目次
地域をイヌワシが舞う「生きた博物館」に!
大自然「上山高原」という資源を生かし
元気が生まれるふるさとをつくる!
地域をイヌワシが舞う「生きた博物館」に!
大自然「上山高原」という資源を生かし
元気が生まれるふるさとをつくる!
兵庫県北西部、鳥取県との県境に位置する新温泉町。その南西部に広がる上山高原の山麓 部に、静かにたたずむ7つの集落がある。
奥八田地区と呼ばれるこの地域は、少子高齢化 と共に過疎化が進み、65 才以上の高齢化率は約53.6%、10 年前には678 人いた住人も現在 はおよそ6割の429 人にまで減少している(いずれも令和2年4月現在、上山高原エコミュー ジアム資料より)。
小・中学校も次々に統廃合となり、集落単位でのコミュニティを維持することが徐々に困難となる中、住民共有の財産である上山高原の大自然を地域資源として、新たなコミュニティづくりがスタート。
地域住民をはじめ、自治体や様々な人、団体が力を合わせ、 自然保護・再生活動を通じた地域の活性化に取り組んでいる。
■NPO法人上山高原エコミュージアム:平成12年、昭和40年代から始まった上山高原リゾート開発計画(*)の見直しがスタート。 平成16年7月、奥八田地域をまるごと生きた博物館に見立て、自然保護・再生活動を通じて地域おこしに取り組む、NPO法人上山高原エコミュージアムを設立。
ススキ草原やブナ林など自然再生活動に取り組む「保全部会」、自然体験プログラムを実施する「プログラム部会」、地域資源の情報を収集する「サテライト部会」、広報活動に取り組む「PR部会」、さらに「調査研究部会」という5つの部会が中心となり、一人ひとりの住民が楽しく元気に暮らせる地域づくりに励んでいる。
*上山高原リゾート開発計画:奥八田地区の地域振興を目指し、上山高原一帯を観光地として開発しようとした取組
当たり前にある大自然こそ、地域活性化の資源だった
青い空と緑深い山々を背に、ぽっかりと浮かび上がる黄色い建物を、施設スタッフたちに見送られた一台の観光バスが後にしようとしていた。
「シワガラの滝(*)のトレッキングに参加した、神戸からのツアーの方々です。」
NPO法人上山高原エコミュージアム(以下、エコミュージアム)代表の中村幸夫さんが教えてくれた。
「いつの頃からか、シワガラの滝を見学する人たちの車が、どんどんこの地域に来るようになったんです。
当初は『一体、何が起こったんだ?』と驚くばかりでした。洞窟の中に流れ落ちる全国でも珍しい滝が、絶景スポットとして雑誌やインターネットで取り上げられたことも知らなかったんです。」 いくつもの名瀑をはじめ、ススキが風に揺れる高原や手つかずのまま残された原生林など、当たり前に存在していた豊かな自然。
それらが地域「資源」であることを、中村さんや奥八田地区の人々が再認識するきっかけになったもの。
それが、上山高原エコミュージアムへの取組だった。
*シワガラの滝:奥八田地区の集落の一つ「海上(うみがみ)」の洞窟内部に流れる、美しい景観が人気の名瀑布
高原の空に、再びイヌワシを舞わせたい!
「奥八田地区を人と人との交流にあふれ、誰にとっても生きる力が湧きあがるような元気のある地域にしたい。それが願いでした。」と事務局長・馬場正男さんは振り返る。
「そのために、まずたどり着いたのが上山高原を活かした観光開発でした。しかし、社会経済情勢の変化や自然環境保全意識の高まりにより、自然保護・自然再生へと舵を切ることになったのです。」と話すのは、エコミュージアムの初代代表理事であり、現在は顧問を務める小畑和之さん。
奥八田地区の地域再生協働員(*)で、新温泉町企画課の植村博昭さんが
「春は桜、夏は田植えで緑に染まった田んぼや、澄み切った夜空に見えるたくさんの星。秋は黄金色の稲穂や紅葉した山々、冬は豪雪地帯ならではの雪景色。四季それぞれの風景は奥八田地区の資産です。」と説明してくれた。
そうした美しい景観に加え、自然再生を目指した活動へ進むきっかけになったものが、もうひとつある。平成7年に上山高原で確認されたイヌワシ(*)だ。
「専門家に言われるまで、地元の人たちの中でも、絶滅危惧種のイヌワシに関心のある人も、その希少性を知る人もほとんどありませんでした。そんな希少な動物が生きる環境が残っている地域は県下でも少ないということが、自然再生への方向転換のきっかけになったんです。」と馬場さん。
こうして平成13年、エコミュージアム基本計画の検討がスタート。
「イヌワシが飛び、トンビが乱舞した30年前の上山高原を取り戻そう!」を合言葉に、奥八田地区の挑戦が始まった。
*地域再生協働員:兵庫県版地域おこし協力隊。高齢化と人口減少が進む小規模集落の課題解決に向けた活動を地域に密着して支援する人材
*イヌワシ:環境省レッドデータブックに記載されている国内希少野生動植物種で、絶滅回避に向けた取り組みが続けられている
ススキが揺れる草原を取り戻せ!
エコミュージアムの中心となる活動が自然再生事業だ。
かつての上山高原は、ススキの草原とトチやブナなどの原生林が広がり、多様な生態系を育む豊かな場所だった。
しかし、牛を飼う家が減り、放牧も途絶えたススキ草原は灌木や笹が密集した草地へと変わり、原生林の多くが伐採され、スギの人工林になりつつあった。
「草原を復元しよう。」「ブナの植樹を増やし原生林の森を復活させよう。」
コンサルタントをまじえながら7集落が何度も話し合い、基本計画が徐々に形になっていった平成14年9月、自然復元プロジェクトがスタート。
まずは、荒れた高原をススキの草原に戻すことから取り組んだ。
「最初の活動は、笹や灌木を刈るボランティアでした。その後、各地区の区長たちがチェーンソーを使える人々に声をかけ、参加を募っていきました。現在は保全部会が中心になり、草原維持作業として定期的に草刈りなどの作業を行っています。」と副代表の植田光隆さん。
また、「ブナ苗ホームステイ」と名付けた育成プログラムにも着手。
各家庭で育てたブナの苗の植樹を続けた結果、令和2年3月末までにブナ林ではおよそ11ヘクタールの人工林間伐と、およそ9,900本のブナ苗の植樹(捕植*も含む)に成功。
ススキ草原の復元作業では、笹刈りと灌木伐採により34ヘクタール(*)もの高原の復元を達成。平成16年からは、牛の放牧も復活させた。
この自然復元プロジェクトでは年に一度、地元住 民も集まり一年間の復元調査や生態系の観察結果の報告を行う「モニタリング報告会」を開催。
調査研究部会を中心に、但馬地域の自然保護に取り組むグループや専門家による調査・研究、日々の活動結果を集めたレポート作成などを行っている。 こうした自然再生事業と共に、力を入れている活動が自然を活かした交流事業の数々だ。
*捕植:造林などで苗木が枯れて空地ができたとき再び苗木を植えること
*34ヘクタール:甲子園球場およそ9個分の面積
自然体験と特産品で奥八田をPR
平成18年、統廃合された八田中学校の校舎跡をリニューアルし、エコミュージアムの活動拠点「上山高原ふるさと館(以下、ふるさと館)」がオープン。
木工づくりなどの体験教室の開催、蝶やカブトムシ、ブナの実などの標本展示、特産品販売などに活用されている。
中でも人気を集めているのが、地元会員と一緒にブナ苗の植樹や下草刈りを体験する「自然再生作業」や、地元会員によるガイドのもと自然散策を楽しむ「自然体験プログラム」、山や高原の保全活動を間近で見学できる「上山高原の山焼き」や楽しいイベントが満載の「エコフェスタ」だ。
例えば、令和元年に開催した「上山高原の山焼き」では、地元会員によって山に放たれた火が飛び火しないよう見守る活動を、90人もの参加者が体験した。また「エコフェスタ」にも2日間でのべ90人が訪れ、自然観察やゲーム、昼食・夕食の食事会を中心に地元の人々との交流を深めた。
「京阪神などの都市部から地区を訪れる人が増えています。ホームページでの発信を中心に、会員(*)の方々へ年4回ニュースレターを発行して行事予定をお知らせしていますが、もっとたくさんの人に足を運んでほしい。」と馬場さんは話す。
こうした人気ぶりは、新型コロナウイルス感染拡大防止対策としてふるさと館を休館していた期間中も衰えず、山歩きや滝巡り、キャンプなど、上山高原の自然を満喫する人が増え、地域をPRする機会になった。
一方、活動開始以来、地域を挙げて取り組んでいるのが特産品開発だ。サテライト部会の女性たちを中心に、干し芋やかきもち、高原で間伐されたナラの木で育てたシイタケなどの生産・販売に力を入れ、毎月2回ふれあい館で開く朝市がにぎわいを見せている。
特に今、力を入れているのがカヤづくり。草原のススキを刈って乾燥させ、京阪神のかやぶき職人へ販売している。
初年度の平成28年は、1束の周囲が60㎝のカヤを100束販売。年を追うごとに好評を博し、令和元年には1,200束を販売するまでになった。 「職人さんたちからも、質の高い“べっぴんさん”のカヤだとお墨付きをいただいています。」と笑う植田さん。
こうして都市部との交流が増えるにつれ、地域の中にも少しずつ変化が表れ始めていた。
*上山高原エコミュージアム会員:自然保全・復元活動や自然体験プログラムなどにおいて、共に活動に取り組んだり、イベント情報の提供を希望する地域内外の入会者を募っている
地域が自らの力で元気になっていく!
奥八田地区の7つの集落には、収穫祭や渓流釣り大会、たらい漕ぎ競争、紅葉を楽しみながら走るマラソン大会など、それぞれに伝統的な行事がある。
かつてはあまり活発ではなかったという集落同士の交流が、エコミュージアムの様々な活動によって、行事の手伝いや応援に出向くなど積極的な交流が生まれ始めた。 さらに「若い世代の人たちが、シワガラの滝をはじめとする自然体験プログラムに参加したり、『手伝ってほしい』と積極的に声をかけることで、特産品づくりのためのサツマイモやそばの栽培に協力してくれる人が現れるようになりました。おかげで、奥八田地区は元気に頑張っていると、他の地域から言われるようになりました。」と声を弾ませる中村さん。地道に続けてきた一つひとつの活動が、地域の盛り上がりにつながろうとしているのだ。 「各集落が元気を出すために、連携しているのがエコミュージアム。集落ごとの活動と住民たちの頑張りを、ひとつにまとめあげていくことも大切な役割です。地域外の人へのアピールはもとより、奥八田地区の一つひとつの集落、一人ひとりの住民たちを応援し、地区を盛り上げる存在になってきたんです。」
そう語る馬場さんの言葉を受け、それこそがエコミュージアムの15 年間の実績だと中村さんは胸を張る。
そんな地域住民の気持ちを一つの方向に向かわせたもの。それは、地区のシンボルとしての上山高原そのものの存在だった。
一人ひとりにふるさとへの愛着を育み、地域社会を守り続ける「核」をめざして
「この上山高原は、地域住民にとってシンボルであり、誇りに思える場所。奥八田地区の財産として愛し、大切に見守り続けてきた存在です。上山高原が生かされるだけで、7集落みんなの心が一本化されたのだと思っています。」と小畑さん、植田さんが声を揃える。
中村さんは「住んでいると気づけない地元の良さも、自然の素晴らしさも、自らが体験してみないとわからないものです。活動に携わり上山高原の長い歴史に触れる中で、もっと早い時期から地元のことを知らなくてはいけなかったと後悔しました。」と気持ちの変遷を明かす。
そして、自らが悔いたからこそ、「地域住民一人ひとりが上山高原をはじめとする地元を見直し、奥八田地区の自然や生活、歴史の素晴らしさを、地域外の人々に伝え広められるようにならなくてはいけない。」と、これから取り組むべき課題について言葉を続けた。
「エコミュージアムの活動が地域の生活そのものになれば、若い人たちも後に続けるはず。そのためには、誰かが行動を起こしてくれるのを地域の中で待つのではなく、こちらから資料を携え、周辺地域に説明に出向かなくてはいけないと思っています。
自然体験プログラムに参加してくれた人が、ふもとの温泉に立ち寄り、居合わせた人に『上山高原はとっても良かったよ』と紹介してくれる。そういう輪を広げていきたいと思っています。」と想いを新たにしている。
一方、馬場さんは「そこにある貴重な自然、山、渓谷を守り生かすことで都市部との交流を重ね、活気ある地域づくりをしていくことがエコミュージアムの使命。今の取組みをさらに充実させ、交流人口をもっと増やしたい。地域が元気になるための核になりたいと思っています。」と言葉に想いを込めた。
活動から15年目を迎えた令和2年3月。上山高原にイヌワシのつがいの生息が確認され、繁殖の可能性があることが判明した。 「15年間頑張ってきた活動が、ようやく実績として一つの形になろうとしています。」
ふるさと館に響く中村さんのうれしそうな声が、奥八田地区の明日を明るく包み込んでいく。
(取材日 令和2年8月27日)