目次
地域文化と暮らしの継承で
心をひとつに! 福住をひとつに!
地域文化と暮らしの継承で
心をひとつに! 福住をひとつに!
東は京都府、南は大阪府と接する、丹波篠山市の最東部。かつて、交通の要所として栄えた宿場町が福住地区だ。2012年に伝統的建造物群保存地区(*) (以下、伝建地区)に選定されたこのまちも、人口減少、少子高齢化により小学校の閉校を余儀なくされた。その旧校舎と跡地を活用し、地域活性化を目指そうと結成されたのがNPO法人SHUKUBA(しゅくば)だ(以下、SHUKUBA)。「みんなでつくる文化と暮らしの学校」をコンセプトに、伝建地区ならではの歴史や文化、豊富な農産物をはじめ、若い移住者たちとの交流を活かした様々な活動を展開している。
【NPO法人 SHUKUBA】
2016年3月の市立福住小学校の閉校を受け、福住地区まちづくり協議会の小部会として小学校跡地活用検討委員会を発足。地域活性化に向けた運営を目指そうと、翌年4月に福住小学校跡地活用運営委員会が設立され、カフェや展示室、イベント空間としての校舎活用を進める中、自立した管理運営のため2019年7月SHUKUBAを設立した。飲食店の開業を目指す人のための空間「チャレンジカフェ」、調理室を改装した農産加工所「福住daidocolab. (だいどこらぼ)」(以下、だいどこらぼ)の他、各教室のテナント活用や地元ボランティアによって制作されたジオラマ展示など、地域内外の交流拠点を目指した取組が続けられている。
*伝統的建造物群保存地区: 文化財保護法に規定され、伝統的建造物群と一体をなしてその価値を形成している環境を保存するために、市町村が定める地区
オール福住で、小学校跡地から地域を元気に!
「私が小学6年生の時、本校として新築されたこの校舎へ分校から移ってきたんです。給食があることに驚きました。」
事務所前の廊下で教室を眺めながら、理事長の佐々木 幹夫さんが楽しそうに思い出を語る。
2016年3月、宿場町だった福住地区の本陣跡地に建てられ、地元の人たちに大切にされてきた小学校が歴史に幕を下ろした。閉校後の校舎や跡地をどう活用するのか、福住地区まちづくり協議会は小学校跡地活用検討委員会を設立。ワークショップを何度も開いてはアイデアを出し合い、地域活性化のために活用することを決定した。
その後、話し合いで出されたアイデアを具体化するため、小学校跡地活用運営委員会を発足。議論を2年間重ね、生まれたのが「みんなでつくる文化と暮らしの学校」というコンセプトだ。みんなで助け合いながら、地域に息づく独自の文化や暮らしを後世に受け継ぐことで、福住が一つになろうという想いが込められている。
理事の一人、岸田万穂さんは「福住らしさや地域の良さを、どうすれば活かしていけるのか、どういうものなら実現が可能なのか。会議だけでなく食事会やお酒の席も設け、福住の好きじゃないところ、よくないところも含めてざっくばらんに本音で話し合いました。」と話す。
2019年4月、こうして福住小学校は、地域コミュニティ活性化施設SHUKUBA(しゅくば)に生まれ変わった。7月には、地域の公的な拠点として事業運営を続けるためNPO法人化を行い、施設の指定管理者として本格的な地域活動に取り組むことになった。
農産物の地域資源をまちづくりに活かそう
地区の人たちが気軽に立ち寄れるオープンな場を目指し、まず取りかかったのはカフェの準備だった。ワークショップ形式の改修作業には、地元の高校生をはじめ、改装を勉強したいという人まで、多くの住民が参加した。
「地域のみんなが集まるきっかけになる場所なので、いろいろな人たちが関わって一緒に作ることが、この学校には合っていると思ったんです。作るところから関わることで空間への愛着が生まれ、その後も応援したくなりますから。」と岸田さんが微笑む。
このカフェの一番の特徴は、飲食店の開業を目指す人が、その準備として営業に挑戦する「チャレンジカフェ」であることだ。基本的な設備が整った場所と設備を、最長3年間借りて営業をすることができる。
2019年10月、1組目の出店者が営業を開始。地元の農家が育てる米や野菜を活かしたカフェに挑戦し、2022年3月の「卒業」後は、SHUKUBAからほど近いテナントで独立開業を果たした。2022年5月末には、2組目の出店者が営業開始に至った。
そしてもう一つ、地域の価値を掘り起こし、活性化につながる食づくりの拠点を目指す施設が、「だいどこらぼ」だ。調理室を改装した空間には、乾燥・製粉などの一次加工や、レトルト・缶詰・びん詰加工が可能な設備が充実。農産加工品づくりに取り組む人を応援し、地域に開かれた加工所を目指している。
「地元農家の余剰野菜を加工品にできたら、地域のためにもなるというのが最初の発想だった」と話す岸田さん。
小ロットに対応できるため、コロナ禍によりテイクアウトに取り組む飲食店や、オンラインショップで販売したい人、イベントで使いたい農家などに喜ばれているという。
「だいどこらぼ」の大きな特徴の一つは、一緒に商品開発から取り組むこと。「この食材で何かできないだろうか」という相談があれば、相談者と一緒になって商品開発の支援を行う。これまでには、猟師が獲ったシカの肉と野菜でだしを取り、米粉でとろみをつけたドッグフードなど、のべ50件近くのオリジナル商品の開発に携わってきた。
「『だいどこらぼ』は、地域に役立つ活動を行うことが基本的な役割。雇用にもつながり、地域貢献を果たしている手ごたえを感じています。」と、もう一人の理事、小山辰男さんは話す。
歴史文化と伝統が、人と地域をつなぐ
一方、学校という建物としての特徴や、伝建地区ならではの歴史文化を生かした活動も活発だ。例えば、教室という特徴を活かしているのがテナント利用。教室をアトリエやオフィスとして利用したい人に貸し出しを行っている。
現在は移住者を中心に、フォトギャラリーやシェアオフィス、ハンドメイド工房、養蜂企業のオフィス、アトリエなど6組が入居。
ワークショップの開催などを通じて、地域内外の人々が出会い交流人口増加のきっかけになっている。
さらに、福住ならではの歴史文化を活かし伝える、歴史ライブラリーも人気だ。
そのひとつが、地元住民5人が約3年半をかけボランティアで制作した「昭和47 年に廃線となった国鉄篠山線福住駅周辺のジオラマ」。駅舎や神社、かやぶき屋根の伝統的な家屋といった建物から、ラジオ体操や農作業にいそしむ人々の暮らしぶり、すいかが横たわる畑まで、当時の暮らしやまちなみが忠実に再現され、展示されている。
そしてもう一つ、旧宿場町ならではの歴史文化を存分に活かした事業が「古文書講座」。福住地区では、地元住民の古民家から古文書が見つかるケースが珍しくなく、嘆願書や事件記録など珍しい古文書が見つかると、神戸大学の教授に講座を依頼。当時の地域の暮らしぶりを読み解く時間を、受講生たちが楽しんでいる。
「『古文書なら、うちにもあるよ』って、当たり前のように話されるみなさんには驚かされてばかり。」と笑う岸田さん。
「兵庫県古民家再生促進支援事業(*)の取組をはじめ、まちづくり協議会による空き家活用の活動、さらに伝建地区の選定などが重なったことが、こうした事業の後押しにつながったと思っています。」と佐々木さん。
数々の事業を続けるうえで、もっとも工夫を凝らすのが地元住民みんなの参加を促すことだ。
*兵庫県古民家再生促進支援事業: 伝統的木造建築技術やまちなみ景観の維持・継承を目的に、築50年以上が経過した貴重な古民家を、地域の大工・建築士等により再生を支援する兵庫県の事業
必要なのは地元住民が集まるきっかけづくり
SHUKUBAでは、普段からSHUKUBAのことが気にはなっているけれど、なかなか足を運べないという地元住民が、気軽に訪れるためのきっかけづくりに取り組んでいる。
その一つが「オープンデー」の開催だ。オープンデーとは、SHUKUBAの様子を見学する参観日のようなイベント。
様々な出店者が展示即売を行うマルシェや、「だいどこらぼ」でのワークショップ、ジオラマ展示といった内容を中心に開催を続けている。
また、月に一度「米粉の日」を開催。地元住民を対象に、「だいどこらぼ」に設置した製粉機で米粉加工を行い、1kg あたり420円(2022年6月現在)と手頃な加工賃で販売している。「だいどこらぼ」の設備や利用方法を知らせるきっかけづくりとしてスタート。毎月5~6人の住民が利用しているという。
その他にも、福住地区にある農業高校、兵庫県立篠山東雲高等学校の学生たちと、地域資源を活かした商品開発のコラボプロジェクトやSHUKUBAの裏庭整備などを通じて交流を図ったり、市役所支所やまちづくり協議会との合同防災訓練を行うなど、地域の交流拠点を目指した様々な活動が続けられている。
そんな中、ジオラマを通じて地域を超えた交流の輪も広がった。
東京都立大崎高等学校のペーパージオラマ部が、2020年7月の豪雨により流出したJR九州肥薩線の鉄橋を復元。そのジオラマ作品をSHUKUBAで展示し、被災地を応援したいと高校生たちから申し出があった。
そこで2022年4月、SHUKUBAのオープンデーにジオラマの共同展示を開催。
高校生たちの想いを多くの地元住民たちと共有することができた。
このようにSHUKUBAが様々なアイデアを打ち出し、受け入れ、活発な活動を続けている背景には、若い移住者たちの存在がある。
まちづくりの決め手は、若手移住者の発想力!
理事を務める岸田さんも、福住地区へ移住してきた一人だ。専門学校時代に訪れたフィールドワークが、福住地区との出会いだった。
元々は関東で育ったが、福住の自然やまちなみに惹かれた岸田さんは、卒業後に移住。
木工作家を目指し工務店で働いていた時、家具のリノベーションを行う作業場として、閉校になった小学校の教室を勧められたことがきっかけで、小学校跡地活用検討委員に。
2016年10月には福住地区の地域おこし協力隊員となり、3年の任期を終えた後もずっと地域活動に関わり続けている。
「福住地区では当初から、若い移住者の持つアイデアや行動力を、積極的に受け入れようという姿勢でまちづくり活動を行ってきました。地域外から地区に入ってこられる人が、ここでやりたいことができるよう受け入れ態勢を整えてきたんです。それが地元住民たちの刺激になり、地域全体の活性化につながっています。」と小山さん。
佐々木さんは、福住地区が宿場町だったという背景が影響していると話す。
「もともと宿屋や商店も多く、人の移動や交流が活発な街道でした。元来のウエルカム精神で、地域外から移住してこられた方々を積極的に受け入れています。地域課題について一緒に考えてもらい、仲良く活動に取り組むことが今では当たり前になっているんです。」
例えば、展示室や事務所、カフェのリノベーションでは、木工作家である岸田さんの大胆な発想や技術が活かされ、「だいどこらぼ」では、移住者スタッフのおかげで製造受託や自社商品開発といった様々なアイデアを実現できたという。
「地域の枠組みから外へ出て頑張らなくてはならない時、地元の人間だけではどうしても守りに徹してしまいます。若い移住者やUターンの方々の発想力を借り、新しい風を取り入れることで、守るべきものは守りながら活性化もできるのでよかったと思っています。」と佐々木さんが振り返る。
また、移住者だけでなく、地元のまちづくり協議会や外部地域との連携を上手に取り入れた活動を続けていることもSHUKUBAの特徴の一つだ。
福住地区は、京都府南丹市、大阪府能勢町と接する県境。
3つの地区のまちづくり協議会が3府県境「深山サミット」を結成し、地域活性化のための活動や情報の共有に取り組む中、SHUKUBAも福住地区まちづくり協議会の一員として積極的に参加し続けている。
「まちづくり協議会と一体化して活動に取り組むことで、SHU KUBA自体の活動の幅も広げていただいています。将来的には防災面でも、3地区で助け合えるようになりたいと思っています。」と佐々木さん。
SHUKUBAを拠点に、地域をますます活性化してゆくために、目指すSHUKUBAの在り方とは?
地域を愛し互いを想う、福住のシンボルを目指して
「委員会活動に始まり、校舎の改修を経てNPO 法人という組織化がかない、施設の指定管理も受けることができました。これからはどう活動を継続し、コミュニティを育てていくかが課題だと思っています。基本は人です。地域の人たちが活発に集う活動拠点になるのが理想です。」と話す小山さん。
その言葉を裏付けるように、住民とSHUKUBA の距離が近づいているという。
例えば、関東方面に暮らす福住出身者たちも、日頃からSHUKUBAのホームページやFacebookに目を通し、帰省時にはカフェに足を運ぶ。
学校の跡地がどうなっているのか、誰もが気にかけているのだ。
「子どもたちの学び舎という役目を終えても、学校はみんなが帰ってきたい場所。地域の中心的存在として残すことができたことを、本当によかったと思っています。」と、佐々木さんは胸をなでおろす。
一方、岸田さんは、建物としてだけでなく気持ちの面でも、学校は地域の中心的な場所だと感じていた。
「校舎跡の運営を企業に委託する方法もあったのに、誰もその意見に流れなかったんです。誰かに任せるのではなく、地域みんなで作っていくんだという気持ちが伝わってきました。地域の全員が積極的に関われる場所にしたいという想いを感じたんです。
そこに暮らす人たちがどれだけ楽しく暮らしているかで、地域の魅力が決まるように、積極的に関わりたいと思ってもらうためには、SHUKUBAをどれだけ楽しい場所にできるかが大切です。私が福住での生活が楽しいと思えるのは、この地域の人たちと一緒に暮らすことが楽しいから。私のような人が増えれば、地域に関わる人も移住する人も、自然に増えると思っています。」
最後に、佐々木さんが学校への想いを話してくれた。
「今があるのは、先人たちが地域の発展を願い、汗水流して頑張ってきた積み重ねのおかげです。そうやって継承されてきた地域を想う心や、後世へ伝え残していこうという決意の象徴が、学校なのだと思います。さらに改革を重ね、時代に合ったスタイルに変化させながら、次世代へ引き継いでいかなくてはいけないと思っているんです。」
「一人でまちづくりはできない。」これからもSHUKUBA は、地域を想う心をつなぐシンボルとして、福住地区みんなの『真ん中』にあり続ける。
(取材日 令和4年6月23日)