株式会社御影屋

すごいすと
2017/10/25
柿木貴智さん
(46)
兵庫県高砂市
株式会社御影屋

兵庫県を代表する「ゆるキャラ」としてCMにも出演し、市制60周年では観光大使に任命されるなど、高砂市のマスコットキャラクターとして人気を集める「ぼっくりん」。その生みの親の一人が、株式会社御影屋の代表取締役を務める柿木貴智さんだ。「ぼっくりん」誕生後、高砂ブランド協会を設立。高砂市の新たな物産開発に取り組む中、日本最古の帆布である「松右衛門帆」の復元に成功し商品開発をスタート。平成28年4月には、松右衛門帆事業を独立させた「株式会社御影屋」を設立。帆布製品の製造・販売による地域ブランド、地場産業の育成を通じ、高砂市の活性化に取り組んでいる。

スタートは、ゆるキャラ「ぼっくりん」

平成21年、柿木さんが高砂青年会議所の理事長に就任した時だった。
「子どもたちに、高砂市の歴史に興味を持ってほしい。何か一つでいいから、自分の故郷について語れる歴史を知ってもらいたい。」
そんな思いから、高砂神社の「相生の松(縁結びの象徴として知られる高砂神社境内の松)」をモチーフにしたキャラクター「ぼっくりん」が誕生。ゆるキャラブームを追い風にCM出演や商品開発へと発展させ、高砂市を代表する人気キャラクターに成長させた。
「その後、団体をつくって高砂市の地域ブランディングをしてほしいという市役所担当者からの相談を受け、高砂ブランド協会を立ち上げました。」
ここから柿木さんの、奮闘が始まった。

あらい浜風公園の有効活用を考え、行政・高砂青年会議所・地元有志らで「高砂音楽祭」を開催

あらい浜風公園の有効活用を考え、行政・高砂青年会議所・地元有志らで「高砂音楽祭」を開催

高砂青年会議所で誕生。今は高砂市マスコットキャラクターの「ぼっくりん」

高砂青年会議所で誕生。今は高砂市マスコットキャラクターの「ぼっくりん」

松右衛門帆との運命の出会い

ぼっくりんグッズの開発に力を注いでいた2年目、「ぼっくりんばかりじゃなく他の物産品もつくってほしい」という新たな要望に、柿木さんはまたしても奮起する。
「市史を調べる中で、高砂市出身の工楽松右衛門(くらくまつえもん)という人物が、日本で初めて帆布をつくったという史実を知りました。日本の海運業に大きな発展をもたらした、日本最古の帆布です。最初は市販されている帆布に工楽松右衛門のワッペンを付け、売り出せばいいやという安易な考えだったんですが……。」
掘り下げていくと、現在の帆布とはまったく違うものだったという事実にたどりつく。そこで神戸芸術工科大学の野口正孝教授に相談。「当時の帆布を復元しましょう」という提案を受け、松右衛門帆の復元プロジェクトがスタートした。

神戸芸術工科大学の野口正孝教授との第1回松右衛門帆復活プロジェクト会議

神戸芸術工科大学の野口正孝教授との第1回松右衛門帆復活プロジェクト会議

230年の時を埋めた、職人の技と心意気

「神戸大学の海事博物館に特別にご協力いただき、展示されていた生地から、野口教授に織の組織(構成)や糸の太さを調べていただきました。」
調べを進めるにつれ難題が次々に現れた。現代の規格には存在しない糸であること。経糸(縦糸)と緯糸(横糸)の太さや本数が異なるという独特の構造。極厚な生地のため、織れる織機も限られている。当時の帆布を復元するには、現代の工程に様々な工夫と、職人ならではの技術を活かすことが必要だった。
「西脇市の地場産業である播州織の職人『土田織布(多可郡多可町)』土田さんのお世話になりました。『やってあげよう』と挑戦してくださった土田さんの心意気と技術がなければ、松右衛門帆は復元できていません。」
230年の時を越え、日本最古の帆布に宿った新たな命。研究者の知識、職人の技術と心意気、そして柿木さんの熱い想いで、松右衛門帆は復活を遂げた。

播州織職人の土田さんの工房での松右衛門帆復元作業

播州織職人の土田さんの工房での松右衛門帆復元作業

パリっ子も驚かせたオリジナリティ

復元後、松右衛門帆はバッグになって登場する。
「県内の伝統産業技術の集結も、松右衛門帆製品の魅力のひとつです。」
歴史研究家や工楽松右衛門ファンなどから声がかかり始め、さらに市役所のPRや柿木さんの営業活動の甲斐もあり、松右衛門帆のバッグはじわじわと世の中に広まっていった。
「一般帆布との違いや歴史を説明することで、ストーリーが付加価値になっていきました。」
染色は多可郡、織は西脇市の播州織、なめした革はたつの市、縫製は豊岡市という伝統産業の産地を集結させた「オール兵庫」にこだわり、「五つ星ひょうご」の選定商品にも選ばれた。バイヤーの目に留まり、百貨店での販路も開け、現在では全国20店舗の小売店でも取り扱われている。また工楽松右衛門にゆかりのある広島県鞆の浦では、地元NPO法人が販売に協力。さらに今年度は、パリでの常設展示、テストマーケティングを実施する経済産業省近畿経済産業局の「Challenge Local Cool Japan in パリ」にも選定され、「こんなおもしろい生地は見たことがない」と上々の評価を得ている。
「周りの人には、苦労ばかりに見えていると思います。でも、僕は楽しいんです。」
そう言い切る柿木さんには、柿木さんならではの想いがある。

バッグを求めて遠方からも人が訪れる「御影屋」の店舗

バッグを求めて遠方からも人が訪れる「御影屋」の店舗

苦労さえも「ぜいたく」と思える学びと成長の場

「このプロジェクトに関わっていなかったら、産業機械部品の吹き付け塗装業という家業を継いだ、2代目の『ぼんくら』で終わっていたかもしれません」と話す柿木さん。
「いろんな人に出会っていろんな考えを聞きながら、自分も変えていくことができました。無い知恵は絶対しぼれませんからアンテナを張って学ぶわけです。いちばんの学びは、やったことのないことをやること。普通は塗装屋が、かばん屋や機屋(はたや)をやったりしませんよね。いろんなことを経験させてもらっていることが、何よりの対価です。今まで知らなかったことに取り組むので、どうしたらできるだろう、どんなやり方をしたら簡単につくれるだろうって、考えることが楽しくて仕方ないんです。松右衛門帆に出会っていなければ、成長もせず甘い考えで人生が終わっていただろうと思うと、ぜいたくなことをしていると思っています。」
一見、苦労と映ることさえも「ぜいたく」と語る柿木さんのモチベーションを支えるもの。それは、楽しみと同時に「意地」だった。

国際フロンティア産業メッセなど各地のイベントにも出店

国際フロンティア産業メッセなど各地のイベントにも出店

「成功」とは「継続」すること

「僕の中では、成功することが当たり前。惜しい事業だったなぁ~で終わらせては、協力してくれた人たちに失礼ですから。それが僕の『意地』です」と話す柿木さん。
「株式会社を設立したのも、事業を成功させるため。僕の言う成功とは『継続』です。絶対に途中でやめたくない。」
「地域ブランドとして生まれた物産品が、市場で順調に育ち続けるケースは本当に少ない。継続するためには製品にして販売し、産業として育てること。自立が絶対必要です」と柿木さん。後世に松右衛門帆を残すには、伝統工芸ではなく地場産業として育てなければならないと語る。
「僕たちはバッグを売るためだけでなく、松右衛門帆を、ひいては工楽松右衛門を世に伝えるために事業をしています。バッグを手にしてもらうだけで『松右衛門帆って何?工楽松右衛門って誰?』と歴史に興味を持ってもらい、『高砂といえば工楽松右衛門』という記憶を残してもらう。創意工夫が得意で、我が身を利することより、世の人の役に立つことを信念とした高砂が誇るすばらしい人物『工楽松右衛門』を、いろんな人に伝えることが町の活性化にもつながるはずです。」
柿木さんは、言葉に力を込めた。

「御影屋」の事務所兼作業場とスタッフ達

「御影屋」の事務所兼作業場とスタッフ達

出会い

「神がかっていると自分で思うくらい、すごいタイミングでやってきます。」
そう柿木さんが驚くほど、松右衛門帆の復元プロジェクトは、数々の出会いに支えられ導かれてここまでやってきた。
「行き詰った時、何かが足りないという時、必ず必要な人が現れたり誰かがサポートしてくれる。」
播州織職人の土田さんとの出会いがなければ、松右衛門帆の復元はなかった。生地を100%社内で生産できるようになったのも、「無理だ」と言われながら、一年で製織の技術者になった若いスタッフがいてくれたから。ネットショップ開設時には、数年ぶりにばったりと出会った知人が助っ人を紹介してくれた。縫製会社を探していた時も「おもしろそうだ」と大手企業が連絡をくれた。こんな偶然が、柿木さんには数限りなく起っている。
「NPOや青年会議所のメンバーとの出会いもそのひとつです。廃墟だった今の事務所を、半年かかって自分たちで整えました。それほど親しくなかった人たちまで、仕事が終わってから夜な夜なやってきて『何かすることないか?』って、朝まで手伝ってくれるんです。壁を立ち上げ、天井や床を貼り、電気を整え……。感謝しかなかったです。」

高砂青年会議所メンバーや友だちの協力で作業を進めた事務所の改装

高砂青年会議所メンバーや友だちの協力で作業を進めた事務所の改装

現在の事業所の外観

現在の事業所の外観

今、高砂市内では、まちを盛り上げるため、市内各地の団体が万灯祭、花火、バルをはじめ趣向を凝らした活動を続けている。それらのイベントを通じ、人をつないで出会いを生み、育て、継続することで、まちの新しい魅力をつくろうとしているのだ。
「兵庫の帆布から日本の帆布へ、松右衛門帆が育ち有名になれば、高砂市にも注目が集まります。みんなで一緒に高砂市を活性化させるモデルケースをつくりたい。」
「でもね」と最後に柿木さんが、つぶやいた。
「若いスタッフが、松右衛門帆を織っているのが悔しいんです。僕も織職人になりたい!」
柿木さんにもうひとつ、新しい「意地」が生まれていた。

(公開日:H29.10.25)

(公開日:H29.10.25)

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