大西賞典さん
「おっ! 今日は何や?」
大西さんの姿を見つけた人が、笑顔で言葉をかけていく。
「兵庫県の取材です。」と答える大西さんに、通りすがりの車からも会釈が送られてきた。住人同士が気軽に挨拶を交わし合う、加古川グリーンシティでの当たり前の風景だ。
「私たちが防災に取り組むまでのマンションは、挨拶もない、コミュニケーションもない、敷地内の道路は路上駐車でいっぱい、夜になると暴走族が入ってくるという荒れたまちでした。もともとマンションは、コミュニティが作りにくく防災対策が取りにくいと言われていました。ところが我々の取り組みが成功事例になると、コミュニティが作りやすく防災対策も取りやすいと変わっていったんです。」
マンションの防災に対する常識を塗り替えるきっかけになったのは、防災活動を始める際、何のために備えるのかという定義づけをしたことだったと言う。大西さんたちが導き出した防災の定義。それは「災害のために備え、対策を行うもの」というこれまでの概念を、大きく覆すものだった。
写真撮影中、大西さんの姿を見つけた住民が言葉をかけ、それに答える大西さん。
およそ1,800人が暮らす大規模マンション群「加古川グリーンシティ」
防災会の立ち上げは、平成10年、管理組合の理事会後に有志で開いた懇親会がきっかけだった。
「自分たちが仕事で家を空けている間に災害が起こったら、誰が家族を守ってくれるんだろう。自分たちのバックアップをしてくれる守り手を増やすためにも、住みやすいまちづくりのために、防災に取組むことが必要だったんです。」
「台風、地震、津波……みなさん災害は好きですか? 好きでもないものに、今後10年も20年も継続して大切な時間やお金を使えますか? 自分の大切な人を守るために防災をしましょう。」
住民の間では、防災への取り組み方について議論にまでなっていたが、大西さんの呼びかけでみんなの想いは一つになっていった。
「防災は、自分たちのまちを守るためのものだと言う必要はありません。自分“たち”という時点で、誰かがやってくれるだろうという発想になるからです。」
こうして平成10年12月、同い年の子どもを持つ保護者10人を中心にチームを結成。翌年2月、管理組合の理事会主催による初のもちつき大会を開催し、防災会が少しずつ動き出した。
防災会議の様子。
住民が参加する防災訓練。
もちつき大会からおよそ8ヵ月後、救急救命法の講習会を開催した大西さんたちは、さっそく壁にぶつかった。受講者が50人ほどしか集まらなかったのだ。
「防災への意識はこんなものなのかと、ちょっと落胆しました。」
そんな時、加古川市主催の防災講演会で、大西さんはヒントに出会う。
「阪神・淡路大震災当時、尼崎市の消防局長だった方が、地域の人たちの趣味や仕事を防災に役立てようと話されたんです。」
すぐ当時の理事長に相談。非常時に役立つ自分の特技や資格などを事前に登録する「町内チャンピオンマップ」の作成が決定し、医師、看護師、一級建築士、電気工事技師といった専門職を中心に、登録者250人による協力体制を整えた。さらに数年後には「登録したいけれど、チャンピオンって言われるほどじゃない。」という主婦の一言をきっかけに、誰もが持っている「力こぶ」をモチーフに、どんな人でも参加できるという意味を込めた『ちからこ部』という部活動にしたところ、登録者が一気に800人に増加。力仕事ができるという高校生や、小さい子どもと遊べるという小学生も加わった。
「今では新規入居者の登録率はほぼ100%、活動を代表する防災メニューになりました。現在は多すぎて正確な数はわかりません。」と大西さんは笑う。
子どもも高齢者も、防災に無関心な人も、誰でも自然と防災に関わってしまう防災会。その背後では、関心のなかった近隣同士の関係にコミュニケーションを生みだすための工夫が重ねられていた。
もちつき大会は、炊き出し訓練の一環として、防災活動を通して地域の人とのふれあいやつながりを図っている。
子どもから高齢者までたくさんの人が参加し、子どもたちに「おもちつき」の文化も伝承している。
その一つが、夏休みや冬休み、春休みを利用して小学生たちと一緒に行う「防災夜回り」。敷地内のパトロールの他、ゲームや映画鑑賞会、サッカーワールドカップ観戦会などを開催。子どもたちとのコミュニケーションを図るとともに、保護者たちに防災会活動への理解を深めてもらうための恒例の活動だ。当初10人だった参加者も、今では約50人になった。
中でも最も重要な役割を果たしたのは、挨拶だったと大西さんは話す。
「エレベーターにポスターを貼り、『あいさつ運動』を始めました。」
ここでも大きな後押しになったのは、子どもたちだった。
「運動を始めた当初、エレベーターなどで挨拶を返さない人がいると、『挨拶せな、あかんのに~!』って同乗していた子どもたちが一斉に叫ぶんです。叫ばれた人は慌てて頭を下げていました。挨拶をしない大人への注意喚起を繰り返した子どもたちは、すごかったです。」
そんな様々な取り組みが実を結び、住民同士が声をかけ合うコミュニティが徐々に形作られていった。
「水、ガス、電気ももちろん大切ですが、防災ではそれ以上に人が重要なライフラインです。コミュニティをしっかりつくり上げれば、災害発生時にも自分たちで行動を起こせますから。」
こうして住民たちの間に育ち始めたコミュニケーションをもとに、大西さんは多彩な行事やイベントを活用することで、コミュニティの活性化を図っていった。
夏休みや冬休み、春休みを利用して小学生たちと一緒に行う「防災夜回り」
夏祭りに集まる大勢の人。多彩な行事やイベントを活用し、コミュニティの活性化を図っている。
「今年の夏祭りもたくさんの人が出てきてくれました。遊びでも買い物でも、参加することやみんなと交流することが、防災活動への協力だと誰もが思っているんです。」
こうした管理組合の理事会が主催する防災会のイベントで欠かせないものが、マンションに常備されたイカ焼き器だ。
「高速炊飯器で500人分のご飯が炊きあがる頃には、2台のイカ焼き器で焼けるイカ焼きを、すでに498人が口にできています。高速炊飯器より効率よく炊き出しが行えるんです。そのうえ、肉でも玉子焼きでもホットケーキでも、何でも焼けますしね。」と大西さん。さらに焼く人と並ぶ人がコミュニケーションをとれることで、非常時にもパニックを防ぐメリットもあるという。またイベントを手伝うことで自然と焼き方を覚えるため、わざわざ炊き出し訓練を行う必要もない。
こうした日々の暮らしに溶け込んだ防災は、ハード面の整備にも活かされている。マンションの敷地に入ってすぐ目に入る井戸もその一つだ。平成18年7月、住民たちの要望を受け、深さ30メートル、毎分140ℓの水が湧き出る「防災井戸」を完成させた。
「過去の震災での災害関連死は、トイレの我慢が疾病やストレス、既存症の重症化につながり死に至るというケースが多いと言われています。さらに阪神・淡路大震災で被災された住人から『生活用水がなくて困ったから、早急に井戸を掘ってほしい』という声が上がったこともあり、井戸の掘削を決めました。」
また、井戸を公園に整備したことで、自然に住人たちが集まる場にもなった。
「私が井戸掃除を始めると、声をかけに来てくれる人や差し入れをしてくれる人、手漕ぎポンプで遊ぶ子どもたちもやって来ます。掃除が済んだ後は井戸端会議が始まり、ものすごくいいコミュニケーション空間になるんです。」
冬になると、子どもたちの提案でイルミネーションが輝く。
「要望を聞くことで、子どもも大人も関係なく、自分は間違いなくこのまちをつくっているメンバーだという意識を持ってもらえます。このマンションで起こることは全部がコミュニケーションであり、防災訓練です。」
何かを生み出し継続することは、新たな派生につながることがわかったという大西さん。例えばラジオと書籍による啓発活動もその一つだ。
夏祭りなどのイベントでは欠かせない、マンションに常備されている「イカ焼き器」
平成18年7月に完成した、マンションの敷地内にある「防災1号井戸」
「災害後、語られることのなかった教訓を伝えるお店として本日もオープンします」
地元のFMラジオから、軽やかなジャズのBGMとパーソナリティを務める大西さんの声が聴こえてくる。毎月第2土曜日と第2日曜日に放送中の、防災会のラジオ番組「防災ショットバー」だ。防災への啓発活動の一環として、平成19年に防災インターネットラジオ局を開局。翌年の地元FMラジオ局とのコラボレーション企画をきっかけに放送が始まった。
「最近では町を歩いていると、放送の内容が役立ったと声をかけられることも増えてきました。」
また、関東地方の青年会議所や中国地方の消防局などでは、防災ショットバーの放送データを基に、ラジオ番組の放送も行われているという。
一方、平成21年に完成したのが「非常持ち出し本DIB」。災害に遭遇した時のために、何を備えておけばいいのかが一冊にまとめられた防災ハンドブックだ。地方新聞に紹介されたことでインターネットを通して広く知られることとなり、全国から送付依頼が殺到した。
「忘れないためには繰り返し伝えることが非常に大切なので、昨年リニューアル版を制作しました。特に、緊急通報先や家族の電話番号といった最も忘れてはいけないものは、自宅に設置するものに記録しておくほうがいい。」
さらに防災会の活動は、東京へも広がりを見せ始めている。
「東京で講演を行う時は、マンションの防災に関心のある仲間が集まって、飲み会を兼ねた勉強会が開かれます。まじめに取り組まなくちゃいけないと思われがちな防災も、楽しく取り組んでいいんだという追い風を運べているのではないかと思っています。」
学ぶ防災から、楽しみながら行動する防災へ。独自の視点と取り組みで、防災活動に変革を起こした大西さん。それは防災が、人と人とのつながりがあればこそ成り立つものであることの証明でもあった。
ラジオ番組「防災ショットバー」の収録の様子。
日常の備蓄や備えをまとめた「もしもノート」、緊急通報先など大切な情報を記録しておく「もしもブック」、地震発生時に取るべき行動を記した「もしもガイド」。現在は新たに水害編を制作中。
「空間をまちにするためには、人が住まなければならないと考えると、まちとは人のことだと言えます。そのまちを楽しいものにするためには、コミュニケーションを図らなくてはいけません。つまりまちづくりとは、人づくりだと気が付きました。」
防災に取り組み始めて以来、加古川グリーンシティでは人間関係が変わってきたと話す大西さん。
「かつては管理組合の理事に就いてくれる人を選ぶのが大変でしたが、今では『やりますよ』と言ってくれる人が増えました。老朽化し始めた外壁の修繕など同意が取りにくい大規模な提案も、皆さんにすんなり承諾していただけます。それは、このマンションには正しい方向を見てくれている人たちがいて、きちんと運営してくれるチームがあると、みんなが信頼し合えるようになったからです。」
それを実感したのが数年前、防災会の活動当初から続くもちつき大会でのこと。土砂降りの雨にもかかわらず、早朝から自転車置き場にブルーシートを張り、自主的に準備を始める住人たちの様子を目にした時だった。
「あの雨の中でもちつき大会をやろうなんて、誰も言わないだろうと思っていたんです。でも、指示を待たずに自ら行動を起こすみんなの様子を見て、これができるなら災害にも十分対応できると確信しました。加古川グリーンシティには、たまたま防災というきっかけがあっただけ。住民主体の強いまちづくりができたことが大成功です。」
そんな大西さんは今年11月をもって、21年間務めてきた防災会の会長職を退任する。
「新しい防災会のスタートを楽しみにしているんです。新たなアイデアを提案してくれる人が現れたら、全力でサポートしていきたいと思っています。」
今後も住民ひとり一人が防災を自分のこととして捉え、気持ちを一つにして活動に取り組むために、大西さんが一貫して大切にしているのは「楽しむ」ことだ。
講演会で防災について話をする大西さん。
子どもたちも参加する防災訓練、消火器の使い方について、子どもから大人まで指導を受けている
「当初は、『楽しい』防災なのか『楽しく』防災なのか議論になりました。前者は『楽しい』といった時点で結論が出ているため、結果ありきのものになってしまいます。一方、後者の『楽しく』は、結論が出るまでいろいろなことを行う過程が楽しめるということです。すべてにおいて楽しさを継続するために、『楽しく防災活動』というモットーが生まれました。」
そんなプラスの言葉を使うことを、大西さんたちが心がけるようになった背景には、もう一つ理由があった。
「防災会を立ち上げたばかりの頃は、まだ阪神・淡路大震災の傷も癒えていない時期でした。講演会で話をすると『何が楽しくや』と厳しいお叱りを受けたこともあったんです。でも私たちは絶対に楽しく防災活動を続けたかったんです。『楽しく』という言葉を、モットーから外すわけにはいきませんでした。」
数年後、「活動を教えてほしい」と言ってきたのは、その講演会で苦言を発した人だった。
「その方とは、今もずっと連絡を取り合っています。プラスの言葉を発信すれば、人が集まってくるだけではなく、心が離れないんだと確信した出来事でした。」
「楽しく」の言葉に込められた大西さんたちの想いは、信頼という地域力になって広がり続けている。誰もが大切な人を守り合う防災であるために。
(公開日:R1.08.25)