと指導を受けた。「やるからには本物でないとね」と田村さんは言う。
そうして平成23年、「そばカフェ生田村」がオープンした。
そばカフェのスタッフは18人、平均年齢約63歳。営業時間はあえて土日祝の昼間のみとした。一見スタッフの人数が多いように見えるが、そばの実の収穫量との兼合いと、スタッフの大半が稲作農家で繁忙期が同じということもあってシフト制で店を回している。
スタッフの誰もが一定レベルのそば打ちができるよう定期的に研修も行っていて、いつ誰がシフトに入っても一定のクオリティのそばを提供できるようにした。
そうして努力を重ねた結果、クチコミ客がじわりと増え、来店者数が年間約10,000人となった。スタッフのなかから「せっかく遠くから来てくれるのだから、安く提供してはどうか。利益が出ない分は無償で働いてもいい」という声が上がった。
「お客様に喜ばれるサービスを提供したいという気持ちは大事なのですが、長期的にそばカフェを運営していくには、無理をしすぎず、仕事のモチベーションを維持することが重要です。そのためには、たとえ少額であっても有償で働くことに意味があることを、スタッフに説明して理解してもらいました」と、田村さんは言う。
そばカフェは純利益が出るほど儲かってはいないが、赤字にならずなんとか存続できている。赤字になるとたちまち立ち行かなくなるため、スタッフ一人ひとりに経営者感覚で危機意識を持ってもらい、無駄は極力削減している。
「昔から何をやろうとしてもまとまらない」と言われた生田地域だったが、こうした取り組みを積み重ねていくうちに、「地域のことは自分たちが協力して何とかしていこう」という気運が高まってきた。
そして、一人でも多くの人にリピートしてもうらえるよう新メニューの開発やそば打ち技術向上の研修などに全員で取り組んだ。
今では、スタッフはそばカフェで働くことに生きがいややりがいを持ち、大事な居場所だと感じているのを田村さんは実感している。
昨年11月には、そうした努力が認められ、農林水産大臣賞を受賞。生田地域の事例は、地域住民全員で取り組む地域活性化の成功モデルとして他府県からも注目されている。
田村さんの好きな言葉は「前向きに生きる!」。「亥年生まれで猪突猛進とまでは行かないにしても、常に前を向いているから」。田村さんの人生における信条でもある。
生田地域では平成24年に念願の水車を復元した。この水車は単なるシンボルではなく、水力発電も行う。
水車は初夏に天然のゲンジボタルが飛び交う田尻川のそばにあり、そばカフェの姉妹店の「ホタルカフェ」の横に据えられている。
せっかく生田に来てもらったのだから、ゆっくりと楽しんでいって欲しいとの思いからつくられた「ホタルカフェ」。東京からIターンで移住してきた40代の夫婦が経営しており、次代の生田地域を担う人たちも育ちつつある。
「次は、宿泊施設が必要ですね」と意気込みを語る田村さん。地域活性化への取り組みはこれからも続く。