「僕たちがやっているのは、まちづくりではなく遊びです。楽しいことには、みんな主体的に関わることができると思っていて。楽しくないと波及していかないから。」
気持のいい笑い声を響かせるのは、「場を編む人」藤本遼さん。
「『舟を編む』という本を目にした時、編むっていう表現がすごく日本的で美しいなと思ったんです。自分にできることは、それぞれが活かし合える関係を見出してつなぎ合わせること。場=関係性を編集することは、まさにこの言葉通りでした。」
かわいいコーヒースタンドに目が奪われるその奥に、木材が所狭しと壁を埋めるちょっと不思議な空間でインタビューは始まった。
「何のために大学に通っているんだろう。」
何をすればいいのかわからないまま、悶々としていた学生時代。就職活動もしっくりこない日が過ぎていった4回生の夏、大阪で就労支援を行っているNPO法人スマイルスタイル(通称スマスタ)に出会う。
「ツイッターでフォローされたのがきっかけで、ゴミ拾い活動に参加したんです。」
そこで出会ったのが、スマスタの代表・塩山 諒氏だった。
「小学3年生で不登校になり『最終学歴は小3です』と言っている人。そんな自分の過去から、防ぎたい、改善したいという想いで就労支援の仕事をしている。生き方としてつながっているんです。体験がちゃんと生きているのがわかりやすくて、すごいな、いいなと思いました。」
尼崎に生まれ、尼崎で育った藤本さん。離婚した両親に代わって育ててくれたのは祖父母だった。
「大工だった祖父は、80歳の今でも屋根に上がるくらい元気。祖母は詩吟の師範。こんな元気なシニアって、きっとたくさんいる。どうやったら若者たちとつながる場がつくれるんだろうって、学生時代から問題意識として持ち続けていました。」
生い立ちのおかげでシニア世代に関わる機会が人より多い。それを活かせないかとNPO法人に就職。そこで働きながら、少しずつ自分なりの場づくりの活動を始めた2014年秋、「尼崎ENGAWA化計画」に一緒に携わる江上さん、足立さんに出会った。
仲間が自然と増えていく中、2015年10月に独立。閉店した商店街の喫茶店をみんなでリノベーションしたコミュニティスペースを拠点に、集まり、学び、遊ぶことでつながりを生み出しながら、様々なイベントを企画している。そのひとつが、地元のお寺でカレーを食べながら様々な「文化」を体験できるイベント「カリー寺」。檀家や自治会の方々も巻き込み、地域のコミュニティとしてのお寺の役割を現代版につくり直す取組みとして注目を集めた。その結果、お寺でのキャンプといった提案が持ち込まれたり、「カリー寺みたいなおもしろい取組みをして!」という要望が他のお寺にも届いたりするなど、つながりの場づくりが盛り上がりを見せている。
「関わることで人に出会い、世界が拡がり、自分を高められる。気づき、学び、楽しみ、そして救いがある場をつくり続けたい。」
みんなで遊び、楽しむために編む場。その先には、人がつながることの大切な意味があった。
「祖父母がいなかったら、どうやって生きてこれただろうって考えます。」
「親がいない、身寄りがない。そういう人たちにとって、生きていくための責任がすべて、家庭や家族に求められる現代は、成熟したやさしい社会なのかなと疑問に思うんです。そういう意味で、コミュニティづくりってリスクの共有だと僕は思っています。つながりさえあれば救われる可能性や、生きていける可能性が高まると思っているんです。」
今は、社会の主流や常識からこぼれ落ちる人が、見逃されている時代だと話す藤本さん。
「果たしてそれで大丈夫なのか。明日、自分の境遇がどう変わるかわからないリスクを人は常に持っている。そういった危うさを抱えた弱者として生きているから、気持ちを向け合うことが大事なんじゃないでしょうか。」
「自分がドロップアウトしなかったのは運が良かっただけ」という藤本さんが、マイノリティとしての自分の身を守るためにどうするか。苦しんでいる人たちの身を守るために、どうすればいいのか。「おもろいやん」と納得している自分の生き方を、どう活かすのか。考えた先に出てきたものは、「余白」をつくるということだった。
「余白」をつくるとは、正しさを持たないこと、決めつけないことだという藤本さん。
「人との関わり、つながりの中で僕が一番大切にしたいことです。正しいことをやってないとか、良いことをやってないっていう判断は暴力だと思うから。そんなコミュニケーションはとりたくない。」
関わりの中では決して押し付けず、アドバイスもしない
ドロップアウトすることが、本当に悪いことなのか。ここから障がい者、ここから健常者と、きっちり線が引けるのか。子どもが自由に絵を描く時、肌の色ってひとつしかないのか。
「どんなことも、あっちかこっちかって決められることじゃない。世界はグラデーションでいい。決めつけず、いろんなものに『ゆるさ』を与えることが余白につながって、みんなで楽しく自分として生きていけるのかなと思います。」
今年度から尼崎市の福祉事業に関わっている藤本さん。障がい者と健常者が交流しながらイベントを企画する中で、「イベントに出かける際、困ったことって何ですか?」という問いかけをした時のことだった。
「そもそもイベントには行きません。私が行くと絶対困ることが想定されるから、そういう場所には行かないんです。」
ある聴覚障がい者の方の答えに、みんながはっと気づかされた。
「みんなでつくる」「みんなの場所」と誰もが口にする。しかし、その「みんな」という言葉は、どこまで入っている「みんな」なんだろう。その言葉を使った時、そこからこぼれ落ちている誰かがきっといる。そんな誰かをも、ちゃんと拾い上げ、「みんな」と捉えているだろうか。
その場に参加し、その人に出会ったことで、誰もが思いを巡らす領域が広がった。出会い、関わり、話すことで気づけたことだった。
「場というのは、そういう可能性を常に提示してくれるもの。だから素敵なんです。その経験によって、ちょっとだけやさしくなれると思う。そのちょっとだけを積み重ねることとか、ちょっとだけをいろんな領域に拡げていくことが、もう少し楽しくやさしく生きていくことにつながるんじゃないかと思います。いろんな人と出会ってつながって、一緒に場をつくることでまた拡がっていく。表現手段は『遊び』だけれど、僕が場を通じてつくっているのは、やさしくなれるかもしれない可能性と、自分にも何かできるかもしれないって前を向ける勇気なんです。」