目次
一宮町繁盛地区で、廃校をゲストハウスに
リノベーション。地元と都市部の
積極的な交流で、地域の活性化に挑戦!
一宮町繁盛地区で、廃校をゲストハウスに
リノベーション。地元と都市部の
積極的な交流で、地域の活性化に挑戦!
兵庫県宍粟市の最北部、揖保川源流の清流と1,000メートル級の山々を有する自然豊かな一宮町繁盛(はんせ)地区。
平成28年、地元の繁盛小学校が143年の歴史に幕を閉じたことをきっかけに、地域創生への取組を始めた。「繁盛」という地名のブランド化をはじめ、米や甘酒の特産品化や自然体験事業の他、旧小学校をゲストハウスとして活動拠点に活用。
令和2年には地元と都市部の有志、地域おこし協力隊との連携によりNPO法人More繁盛(以下、More繁盛)を設立し、「おもしろき、繁盛をもっとおもしろく」のスローガンのもと、地元にあるものを活かしたユニークな地域づくり活動に取り組んでいる。
【NPO法人More繁盛】
加速する地域の高齢化と人口減少に危機感を抱いた、繁盛地区8自治会の有志たちが、平成28年に繁盛地区まちづくり協議会More繁盛を結成。
令和元年より旧繁盛小学校の再活用をスタートし、地域内外の交流拠点として整備を進め、生産・加工・販売・商品企画・イベント企画・旅館業の6部会により、特産品開発やイベントの企画・運営を行っている。
令和2年には、地域が直面する課題を独自の発想で解決し、住み良い地域社会づくりに取り組む団体として、「あしたのまち・くらしづくり活動賞 兵庫県奨励賞」を受賞した。
消滅に向かうふるさとを、みんなの手で守ろう!
「私たちの地域が消滅に向かうのを、このまま何もせずただ待つだけでいいのか?」
繁盛小学校の閉校が決まった時、「自分の地域を守りたい」という想いが、繁盛住民の中にふつふつと沸き立ち始めた。
「若者は都市部へ出ていき、地域の少子高齢化はどんどん進んでいました。宍粟市も消滅可能性都市(*)の一つに挙げられていたんです。」
More繁盛の副理事長で、当時、繁盛地区の自治連合会長を務めていた梶浦廣人さんは、「住民が少しでも楽しく生活できる地域を守ろう」と、地区の8つの自治会の会長たちに声をかけた。その中の一人が、現在More繁盛の理事長を務める米田正富さんだ。「先の見えない状況の中、やれるだけのことをやろうという想いでした」と振り返る。
梶浦さんは8人の自治会長と共に、地域活性化委員会を設立。立ち上げのイベントを、繁盛小学校の閉校式の日に合わせて開催することにした。閉校式には地域住民も参加するため、繁盛地区の活性化活動を始めることを周知する場にふさわしいと思ったのだ。 平成28年3月26日、閉校式の後に開催したイベントには約200人の地域住民が参加し、「繁盛地区を守るために、みんなで頑張ろう」と盛会のうちに終了。しかしその数日後、すでに委員会は存続の危機に直面することになった。
*消滅可能性都市:民間有識者らでつくられた「日本創成会議」が、平成26年に発表した独自の試算で、2010年から40年にかけて、20~39歳の女性の数が5割以下に減ることで少子化や人口移動に歯止めがかからず、将来的に消滅する可能性がある自治体を指す。
地域の中にあるものを、地域づくりに活かしたい
初めてのイベントを終え、委員会では新たな企画に向けて動き始めるはずだった。
「しかし、その会議では『あんなに大変だったイベントを、また開催するなんて無理』という後ろ向きな意見ばかり出たんです。自治会の会長は2年ごとに交代するため、そのたびに委員会のメンバーも入れ替わります。活動を続けていくには、同じ想いを持った専属メンバーが必要だという結論になりました。」と米田さん。
こうして平成28年4月、米田さんや梶浦さんに声をかけられ集まった有志や、メンバー募集に応じた人たち13人で、繁盛地区まちづくり協議会More繁盛を結成。地域づくりに向け、再出発を図ることになった。
「活動を始めるにあたり、すべて地域の中にあるものを活用しようと決めました。地域に目を向けることで、自分たちの手で地域を変えるんだという意識を、住民みんなに持って欲しかったんです。」と梶浦さんは言う。
しかし、自分たちの地域のどんなものが、地域づくりにつながるのかわからなかった米田さんたちは「地域おこし協力隊を呼ぼう!」と協議会のメンバーたちと相談。平成29年9月、繁盛地区に着任した地域おこし協力隊員との出会いが、地域の大きな転機につながった。
「米づくりが好きな協力隊員だったんです。いつも食べている繁盛地区の人は気づいていなかったおいしさを協力隊員に教えられ、初めて自分たちの米の価値がわかりました。」と、More繁盛の事務局長を務める福原祥雄さんは言う。 地元の「いいもの」を再確認しながら、地域づくりにつながるものを発掘し特産品化を目指そう。そんな想いで企画したのが、地元有志たちが地区で採れた農産物などを持ち寄って出店するイベント「秋穫祭」や、繁盛でとれた米でつくったおむすびを楽しむ祭り「おむすび食堂」。今では定期的なイベントとして、地域内外の交流を生むきっかけになっている。
そんな協力隊員の着任と同じ頃、More繁盛の「仕掛け人」と呼ばれる人物が活動に参加することになった。
地域の中にあるものを、地域づくりに活かしたい
「実は、娘婿です。」と福原さんが紹介するのは、「外から吹いた新しい風」と称される石本泰之さんだ。
「妻の故郷なので、いつの間にか私も活動に関わっていました。」と笑う石本さんは、神戸市在住。毎週末に車で2時間かけて繁盛地区に通いながら、More繁盛のマネージメントに携わっている。
石本さんと協力隊員が、地域の特産品として最初に提案したのが、減農薬や無農薬栽培米のブランド化だった。米づくりに取り組む農家の西村昌三さんや田中栄次さんは「無農薬で米をつくりたいと言われた時は、戸惑いました。」と当時を振り返る。住民たちは不安を抱えながらも、「とにかく一度やってみよう」と減農薬米や無農薬米の栽培に挑戦。その結果、兵庫安心ブランド(*)の認定を取得した減農薬コシヒカリと、無農薬栽培のイセヒカリを「繁盛米」というブランド化に成功。農協へ出荷するだけだった米を、自分たちの手で販売する特産品として扱うようになった。
「新しいことに挑戦するハードルをひとつ越えられたのは、協力隊員と石本君の発想があったから。」と田中さんは語る。
令和2年からは、この繁盛米と緑米(古代米)をブレンドした甘酒も商品化。無添加の手づくり甘酒として、神戸市や姫路市の物産館などを中心に販売数を伸ばしている。さらに桑の古木を活かし、摘み立ての葉を手もみで製茶した「桑茶」など、繁盛地区ならではの特産品化に積極的に取り組んでいる。
一方、地域外との交流機会を増やそうと、令和元年から取り組むのが自然体験事業だ。都市部から家族連れや外国人も参加する無農薬米の田植えや稲刈り体験の他、地元のひょうたん栽培・加工の名人に指導を受けた、手づくりひょうたんランプのワークショップなどを開催。これらの体験事業に、令和元年は地域外から年間約140人の参加者が訪れた。
令和2年は、新型コロナウイルス感染拡大予防のため、すべてのイベントが中止になってしまったが、令和3年には新たな取り組みとして、積極的に繁盛地域の外へ出て、ひょうたんランプづくりのワークショップをはじめとする様々なイベントの開催を検討している。
「新しく設計するのではなく、この地域に昔からあるものにアイデアを添え、付加価値をつける発想です。」という石本さん。その中で特に代表となるものは、繁盛地区という地名のブランド化だ。
*兵庫安心ブランド:化学肥料・農薬3割低減等生産方法、品質等に個性や特長、地域性があり、かつ食品衛生法等の遵守などの基準を満たした「ひょうご推奨ブランド」の審査基準に加え、化学肥料・農薬の使用を5割以上減らし、残留農薬等が国の基準の1/10以下とするなど厳しい基準を満たした安心感のある食品を兵庫県が認定。
「繁盛(はんせ)」という地名こそ、私たちの宝物
「この地域には、観光資源になるような特別なものは何もありません。あるもので勝負しようと最もオリジナルなものを探したら、地名がありました。『繁盛』という地区の名前は、廃校になった旧小学校と郵便局にしか残っていません。繁盛村として栄えた縁起のいい地名を、ブランドとして浸透させようと思いました。」
そう語る石本さんがブランド化の先に目指すのは、観光拠点としての繁盛地域だ。
「すでに多くの観光客を誘致している姫路や朝来、京都府伊根町などの地域と連携し、相互に観光客が移動する仕組みをつくりたい。周辺地域の観光名所へのハブ(経由の中心地)として、繁盛地区を位置付けたいと思っています。」と言葉をつづけた。
その取組の一環として進めているのが、観光拠点を視野に入れたゲストハウス繁盛校のオープンだ。More繁盛が活動拠点としている旧小学校を、地域住民同士や、繁盛地区を訪れる人と地元の住民たちが気軽に交流できる空間になるように、宿泊機能に加え、里山レストランやコミュニティバー、喫茶や図書室も併設してリニューアル。もてなしと集いの場として、令和3年春のオープンを目指し準備が進められている。このゲストハウスの改修費として、令和2年12月22日から令和3年3月1日までクラウドファンディングにも挑戦中だ。
「旧小学校跡が様々な活動の場になって欲しい。田植えや稲刈り体験にやって来た都市部の人の、食事や宿泊の場所としてだけでなく、高齢者をはじめ地域住民が集える活動拠点になって欲しい。」と話す福原さんの言葉通り、活動拠点としての旧小学校のリニューアルを喜ぶ人たちがいる。
「More繁盛のためなら!」
地域住民の心がひとつになっていく
「過疎化が進み、地域の住民が少なくなっていく中、『みんなで集まれる場所ができる』と、喜びの声をいただくんです。『イベントはないの?』って、楽しみに待っている人もいるんです。」とMore繁盛の理事の一人、中尾美恵子さんは言う。
米田さんは「活動を始めた当初は『何を始めたんや?』と、遠巻きに見ている人がほとんどでした。協力隊員を中心に作成した『かわら版』を地域に配布したり、インターネットで発信するなど、地域内外にMore繁盛を知ってもらう努力を重ねてきました。今では名前を告げれば『あぁ、More繁盛さんですね』とわかってもらえるようになりました。」と、地域に浸透してきたことを感じると言う。 一方、梶浦さんは地域の変化として、活動への参加者が増えたことを挙げる。
「竹を切りたいと言えば、『More繁盛の活動だから』と道具を持って集まってくれるなど、依頼するたびにみんなが快く動いてくれるようになりました。人情味にあふれる人の多さと連帯意識の強さが、地域の活性化のために活かされるようになってきました。今までやってきたことが、成果として地域に浸透してきたからではないかと思うんです。私自身が1~2年で消滅してしまうのではないかと思っていた活動ですが、これまで継続できていることは大きな実績です。」
米田さんも「『喜んで手伝うよ』と言ってくれるのが一番うれしい。地域の人の協力を得られるかどうかもわからないまま事業を行っていた当初は、不安しかありませんでした。一つの事業を終えるたびに、安心と『やってよかった』という気持ちを少しずつ積み重ねながら続けてきました。」と話す。
こうしたMore繁盛の活動の成果は、地域の内と外にいる人がバランス良く関わり合っていることにあると石本さんは言う。
地域の「内」と「外」が手を取り合い
「おもしろき、繁盛をもっとおもしろく」
「繁盛地区には、地元の人と地域の外から入ってきた人との垣根がありません。地元の人だけでは新しい情報が入ってこないし、外から来た人ばかりでは地元との調整がうまくいきません。様々な人が一緒に活動できるのが繁盛地区のいいところです。」と石本さん。
一方、梶浦さんは「石本君の話を聞いたり、すぐに行動に移す活動ぶりを見ていると、私たちのような年配者が前に出て地域おこしに取り組むのは、時代遅れだと結論を出しました。第一線から退き、若い人たちに進む方向を託して見守ることにしたんです。
私たち世代の役目は、若い人たちと地域住民とのパイプ役としてバックアップすることです。」と話す。
その石本さんが活動に取り組む上で心がけているのは、まず自分が行動することだと言います。
「米作りも自分から率先して取り組んでいます。人に動いてもらうには、まず自分が動いている姿を見てもらうことがいちばん大切です。地域の外から来た人を受け入れない地域も多い中、繁盛地区のように任せてもらえるのは、他の地域にはない大変有利な点。あとはやるだけです。」
そんな様子に中尾さんは「地元の人間でもなかなか米作りに携わろうとしないのに、『石本さん、ほんまに田んぼ作業をしよってんや』と思いました。行動力を見ていると、誰かがしてくれるんじゃないかと思っている自分たちの姿勢を考えさせられます。こうした活動に取り組む人の想いを、地域の人につなぐ役目を果たさなくてはいけないと思っています。」と微笑んだ。
「地域のために何かしなくてはという想いは、それぞれの人にありました。でもそれは、地元の人間が考えるべきことだと思い込んでいたんです。外から新しい風が吹いたことで、みんなで取り組めるものを手にすることができました。」と米田さんも喜ぶ。
「地域住民のよりどころとして、また地域外の人が立ち寄る拠点として、ゲストハウスを中心に地域がどんどんいろいろな人でにぎわうのが夢。」と語った梶浦さん。これからも目指すのは、“おもしろい”繁盛だ。
(取材日 令和2年12月5日)