*住民基本台帳(平成28年3月31日神戸市、4月1日明石市)データより
朝5時の目覚めから、入江さんの一日は始まる。バスに揺られて通う食堂の、厨房に立つのは朝7時。昆布とかつおぶしでとる出汁づくりからスタートだ。
「この活動を始めようと決めた時、自分の生活すべてを投入する覚悟はできていた」と言う入江さん。毎日がひまわり一色の生活だが「それが生きがいであり喜びです。悔いは全くありません」と明るく話す。しかしその一方で、「代表をやってくれないかと頼まれた時は、1カ月考えました」と打ち明けた。
その依頼が届いたのは、高校で家庭科教師を務めた後、短大で調理学や高齢者介護論を教えてきた入江さんが、現役をリタイアし、ゆっくり暮らそうとした矢先のことだった。迷った末、入江さんは代表を受けようと決断する。阪神淡路大震災後の宅老所でのボランティア経験と、福祉の研究で訪れたデンマークで触れた、介護の理想的な考え方に感銘を受け、地元で宅老所を開きたいと思い始めていたからだった。
「個人の尊厳を尊重した北欧の福祉の三原則(*)と、『もう一つの家族、もう一つの家』という考えがドスンときたんです。でも、調理だけでは宅老所の運営はできません。それならと、この依頼を受けようと決心しました。」
平成15年10月30日。団地の角の、元自転車屋の空き店舗。長い間下りていたシャッターが開き、「ふれあい食事処 明舞ひまわり」がオープンした。
*いかに心身が弱っても、①できる限りそれまでの生活が継続されるべきという「人生の継続性の尊重」②生き方や暮らし方は自分で決定すべきという「自己決定の原則」③まだ「できること」を認め評価する「残存能力活用の原則」
「ひまわりの料理は、昔の家庭料理の再現です。有機野菜や減農薬野菜、地元の魚といった食材や、やさしい味付けを大切にしています」と入江さん。食堂を利用するのは、一人暮らしの高齢者を中心に、障がい者からベビーカーを押す若い母親まで、地域の様々な人たちだ。
「地域の人なら誰でも一緒に食べられる『地域食堂』を目指しています。みんなが安心して来れる場所にしたい」と話す。
平成16年1月からは、常連の高齢者が外出できなくなったことをきっかけに配食サービスも始めた。年齢や健康状態に合わせ、ご飯を柔らかく炊き、おかずは細かく刻む。飲み込みやすい工夫や、減塩にも気を配る。できあがったお弁当はカラフルな風呂敷に包まれ、配達ボランティアの手から利用者の手へ渡される。
「お弁当を届けることは見守り活動でもありますから、絶対に手渡しです。でも、一回行っただけでは渡せないことも多いんです。利用者のほとんどが75歳以上の一人暮らし。耳が遠い方には呼び鈴に気づいてもらえなかったり、認知症の方にはドアを開けてもらえなかったり。徘徊者を配食車で追いかけたことや、一日3回立ち寄って夜9時にやっと渡せたということもありました。味噌汁の器を3つも4つも隠されて、一緒に探したこともあります」と笑う。また料理教室にも積極的に取り組み、独居男性に向けた「男性料理教室」は12年目に入った。
こうして年々利用者は増え続け、オープン当初は一日40食の提供だったものが、今では食堂と配食を合わせ一日180食にまで拡大。「こんなに永く続けられ、規模が大きくなるなんて思ってもみなかった」と、入江さんは15年前を振り返った。
「オープン当初は、私たちの食堂を快く受け入れてもらえない雰囲気もありました」と言う入江さん。しかし食堂では、席に着けば話が弾み、誰もが友だちになった。人のつながりの輪が利用者の間で大きくなるにつれ、病院の待合やディサービス、近所同士の集まりの場で、どんどん口コミで拡がっていった。その結果、3年が過ぎる頃には「ひまわりがなかったら、明舞団地はやっていけない」と言われる存在になっていた。
「地域の中で、最も安心なところだと思っていただいている、信頼してくださっていることが、一番うれしくてありがたかったです」と入江さんは言う。
中には、食事をする目的以外につながっていく人たちもいる。「ひまわりは、自分を受け入れてくれる。気が休まって居心地がいい」と、大阪や神戸から通う不登校の中・高生。夫を亡くし、一時は後を追うことを考えたが「よそのお弁当は食べる気力が湧かなかったけれど、ひまわりの食事は食べられた。私はひまわりに生かされた」と話す女性。
「継続することが、オープン当時から応援してくれる人たち、日々利用してくれる人たちへ、感謝の気持ちを表すこと」と話す入江さん。「こうして地域の人々が動いてくれるのは、一緒に活動するボランティアの皆さんの気持ちも、伝わっている証だと思っているんです」と言う。
入江さんとともに、ひまわりの活動を支えているのは、調理担当33名、マイカーによる配食担当11名、平均年齢68歳のボランティアスタッフたちだ。
「『しんどくて明日は行けないと思っても、朝起きたらやっぱり足が向いている』とスタッフは言います。お客さんの笑顔と『おいしかった』というねぎらいの言葉が、みんなの支えになっているんです」と入江さん。
食堂に食事に来たことがきっかけで「子どもが保育園に通うようになり、お昼の配食ができる」とボランティアに参加するようになった若い母親。そして「ここの料理が学びたい」とやって来た、ひまわりのお弁当を食べた30代の男性は、現在、ボランティアとして働きながら調理師免許取得に挑戦中だ。
「栄養のあるもの、安心できるものをつくること。食べてくれた人のつながりをベースに、弱体化・形骸化している地域活動を活性化すること。それが至上命令だと思って始めた活動です。地域のニーズや要請に応えるにはどうしたらいいかを、私たちは常にみんなで考えています。」
そう語る入江さんに、平成29年4月、また一つ新たな事業が加わった。明石市からの委託を受け、子どもから高齢者まで、誰もが気軽に立ち寄り相談できる場所「地域支え合いの家 ひまわり」としての活動が始まったのだ。
「『ひまわりがあっての明舞だから』という声が、いつしか地域の中であがるようになっていました。支えていただき、大きく育ててもらったひまわりを、やめるわけにはいきません。これからの大きな課題は後継者の育成。使命感だけではなく、人とのつながりも大切にできる若い人に、力を貸していただきたい」と語る入江さんの声は、とても力強い。
「ひまわりを頼りたい人には、とことんお世話をします。『心配してくれるのは先生だけや』とよく言われるんです。人の痛みがわかるためには、とことん付き合うことだと思っています。」
行政を頼ろうとしない人、家族に見放された人。そんな人たちにも徹底的に付き合ってきた結果が、一日180食という実績につながっていると言う入江さん。
「『私の最後の仕事として、ひまわりを立ち上げたい』と、それまでの仕事や社会活動で知り合った人に知らせた時、励ましのエールや寄付などが次々に送られてきてびっくりしました。人が何かを始めようとする時、その人のそれまでの生き方や人生が問われます。その場その場で、社会活動に真剣に取り組み、とことん付き合ってきたことの証だと思いました。」
そんな入江さんが大切にしているのは、「原点に立ち返る」ことを忘れないこと。
「行き詰まった時、また新しい方向へ向かう時は、必ず原点に立ち返ります。私たちの原点は『安心』『おいしさ』『栄養』の3つを兼ね備えた食事を、地域の人たちに提供することを通して福祉コミュニティをつくること。人と人をつなぐことが「食」の持つ力です。おいしいものを食べて心を満たし、健康で長生きしましょう。食べることは、生きることなんですから。」