(一社)有馬温泉観光協会

すごいすと
2016/12/25
金井啓修さん
(61)
兵庫県神戸市
(一社)有馬温泉観光協会

1400年の歴史に彩られ、日本の三古泉に名を連ねる有馬温泉。年間192万人もの観光客が押し寄せた平成3年を境に、阪神淡路大震災が発生した平成7年には102万人にまで落ち込んだ。そんな中、街に活気を取り戻そうと数々の震災復興イベントをはじめ、温泉街全体のにぎわいづくりを仕掛け続けた中心人物が、老舗温泉宿「御所坊」の第15代主人・金井啓修さんだ。その結果、平成14年には131万人、平成26年には166万人にまで回復。住民の意識をまちづくりに向かわせ、苦境が続く温泉街に50万人もの観光客を呼び戻した手腕から、観光庁の「観光カリスマ百選」にも選ばれている。

温泉街の逆転劇「有馬に若者を呼ぼう!」

温泉街の中心を流れる有馬川。その周辺では多くの観光客が記念写真を撮っている。細い路地裏に入ればそこには、立ち寄るお店選びに忙しい家族連れや女性客、外国人観光客の人、人、人。かつて1980年代には「神戸観光のお荷物」と言われ、観光客が半分近くまで激減した温泉街とはとうてい思えないにぎわいの中、黄色い3輪電気自動車の運転席で笑顔を見せていたのが「陶泉 御所坊」当主・金井啓修さんだった。「宿泊客向けのレンタカーです。宿ごとに色が違うのですよ。」

家は創業800年を誇る日本屈指の老舗旅館。そんな家業に興味を持てず一度は離れた故郷・有馬に21才で帰郷。代表取締役社長に就任したのはわずか26歳のこと。活気を失くした有馬温泉を一変させる、大逆転劇の始まりだった。

「北海道にいた頃、出かけた先の十和田湖畔に一軒のピザ屋を見つけたのです。アンティークな雰囲気の洒落た空間で、田舎にもこんな店があるのだと驚きました。」
「都会にあれば、もっと人が来るのじゃないの?」と店主に尋ねた金井さん。
「店主は、田舎に人を呼びたいって言うのです。都会から若い女性だってやって来るって。それ以来、若い女性を温泉に呼べないだろうかと考えるようになりました。」
帰郷後、金井さんは仲間たちと共に「有馬に若者を呼ぼう!」と活動を開始。芸者とのお座敷遊びを学ぶイベント「有馬温泉大学」の開催を皮切りに、銀座の歩行者天国を真似たカーニバルや夏祭りなどを次々に企画。祭りを開けば、とにかく人が集まって来るという大盛況だった。
一方、金井さんは継承した温泉宿でも、斬新な集客の仕掛けづくりにとりかかった。

個性こそがお客様を呼ぶ! 老舗旅館の大改革

「団体客が入れる鉄筋造りの大旅館に、古い木造旅館が勝てるわけがない。」
そう思った金井さんは、旅館のスタイルを団体客から個人客向けに改装。将軍・足利義満から文人・谷崎潤一郎まで、当時の日記や紀行文に裏付けされた人々と御所坊との深い関わりを、800年という歴史を誇る温泉宿ならではのストーリーを宿づくりに反映させた。
「当時の旅館業界は有名コンサルタントや設計士に頼めば安心だという風潮でしたが、私は、彼女を連れて行くならこんな部屋がいい、あんな風呂がいいという考え方を大事にしました。100人のうち1人が気に入ってくれたらいいという考え方で、旅館をつくってきました。」
木造建築のレトロモダンなたたずまいが美しい落ち着いた大人の宿へと変身を遂げた御所坊が、さあこれからという時、阪神淡路大震災が発生。ここから本格的に、有馬温泉街を一変させるまちづくりが始まることになる。

まちに戻ったにぎわいが、人々の意識を変えた

震災からの復興をめざし、金井さんは次々にユニークなアイデアを繰り出し続けた。
温泉入浴と昼食をセットにした日帰り客の誘致プランや、有馬川で芸者と楽しむビアガーデンの開催。外湯を整備し、街にループバスを周遊させた。また異業種仲間8人で「有馬八助商店」を設立し、地サイダーブームのさきがけとなる「ありまサイダー」をヒット商品に育てる一方、ものづくり作家との人脈を活かしたギャラリーや有馬玩具博物館をオープン。路地裏アートプロジェクトなど、新たなイベント開催につなげている。

かつて有馬温泉の炭酸泉に甘みを加えて飲んだのが有馬サイダーの始まり。

中でも、有馬の街全体の景観を地域みんなで大切にしようという考えが浸透するきっかけになったのが、「ホテル花小宿」のオープンだった。
「新しい宿の形を模索していた頃で、休館する旅館を借り受けてオープンしました。当時、センセーショナルだったニューヨークグリルのスタイルと、ポルトガルのホテルシステムを採り入れた泊食分離の温泉宿です。」
外見は変わっていないのに、お客様の動きは180度変わっている。なぜだ!?
「ちょっと変えたら人が来たって、周りの人たちは不思議だったのでしょうね。まずお好み焼屋が影響を受けて昔のように改装したらお客様が入るようになった。すると隣の洋服屋にも改装を勧める。そうしてみんなが店のリニューアルをきっかけに、まちなみ基準ができあがりました。」

温泉寺の近くにある「ホテル花小宿」

古い建物を活かすこと、まちなみ全体を整え景観を大切にすること、観光客の満足度を高める取組みを地域全体で行うこと。一軒の小さな宿と数々のイベントが示し続けた地域再生への可能性は、住民みんなの意識をも変えたのだ。

本当の地域づくりとは? まちのブランド力とは?

「例えば一本の高級ペンを売る。どんな場所なら高級ペンは売れるのか。ショーケース、店舗、フロア、ビル、ストリートまで考えなくてはいけません。じゃあ、有馬の特徴である歴史や赤茶色の特殊な湯を、有馬のシンボルにするにはどうしたらいいか。必要なのはイベントに頼ることではなく、地域づくりなのです。」
日本の観光地の地域づくりが、ヨーロッパの先進観光地に追いつくには100年かかると言う金井さん。
「例えばスイスで人気のリゾート地・ツェルマットは、地域全体で客を迎える意識が根付いています。景観というまちの資源をリゾート地としてみんなで活用し、普遍的な魅力を作り上げて今があるのです。」

ツェルマット視察の様子

そしてもうひとつ、ツェルマットにあって日本にないもの。それは、地域の子どもたちがその地に勤めたいと思える環境だと言う金井さん。ツェルマットでは、従業員が代々同じホテルに勤めているという。
「父親の勤めていたところで、自分も勤めたいと思えること。そこで働くことが誇りだ、自慢だというものをつくらないといけない。」これが本当の地域づくりだと金井さんは語る。
「だから、当たり前で目新しくはないけれど、地域のブランド力とはやっぱり『人』なんです。」

立体的な視点と発想で、有馬の山椒を日本一に!

有馬のブランド力をさらに強化するために、金井さんが力を入れているもの。それは「食」、「有馬山椒」の復活だ。有馬の名を世界へ広めるためのプロジェクトと言ってもいいかもしれない。
「スローフードとしての魅力、絶滅危惧種としての付加価値を発信することで、成熟したグルメ客や旅行者が有馬の名前を自然に広めてくれる。」 金井さんの発想にかかれば、山椒もストーリーに満ちた食材になる。

有馬山椒の収穫

「みんなが『え?こんなものを?』と思うもの、磨けばダイヤモンドになるものを見せるのはおもしろい。改装後の御所坊が脚光を浴びたのは、CI(コーポレート・アイデンティティ)としての考え方に注目したデザイン雑誌に掲載されたことがきっかけでした。花小宿についても、ライフスタイルという枠組みで捉えた有名女性誌から、人気に火が付いたんです。」
30歳で取組んだ有馬地域のマスタープランづくりの経験から、外からの目線で自分を眺める発想ができるようになったという金井さん。
「多方向からものを見ること。一つの方向からしか見ていないと、物事は何も解決しない。立体的に見ることが必要です。何をする時も、考える時も、いくつかの目線になって物事を動かしています。」

真金不鍍

御所坊の玄関を入ると、左手には旅館の想いを伝える漢詩が、右手には書が掲げられている。
真金不鍍。「しんきんはとせず」と読む。
「純金はメッキをしませんよね。本物はメッキをする必要がない。飾り立てているものほど、実はたいしたことがないという意味です。本物か偽物かは、自分がいちばんよくわかっています。自らがつくったのか、それとも何かの真似をしてつくったのかは、自分が最もわかっているのです。」
たっぷりの遊び心と好奇心で、有馬のまち全体を考えた集客の仕掛けをつくり続けてきた。取組み一つ一つが、徐々に住民の意識を動かし、人を動かし、今もまち全体を動かしている。
「人に恵まれてきた」と話す金井さん。有馬温泉街再生のため、金井さんが掘り起こした地域資源とは、もしかするとそれは伝統や歴史のストーリーではなく、温泉街を一生懸命支え続ける有馬の「人」そのものかもしれない。

(公開日:H28.12.25)

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