八木正邦さん
早朝5時。株式会社ささ営農の一日は、まだ朝露が光るバジルの摘み取りから始まる。
「6月から9月前半までは、バジルの生産・加工の最盛期です。手で摘み取ったバジルを、新鮮なままペーストに仕上げます。露地栽培ならではの風味の豊かさが自慢です。」
そう語るのは八木正邦さん。たつの市をバジル産地に育てた立役者だ。
バジルの露地栽培。香りをしっかり残すために露地栽培にこだわる。
平成8年当時、八木さんが暮らす笹野地区は農地存続の危機を迎えようとしていた。
「農業者の高齢化と後継者不足で、所有者が農地を管理できなくなっていました。どうしたら放棄田にすることなく管理ができるのか何度も話し合いを重ね、ほ場整備(*)を行って営農組織(*)を立ち上げ、地域で力を合わせて農地管理をしようということになりました。」
こうして平成14年、八木さんを組合長に32ヘクタールの面積と82名の組合員を抱える、ささ営農組合を設立。しかし、農地管理の担い手の中心が高齢者であることに変わりはない。当時、会社に勤めていた八木さんは、出社前や退社後の時間も、休日さえも組合のために費やす生活を送ることになった。
そんな状況に「農業は株式会社で行う時代」という兵庫県農業会議からのアドバイスもあり、「法人化が必要だ」と考えた八木さん。所有と経営の分離ができる株式会社なら、地域全員の同意を必要とする営農組合より意思決定が迅速に行えると判断。平成18年7月、組合長を務めていた八木さんが代表取締役に就任し、ささ営農組合は株式会社ささ営農として新たなスタートを切ることになった。
*ほ場整備:水田や畑の区画を整理し、農道や用・排水路の整備などを行なうことで、農地の基盤を整える土地改良。
*営農組織:集落単位で農家が各自の農地を持ち寄り、共同で農機具を所有したり、農作業を行ったりする組織。
「はさがけ米」は全く農薬を使わず昔ながらの製法で栽培。「ひょうご安心ブランド農産物」に認定されている。
米を中心に、小麦や大豆、とうもろこしの栽培・生産などを手がけていたささ営農がバジルと出会ったのは、法人化する2年前のことだった。
「県内の食品加工会社が、バジルソースの原料にするバジルを兵庫県で栽培できないかと言っている。」
そんな情報を耳にした八木さん。バジルの知識は一切なかったが、女性組合員たちの仕事づくりとして、迷うことなくバジル栽培に着手することを決めた。「バジルと出会っていなければ、今のささ営農はない」と八木さんは断言する。
バジルには化学肥料は一切使用せず、葉も全て手作業で朝摘みすることにこだわる。
大きな転機が訪れたのは平成23年。ささ営農に対して「工場を建て、収穫したバジルをペーストに加工してほしい」という食品加工会社からの提案がきっかけだった。億単位の資金が必要な事業に、さすがの八木さんも迷った。一度は断ったが、食品会社からは再度オファーが届く。迷いながらも検討を続けたのは、6次産業化に向けた桑の実の加工事業を経験していたこと。決断の決め手になったのは、競売に出ていた工場跡地の落札に成功したことだった。
「バジル工場は、ささ営農が取り組みなさいというメッセージを受け取ったのだと思いました。」と八木さんは振り返る。
こうして平成26年3月、食品会社の協力のもと工場が完成。ささ営農ではバジルの生産事業に加え、ペーストの加工製造までを請け負う加工事業へとフィールドを拡大。今ではバジル以外の野菜を使ったペースト製造を請け負ったり、スープやリゾットの製造にも挑戦するなど事業もどんどん展開している。
「加工場の建設が地元の雇用につながりました。また、バジルを増産するため『たつのバジル生産部会』を設立したことで、国内有数のバジル産地として知られるようにもなりました。」
農地を核にした地域づくりが、少しずつ形になっていった。
自社工場で作られたバシルペースト、生産から加工まで自社で行うことで新鮮なまま、ペーストに仕上がる。
バジルペーストの製造過程。
地域で力を合わせ農地を守る計画は、実は最初のほ場整備から始まっていた。
「ほ場整備は農地整備だと思われがちですが、私たちは地区の整備として話を進めました。」
当時八木さんの地区には、田んぼに囲まれた家の周囲にはあぜ道しかなく、他人の私有地を通らなくては町道に出られない世帯や、自宅裏の土地が利用できないままの世帯が多かったという。
「ほ場整備で道路を通せば、使えていない土地が利用できるようになると伝えると、ほとんどの人が賛成してくれました。」
また、農地の保守管理を地区の全世帯で行っているのも特徴だ。自治会が中心となり、老人会やPTA、田んぼを所有していない世帯も巻き込み、地域がひとつになって水路の掃除や草刈りを行う。
「放棄田を一枚もつくらず管理することを約束する一方で、地域の皆さんには農地整備への協力をお願いしてきました。農地に関わる機会が無くなることで、所有者の関心が田んぼや農業から離れてしまうことを防ぐためです。田んぼへの無関心は、農地を守ることだけでなく、地域そのものへの関心も無くなっていくことを意味しますから。」
地域の人々の関心を農業から完全に切り離してしまわないことが、地域を守るために必要だと言う八木さん。さらにもう一つ大切なことは、若い人たちが農業に携わりたいと思える土壌をつくることだと訴える。
生徒たちが小学校近くの田んぼで「推奨米」の稲刈りを体験。
放流したメダカを救出する生徒たち。
「めだか米」は小学校の生徒とメダカを放流した水田で農薬使用を減らし栽培。「ひょうご安心ブランド農産物」に認定されている。
今年、ささ営農では会社の将来を担う人材を育てようと、インターンシップで高校生たちを受け入れた。来春には、農業高校を卒業する生徒の入社も内定している。
一方で農業高校を卒業しても、農業を就職先に選ぶ生徒はごく少数だという。
「正社員として農業に携わることのできる職場がほとんどないからです。異業種に就いてしまうのは、本当にもったいない。」
責任を持って彼らを受け入れることのできる就農先を、増やさなくてはいけないと八木さんは言う。
「それは企業だけではありません。地域も若い人を受け入れ、地元に住んでもらうための工夫が必要です。人が集まって初めて農地は守れます。どこの集落も若い働き手不足で困っていますが、まずは働く場所と、農業で生活ができる状況をつくってやらないと、農地も地域も守り続けることはできません。」
収益を上げる経営としての農業と、地域を維持するための農業。2つの視点で農業を捉え、常に新しい挑戦を続けてきた八木さん。その背景には、自らを鼓舞し続けながら、ひたすら前へ走り続けた日々があった。
株式会社ささ営農の未来を担う中心的存在、専務取締役 竹北貢さん。
2015年にはミラノ博に出展、ひょうごプロモーションの一環として「兵庫県産バジル」をPRした。
営農組合の立ち上げ直後、冷夏や台風の影響で米の不作が続いた。バジルの加工を始めた矢先、思わぬ不作で多額の損失が発生した。決して順風満帆ではなかった日々も、この言葉で自分を奮い立たせてきたと話す八木さん。中でも最も背中を押されたのは、加工場の建設だったという。肩にのしかかる責任の大きさに、代表取締役の押印さえもためらいを隠せない中、「とにかく前に進もうと…。最大の決断でした。」と振り返る。
「農業も経営も素人の私たちが、工場を建て10人を超える社員を抱える企業になれました。忘年会に集まる50人もの人たちを目にすると、たくさんの人に応援されている重みをひしひしと感じます。」
「地域のために、よくそこまでできるな」と、他人に笑われることもある。
「盆も正月もないくらい働き続けてきたことが、良かったのかはわかりません。でも、今までやってきたことに悔いはありません。」ときっぱり言い切った。
「農地を守るためには、収益が上がる農業を形にすること。収益を上げるためには、確実な出荷先を持った事業を整えることです。例えば、食品会社が求める野菜をたつの市の集落営農組合それぞれで生産し、一カ所に集めて加工し出荷する。そんな地域の枠を超えた連携ができる、大規模な事業を形にすることが次の目標です。」
農業に取り組む若い後継者が育ち、地域が一つになって農地を守り続けることができるか。
「お前ならきっと出来る、落ちこむな!!」
今日も自らを勇気づけ、八木さんは前へ、前へ進み続ける。
(公開日:R1.10.25)