横山恭子さん
丹波市豪雨災害被災地での支援活動
家中の家具が倒れ、割れた食器やガラスの破片が床一面に散らばっていた。平成7年1月17日、阪神・淡路大震災により加古川市の自宅で被災した横山さん。数日後、職場で募集された救援物資の仕分けボランティア派遣に思い切って参加した。 「小学生の頃、古切手を集めて海外へ送るという活動に関わったことがきっかけで、ボランティア活動に携わるようになりました。震災時のボランティア活動も、ただ誰かのために何かをしたい、困っている人の助けになりたいという気持ちからでした」 それから数年後、結婚し育児に励んでいたある日、加古川市に新たに発足する女性消防団の団員を募集する広報誌の記事を目にした。 「私のボランティア活動を間近で見てきた父が、応募してみたらと声をかけてくれたんです。震災当時の経験が活かせるかもしれないと思いました」 平成18年、横山さんは女性消防団に入団し、初代代表(分団長)を務めることになった。防火・防災の啓発活動に始まり、応急手当普及員として救命講習にも参加。警防活動の一環として独居老人の自宅を訪問するなど、女性団員としての親近感を活かした活動も増えていく中で、横山さんは自分自身が防災の知識をほぼ持ち合わせていないことに気がついた。 ある思いが芽生えていた。 「消防団は、人が倒れた時に助けに行く、火が出た時に消火するなど、事後の活動が中心ですが、防災は事前の啓発が大切です。防災の知識や技術をもっと学びたいと探すうち、見つけたのが防災士だったんです」 防災士の資格を取得した1年後、5年間活動を続けた消防団を引退。防災士として新たな活動を始めることになった。
加古川市消防団女性分団で活動する横山さん
防火・防災の啓発活動を行う横山さんを始めとする女性消防団
「実は、防災士の合格通知が届いたのは、東日本大震災が発生した日だったんです。知識を学ぶために取得した資格でしたが、あの大きな津波を見た時、防災士として活動することが自分に与えられた使命かもしれないと思いました」 防災士として行うべき地域活動を一年間コツコツと勉強した後、本格的に活動をスタートさせた。現在は、高齢者大学や自治会、子ども会、消防署や学校などで、年間50回ほど講演や講座、研修会、防災訓練を行っている。その中で横山さんが大切にしているのは、座学だけでなく参加者に体験してもらうことだ。 「ダンボールでベッドやトイレを作ったり、新聞紙で食器やスプーンを作ったりします。災害時に食事を摂ることは大切ですから、防災食の試食体験にも力を入れています。高齢者の方には、体操をしていただくんです」 手を使い体を動かして体験したことは、楽しい記憶として残るうえ周りの人との話題に上り、どんどん拡がっていくという。さらに、横山さんの講座や講演会は、女性として、また母親としての目線が活かされたユニークな内容であることも大きな特徴だ。
防災訓練参加者に実際に体験して頂くことを大切にしている(段ボールベット)
防災食の試食体験の様子
防災食の試食体験にも力を入れる
「女性は、家事や子育て、介護など自宅で過ごす時間が多いため、防災知識を持つことで家を守る一番の存在になれます。女性ならではの役割を活かせるんです」 身近にあるものを活用することで、普段の生活に防災活動を採り入れてもらえると話す。 「子どもには、身を守る行動をしつけの観点から教える『しつけ防災』です。例えば、避難する時におもちゃを踏んで痛い思いをしないよう、普段から片づけておこうと教えるのも防災活動。外から帰ると手洗い、うがいをしようというのは感染予防。信号は青で渡ろう、赤で止まろうというのも災害対応の防災対策になります」 その他、若い世代にはアウトドアでのレジャーを通した野外での生活体験や、バーベキューの知識を炊き出しに活かすなど、遊びの中で「生活を楽しむ防災」を。高齢者には、いつでも避難することのできる体をつくろうと呼びかけ、健康体操を取り入れた「若返り防災」を、それぞれ伝えている。 「主婦の目線も活かせます。例えば、非常持ち出し袋に入れておくものは、防災食じゃなくていいんです。普段食べている缶詰やレトルト食品、保冷剤代わりになる冷凍食品などを、少し多めに買い置くだけ。食卓におかずが足りなければ、非常袋の中の一品を使えばいい。毎日の買い物のついでに、一品買い足すだけで防災につながります」 こうした日常生活に防災の意識を採り入れることで、家族単位で防災を考えることにつながると横山さんは言う。 「普段から家族で話し合っておけば、家族の力で助け合うことができます。すると自衛隊や消防の力を救助が必要なところへ回すことができます」 さらに、地域としての防災意識を高める工夫も凝らしている。
身を守る行動をしつけの観点から教える『しつけ防災』
日常生活の中で身近なものを使って防災を学ぶ
「防災と地域活動は切り離せません。地域のつながりを上手につくるには、既存の行事に防災を採り入れることがコツです。例えば、ラジオ体操に人が集まる地域には、体操の後、朝ごはんの代わりに非常食の試食会を中心にした防災訓練を行います。待ち時間に炊き出しをすれば、食事の用意をする人たちも炊き出しの練習になるんです」 クリスマス会では「サンタさんが煙突から落ちちゃった」と言って救命講習を開くと、子どもたちが喜んで参加する。 「わざわざ防災訓練として募集をかけなくても、普段からたくさんの人が集まる行事の中でイベントとして行えば、みんなが体験してくれます」 とにかく、防災を楽しく学んでほしいと語る横山さん。 「遊びに来ているだけで、防災の技術が身につき知識が増える。楽しければ周りに声をかけてくれるし、参加しなかった人も次回のイベントに来てくれるかもしれない。そうやって拡げてもらうことが大切です」 横のつながりが希薄になっている現代、まずはその場に参加することが第一歩。地域の中で知り合いが増え、いざという時に相談ができるとわかるだけで、地域への安心感が生まれていく。 「阪神・淡路大震災で、家が揺れ続ける真っ暗な中で聞いた、モノが壊れる音や人の叫ぶ声が、ずっと耳に残っています。そんな不安な中で、できないことばかりではもっと不安です。災害に遭遇した時、訓練で体験したことを思い出すだけで光が見えてきます」 いざというときの安心感につながる防災活動の体験。横山さんには、それを伝えたい人たちがいた。
子供会のイベント行事に参加して防災の普及啓発を行う
防災を楽しく学び、地域の中で相談し合える繋がりを作る
防災介助士の資格も持つ横山さん。その資格を活かし、災害弱者のための防災訓練を全国的に広げる活動をしたいと話す。そのスタートとして、身体障害者とその家族や支援者を対象とした避難訓練を、今年2月に初めて行った。 「昨夏の西日本豪雨で目にした光景がきっかけでした。病院から患者さんたちが自衛隊のボートに乗せられて搬送されていたんですが、重度の身体障害者はボートに乗れません。また、水が引いた後は一面が砂だらけで救急車が近づけず、車椅子ごと抱えて避難しなくてはいけませんでした。自分が避難する時、何人に手伝ってもらい、どれくらい時間がかかるのか、体験してもらいたくて企画しました」 通常の避難訓練では、障害者は危険を回避するため優先的に外に誘導されるため、混乱した状況の中での避難体験の機会が少ないという。 「机の下に潜れない障害者を、誰がどう守るのか。人を守りながら自分の身を守る方法はあるのか。車椅子を抱えて階段を降りる体験もしていただきました」 自分は何を準備しておけばいいのか。避難所に行かなくても生活できるような家づくりや、支援事業所などとの連携づくりは、どうすればいいのか。どこにいけば支援が受けられるのか。 「日頃から調べ、考えることの大切さに気付いてほしかった。防災のスタートは気付くことです」 気づき、考え、準備することで安心につながる防災への取り組み。そこには、もう一つ大切な基本がある。
車椅子を抱えて階段を降りる等、身体障害者とその家族や支援者を対象とした避難訓練
車椅子利用者の方とそのご家族に防寒対策をアドバイス
「防災の一番の基本は、人をつなぐことです」 防災士は人と人、住民と行政など、いろいろなところでつながりを作るパイプ役だと横山さんは語る。 まもなく発生から5年を迎える丹波市の豪雨災害でのことだった。 「制服で活動していると『防災士って何をするの?』と、よく声をかけられました。その時、説明を聞いてくれた人たちが防災士の資格を取り、被災地支援から防災士の輪が広がっていったんです」 さらに、ボランティアを助けるボランティアも生まれていった。 「作業をしているボランティアを支えていたのは、炊き出しに来てくれた地元のレストランをはじめ、地域の人たちでした。後ろへ後ろへ人のつながりが広がっていきました」 「防災士の活動を通して、人と人をつなぐ役目ができているのだなと思う」と言う横山さん。知らない人同士が防災活動を通して仲良くなり、つながった人たちがさらにつながる人を広げてほしいと話す。 「自分にどれだけのことができるのか、やってみないとわかりません。それでも私がチャンレンジしたことで、みんなに笑顔が生まれてほしい」 あの日受け取った防災士としての使命は、横山さんの中にしっかりと息づいている。
(公開日:H31.03.25)