11の村は一つの家族!
自然・歴史・心のふれあいを活動資源に、
住み続けたい地域をつくる
11の村は一つの家族!
自然・歴史・心のふれあいを活動資源に、
住み続けたい地域をつくる
桜の薄紅色をアクセントにまとった里の春が過ぎ、無数のホタルが川を照らす頃、田んぼに並んだ若々しい緑の早苗が村を包む。ひまわりの群れに波打つ黄色から黄金色に大地が変われば、稲穂の刈り取りシーズンだ。
豊かな季節の色にあふれる江川の里は佐用町の西端、連なる谷間に静かな時間が流れる地域。里を見晴らす大撫山(おおなでさん・436m)には、「星ふるまち」佐用町を代表する施設・県立西はりま天文台がたたずみ、地域の象徴的な存在として集落を見守っている。
豊かな自然と並ぶ地域資源として、大切に守られてきたのは地域に伝わる歴史文化。陰陽師「安倍晴明(あべのせいめい)」と「芦屋道満(あしやどうまん)」の塚をはじめ、播磨の国風土記に登場する史跡も数多い。
そんな江川地域の一番の課題は少子高齢化だ。平成26年3月には地域の保育園が閉園し、小学校も閉校に。11の集落に暮らす408世帯989人の高齢化率は、平成22年からの9年間におよそ9.4%上昇し46.9%にまで達した(平成31年3月末)。地域のみんなで肩を寄せ合い、手を携えながら集落を守ろう。「江川に住んでよかった」と誰もが誇れる地域をつくろう。そんな願いと共に誕生した「江川地域づくり協議会(以下、協議会)」の取り組みは、今年14年目を迎える。
*江川地域づくり協議会:合併による新佐用町誕生に伴い、平成18年4月、「江川地域づくり協議会」が発足した。子どもから高齢者まで、一人ひとりが個性を活かし助け合う「協働のまちづくり」を基本姿勢に、11集落の自治会長たちが中心となり「健康福祉部会」「まちづくり文化部会」「交流広場部会」「地域交通部会」の4部会を設置。自分たちの地域を自分たちで守り育てる自治組織を目指し、「安全で安心」「明るく住みよい」里づくりに取り組んでいる。
「小学校の閉校で失われそうな、地域の元気を取り戻そう」
目の前を江川川が流れる山のふもとに、ひときわ目を引く建物がある。門柱に掲げられているのは、平成26年3月に閉校した佐用町立江川小学校の校名だ。
「小学校があった時は、苗づくりから田植え、草引き、稲刈り、脱穀、餅つきまで、全校生徒が住民と一緒に農作業を行っていました。住民たちも運動会に積極的に参加するなど、小学校を中心にして11の集落が一つになっていたんです。そんな小学校が無くなったことで、地域の元気まで無くなったように感じます。」
協議会の会長を務める木村政照さんが、少し寂しそうに語る。
また、元気な高齢者まで減少傾向にあり、入院やデイサービスへの通所者、施設への入所者が増え、伝統文化の一つである秋祭りも行えない集落が現れ始めたという。
「江川地域のいいところは11集落の仲の良さ。お互いが助け合いながら、暮らしやすい里づくりに取り組んでいます」と胸を張る木村会長。
発足から13年間、様々な地域づくり計画を実践してきた協議会が、最も手応えを感じているのが、平成22年10月より実証運行を開始した地域デマンド交通「江川ふれあい号」(*)だ。
*地域デマンド交通「江川ふれあい号」:事前予約で指定された場所へバスが走るドアツウドアの過疎地有償運送
「江川の谷に、みんなのバスを走らせたい!」
「コミュニティバスの説明を聞いてみないかと、佐用町役場から声をかけられている。」
協議会のセンター長を務める岡野俊昭さんが、役員たちに相談を持ち掛けたのは平成18年のこと。
当時まだ路線バスが運行していたこともあり消極的だった協議会だが、住民アンケートをきっかけに事態は変わった。同年7月、地域づくり計画の策定に向け、江川の地域課題を高校生以上の住民全員に尋ねたところ、93%という驚異的なアンケート回収率の中、最も多かった回答が交通問題だったのだ。
「高齢者は、路線バスの停留所に出て行くだけでも大変。そのうえ廃線になったら、買い物や病院にどうやって行けばいいのか。」という不安の声が地域住民の中から上がっていた。
地域交通の研究に取り組む大阪大学の研究室によるサポートの下、佐用町役場とも連携し、コミュニティバスの導入準備を始めることになった。
警察や陸運局への手続きに始まり、運転手の確保や講習の実施、料金設定、予約システムづくり、さらに道路の拡幅、安全地帯の確保、横断歩道の設置など課題が山積みしていた。地域交通の研究に取り組んだ5年間は、バスの導入が『できる』『できない』といった議論の繰り返しだった。
「本当に江川地域はバスを走らせるのか?」という周囲の声が出ていた平成21年8月、佐用町豪雨災害が発生。「これでもう実現は無理だろう」と誰もが思った3ヵ月後の11月、ついに初めての試験運行を実現させた。
「住民みんなの願いを、どうしてもほっておけなかったんです。とにかくバスを走らせたいとの想いで一生懸命でした。試験運行の日は地域のみんなが集まって、それはにぎやかでした。」と楽しそうに木村会長が振り返る。
その後も試行錯誤と試験運行を繰り返し、平成24年4月ようやく本格的な運行がスタート。翌年4月には佐用町の手を離れ、社会福祉協議会との連携による協議会主体の運行が始まった。
「地域の絆で走るバス、それが 江川ふれあい号」
「バスを利用することが、お互いのコミュニケーションになっています。」
月曜から金曜まで毎日運行するバスの運転手の一人、小林育男さんは楽しそうにそう話す。買い物をレジに残したままバスに乗ったり、銀行で下ろしたお金を窓口に忘れて来たり、病院でもらった薬を車内に忘れて下車した人を追いかけたり、エピソードには事欠かない。
「家族の運転する車に、安心して乗っているような気持ちなんでしょう。名前を聞けば、どの地域のどこの家に住んでいる人かわかります。バスの利用がない人のことを気遣ったり、一人暮らしの高齢者の見守り役も果たしています。」と笑う小林さん。
そんな江川ふれあい号の魅力を木村会長は「受付役も、配車の世話係も、運転手も、みんな江川の仲間。信頼と地域の絆で走っているバスなんです。」と表現する。
地域の人を乗せ、地域の人の手で、地域の中をバスが走る。地域交通とは、住民の足代わりになる便利なシステムだけではない。バスの運行が、そのまま地域でのコミュニティづくりに繋がっているのだ。
その一方、課題もある。一つは、20人を数える日もあった運行当初に比べ、元気な高齢者の減少により6人~7人に減ってしまった利用者を増やすこと。もう一つは、70代を中心に8人の有償ボランティアが務める現在の運転業務を、引き継いでくれる若手運転手を探すことだ。
「バスがあるから運転免許の自主返納ができるという人や、いつまでも運行を続けてほしいと頼んでこられる人もたくさんいます。みんなからの『ありがとう』の言葉を聞くと、バスの運行を終わらせるわけにはいきません。」と小林さんは言葉に力を込める。
コミュニティバスの運行を中心に、協議会が取り組む様々な活動。そのキーワードは地域の「絆」と「資源」だ。
「心の触れ合いと豊かな自然が活動資源」
公民館活動から続く「ふれあい喫茶」。高齢者の居場所づくりに加え、地域住民の絆を育む場として、毎月第3日曜に江川文化センターで開かれている。さらに平成21年からは県の県民交流広場事業として、毎月1日に江川ふれあいホールで「喫茶 ほっとえかわ」を開催。どちらも毎回25人〜30人の住民が参加するという。
「情報交換会みたいなもの。にぎやかですよ」と木村会長。
「仲間とゆっくり触れ合えるのが、毎月の楽しみになっています」と小林さん。
「ふれあい喫茶」は当番制による運営。
「喫茶 ほっとえかわ」は各集落の女性有償ボランティアたちが、柏餅や塩見饅頭といった手づくりのお菓子でもてなしている。
一方、地域資源の活用にも積極的だ。交流広場部会の活動の一つである栗部会では、かつてはアメリカへ輸出していたという江川地域の特産品「江川栗」を復活させようと、平成23年から6次産業(*)として生産・販売に着手。
各集落で収穫した年間およそ1.4トン〜1.5トンの栗を使い、佐用町内をはじめ近隣地域でのイベントや野菜の直売所などで、焼き栗の実演販売を年間およそ25回ほど行っている。
「最近では『楽しみにしていました』『今度はいつ来るの?』と声がかかるほど人気が出はじめ、地域に利益を還元できるまでになりました。」と話すのは、まちづくり文化部会部長兼栗部会会長の岡本憲一さん。
地元の小中学校の給食に生栗の提供も行っており、「自分たちの地元には栗という特産品があることを、子どもたちに知って欲しい。出荷には手間がかかりますが、『栗ご飯だ!』と子どもたちが喜んでくれるので頑張っています。」
一方、もう一つの江川の資源が「歴史文化」。地域に残されている歴史的価値のある史跡を活かし、9年間取り組み続けているイベントがある。
*6次産業:農畜産物・水産物の生産だけでなく、加工・流通・販売にも農業者が中心となって関わることで、農業の活性化を図るもの
「集落の枠を超えた連携で、イベントも地域整備も成功!」
旧暦の七夕。木陰に爽やかな風が吹く夕暮れ時、ほのかなろうそくの明かりが照らす古道を、甲冑姿の武士や巫女、陰陽師たちが列をなして歩いていく。
毎年8月の第1土曜に開催する恒例のイベント、「陰陽師の里 江川 七夕行列」の光景だ。安倍晴明塚から芦屋道満塚へ続く1.5㎞ほどの道のりを、協議会が貸し出す様々な装束に身を包んだ人々が行進。
神戸市や姫路周辺の大学生を中心に、毎年およそ80人ほどが集まる人気のイベントだ。
今でこそ「陰陽師の里」のキャッチフレーズが浸透し始めた江川地域だが、地元の人たちが安倍晴明や芦屋道満の塚に歴史的な価値があることを知ったのは、わずか9年前のことだった。
「江川神社の秋祭りに、ある作家を連れて地元出身者が帰省されました。塚を目にした作家の方が、『こんな塚は全国でも珍しい、地域の宝にしてください』とヒントをくださったんです。ちょうど、若者の間で陰陽師がブームになっていた頃。若者を集めるならコスプレが面白いということになり、じゃあやってみようって。」と話す岡野センター長。
すぐに実行委員会を立ち上げ準備に取り掛かったが、当初はアクシデントに見舞われ続けた。1回目の開催では、前日の準備中に東日本大震災が発生。開催の是非を夜中まで話し合い、決行と決めた。しかし予定していた学生が参加できない事態になるなど波乱のスタートとなった。また翌年は、土砂降りの雨の中での開催。予期せぬトラブルにも負けず、今では「七夕行列」として多くの人に親しまれるイベントに育っている。
「装束の着付けを手伝ってくれる人、家で採れた桃やスイカでもてなしてくれる人など、地区の皆さんの協力で続いている手作りイベントです。実は、塚があるのは江川地域内で最も高齢化が進んでいる集落。草刈りひとつもままならない中、こうしたイベントを行うことで住民の交流が進み、他の集落の人が地域整備を手伝うきっかけになっています。地域の外へ向けたイベントが、集落という枠を超えた連携を生み、地域全体で助け合う活動にもなっているんです。」と話す木村会長。
地域資源の活用が外へ向けた発信だけでなく、自分たちの地域で安心して暮らすことにも繋がっている。こうした協議会の努力と想いは、地域や住民にも徐々に浸透し始めている。
「個から地域へ、協議会の想いが繋がる! 拡がる!」
平成30年11月、江川小学校跡地で、あるイベントが開かれた。昼はカフェや野菜市、エステなど50店が並ぶ「江川フェスティバル」、夕方は大阪からやってきたシェフが佐用町の特産品を使った料理でもてなす「星空ビストロ」、夜は県立西はりま天文台の専門員によるガイドと共に、校庭に張ったテントから星空を眺める「新月deキャンプ」という3部構成。このイベントを企画したのは、江川出身の元横浜市役所職員・菅井稔さんと、元佐用町役場職員・久保正彦さん。
「空き家・少子化・高齢化が進む故郷が、都市部の人との交流を通じて元気になってほしかった」と語る菅井さん。そんな想いに協議会も賛同し、後援として広報活動に尽力。およそ800人が来場し盛会のうちに終了した。
「江川地域では協議会という組織としてだけでなく、こうした個人や集落単位での取り組みもたくさんあります。つつじ祭りを開いて人を呼ぶ集落や、特産品づくりとしてスイートコーンの栽培に挑戦する集落、『桃源郷作戦』と名付け桃づくりに励む集落もあります。それぞれが個としての発信から地域全体への盛り上げに繋ごうと尽力しているんです。」と岡野センター長は話す。
個人の想いや集落の取り組みを地域全体で共有するため、年3回の手作り広報誌を発行。また地域内のコミュニケーションを大切にするため、百歳体操やグランドゴルフといったサークル活動を展開し、活動発表の場として「ふるさと祭」を2年に一度開くなど、他の協議会から一目置かれるほどの活発さ。それは、外からもたらされた気付きから始まっていた。
「ようやく気付けた地域の魅力を、住民みんなで共有したい」
「星の美しさも、自然の豊かさも、史跡でさえも、価値に気づいていなかったんです。どれも子どもの頃から、当たり前のように目にしていたものばかり。陰陽師の塚へ遊びに行ったこともなく、全国区の人気につながるものだとは想像もしていませんでした。」と木村会長が明かした。
移動の途中でたまたま出会った風景の美しさに心惹かれた人々から、「もう桜は咲いていますか?」「稲穂がそろそろ色づいていますか?」といった問合せが協議会に届く。田植えの頃には青々とした早苗に、秋の稲刈りの時期には村一面にひろがる黄金色の輝きに、それぞれ魅せられた人たちが訪ねてくるという。
「地元の人間では気付かない江川の良さを、外からの目によって教えていただきました。何もないところだと思っていた地域を『あぁ、そういう見方、考え方もあるんだな』と、プラス思考で捉えられるようになったのです。」と語る木村会長。
「地域の良さに住民たちが気づき、その良さをみんなで育むことで、ますます自分たちの地域が愛おしくなり元気になれる。それこそが地域づくりの基本であり、江川地域の協議会のあり方です。」
「安心・安全・楽しい暮らしを住民のためにつくる、それが地域づくり」
平成11年、棚田百選に認定された乙大木谷(おつおおきだに)地区。人口25人、高齢化率68%という限界集落の一つだ。高齢者だけでは棚田を守ることができず、20年間続けてきた棚田オーナー制度も今年で幕を閉じる。
「今は、ボランティアやシルバー人材センターの人たち、授業の一環で来てくれる40名ほどの高校生たちの協力で、かろうじて維持している状況です。」 自治会長を務める岡本憲一さんが静かに口を開いた。
「村の高齢者だけでは管理が行き届かないため、棚田の原風景はもう残せないかもしれません。でも、私たちは決して悲観はしていません。乙大木谷地区の住民は今、安全で安心して穏やかな日々を過ごしています。それが、この地域に暮らす一番の喜びなんです。」
地域づくりとは、外とのつながりを太くするための発信や、交流を深めるための行事を行うことばかりではない。一人ひとりが安心して楽しく暮らせる場所として、自分たちの住んでいる地域を存在させることなのだ。
「身の丈に合ったことに取り組むのが、一番大事な地域づくりだと思っています。」と語る岡本さんの穏やかな声を受け、木村会長が語った。
「協議会として、地域づくり活動で最も大切にしているのは、今住んでいる人たちが安全に安心して、楽しく暮らしていける場づくりです。地域の人が『一緒に取り組んでよかった』と言えるような活動と、『そこにあってよかった』と言ってもらえる存在であることを、協議会として大切にしていきたいと思っています。」
(取材日 令和元年6月5日)