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毎月第2土曜は、丹波ハピネスマーケットの日!
こだわりの食と雑貨の店舗を集め、
起業の夢への挑戦と、地域づくりをサポート。
毎月第2土曜は、丹波ハピネスマーケットの日!
こだわりの食と雑貨の店舗を集め、
起業の夢への挑戦と、地域づくりをサポート。
豊かな里山と自然の恵みにあふれる多自然地域・丹波市の城下町に、毎月一度、市内をはじめ近隣から、女性や家族連れが多く集まるマーケットが現れる。年々シャッターを下ろす店舗が増えていく商店街を、何とか活気づけたいと、地元の若手経営者とPR会社とが手を取り合って開き続ける定期市だ。
丹波に暮らす人たちや、丹波からちょっと離れた都会に暮らす人たちに「丹波市っていいね」と思ってもらいたい。丹波の地で新たな暮らしを始める移住者や、チャレンジに取り組みたい人が、活躍するための土台をつくるきっかけを提供したい。
そのための仕組みをつくりだし、店を出す人も訪れる人も共に幸せな時間を過ごせる場所として注目を集めている。
【丹波ハピネスマーケット実行委員会】
平成24年9月より毎月第2土曜日に、丹波市柏原町にある柏原八幡宮周辺で開催。
「丹波ハピネスマーケット(以下、ハピネス)」と名付けられた定期市では、丹波の農産物などを活かした手づくりの食や、語り始めたら止まらないものづくり人が手掛ける雑貨を中心に出店されている。毎月2千人を超える来場者はリピーターが多く、その半数以上が市外からの訪問者という人気ぶり。 若い起業家たちのチャレンジの場ともなっている。
令和元年度、地域資源を新たな工夫で活用し、観光・交流を促進する事業・イベントに贈られる兵庫県丹波県民局「丹波すぐれもの大賞」ときめき部門を受賞した。
丹波の地に、たくさんの人を集めたい!
「おはようございます!」
朝8時半。元気な挨拶が交わされる中、柏原八幡宮のふもとに広がる空き地では、マーケットのブースづくりが始まっていた。それぞれの出店ブースが商品を並べ終えるのを待ちきれず、次々に訪れ始める来場者たち。そして迎えた午前10時、マーケットがオープンした。
きっかけは、商店街に店を構えるバームクーヘン工房のオーナーが、元気がなくなっていく商店街に人が集まる仕組みをつくりたいと声をあげたことだった。
ベーカリーショップのオーナーで実行委員会の代表を務める吉田賢一さんは、自らも丹波地域でイベントを立ち上げたいという想いを抱えていたという。
「当時からいろいろな地域のイベントに出店していたので、マーケットが交流の場として機能する様子を目の当たりにしていました。声をかけられた時『やりましょう』と即答しました。」と話す。
「商店街で朝市やフリーマーケットを開いてはどうかというアイデアが出た時、地元でまちづくり活動に携わる知人に相談したんです。その時彼がくれたアドバイスが、月に一度、定期市を開催することでした。」と商店街で薬局を営む実行委員の梅垣友一郎さん。
「この地域に、たくさんの人を呼ぼう。」
吉田さんや梅垣さんたちの想いに、地元商店の若手経営者たちも賛同し、実行委員会を設立。定期市を提案してくれた知人をアドバイザーに迎え、開催に向け動き出した。
毎月第2土曜日は、ハピネスへ出かける日!
スタートにあたり、実行委員会では二つの目標を確認し合った。その一つが、丹波市を人が集まる地域にすることだった。
「週末になると三田市や神戸市へ遊びに出かける市内の人たちに、丹波市にも素敵なところがあるんだと見直してもらえる仕組みをつくりたかったんです。街より丹波で暮らすほうが、魅力的だと感じられる地域にしたいと思いました。」と、商店街で雑貨のセレクトショップを営む実行委員の竹内紀美子さんは言う。
そしてもう一つの目標は、若い起業家たちのチャレンジの場にすること。新たに事業を始めたい人が、マーケットに出店することで自分の顧客を生み育て、商店街や丹波市内で店を構えるきっかけにしてほしい。そこから地域づくりにつながってほしいという想いだった。
そんな二つの目標を胸に、商店街を中心とした様々な店舗に、出店を頼んで回ること約1カ月。平成24年9月12日、約20店舗が集まり第1回「丹波ハピネスマーケット」が開催された。
「まずまずの集客でした。当時のイベントとしては珍しく、会場に音楽が流れるおしゃれなマーケットを開くことができました。」と竹内さんが懐かしそうに話す。 「その後、アドバイザー役の知人が他県でも関わっていたマーケットのつながりを通じ、開催のたびに京都や大阪、滋賀などからも素敵な雑貨や飲食の出店者を連れてきてくれました。丹波市内だけではなく、敢えて遠方の出店者にも参加してもらうことで、地元の人がいっそう楽しめるようにという狙いがあったんです。」 そのかいあってハピネスは、「おいしくておしゃれなマーケット」として少しずつ地域に定着。初めての開催から8年、現在では一回の出店数は約50店、市内外からの来場者数は約2千人という人気のマーケットに成長した。
続々とファンが生まれる、
こだわりの食と手仕事のストーリー
「ハピネスが丹波地域に定着した背景には、実行委員会が大切に守り続ける3つの約束がある。
一つ目は、実行委員と事務局で、役割を明確に分けていることだ。実行委員会に加わった市内のPR会社が、企画・広報・運営といった事務局業務を担当し、実行委員は地元との調整やマーケットへの出店に徹している。
「地元の商店は日頃の商売だけでも大変です。それぞれが無理をせずに取り組める役割を分担したことが、ハピネスを継続できている最大の理由です。」と言う梅垣さん。竹内さんも「事務局が出店者の管理や、広報のプロとしてSNSで発信してくれるのでありがたい。」と話す。
約束の二つ目は、毎月1回必ず開催すること。「毎月ではなく、数カ月おきに開きたいと思ったこともありました。でも、お客さんを呼び続けるためには、毎月第二土曜日にここへ来たら、マーケットが開いていることを定着させる必要がありました。」と梅垣さん。
「アドバイザーから、『ハピネスはイベントじゃない。ここで出店者を育て、自分の店を持つための顧客づくりをしてもらうために、定期開催を続けなくてはいけない』と言われました。」と竹内さんも振り返る。 そして、実行委員たちが声を揃えて「最も大切な約束」と話すのが、マーケットに呼びたいお客様像を想定すること、さらにそのお客様が来たくなるような店舗の基準をつくり、出店者を選定することだ。
「こだわりの食材や丁寧な手仕事を商いにしているお店とつながりたい女性に向けて、彼女たちが丹波で楽しむための刺激を与えるマーケットにしよう。お客さんたちが『また来たい』と思えるような魅力のある雑貨ショップや、仕入れ・生産・加工・販売のいずれかで丹波地域に関わりのある、おいしいものを提供するお店を呼ぼう。そんな基準を設けました。」
しかし、最初は実行委員の間でも葛藤が起こった。
「出店者の確保が大変だった当初は、足りない出店ブースを埋めるために、理想としている店舗とは異なる雰囲気の出店者も呼ぼうとしたんです。その時『それは絶対にしてはいけない。想定した来場者が求める店とは異なるカラーの店が並んでは、マーケットの雰囲気が変わってしまいお客さんが来なくなる。お客さんが来ないと、出店者も集まらなくなってしまう』と、アドバイザーに指導されました。」と梅垣さんは言う。
吉田さんも「二年目くらいが転機だった」と振り返る。 「最初はコンセプトの意味を理解しないまま出店者を募っていたので、マーケットの趣旨からズレていったんです。そこで自分たちがつくった店舗基準にそって見直しをし、いくつかの店舗には辞退していただきました。申し訳なくて辛かったですね。」 コンセプトを守り運営を続けていくうちに、実行委員の想いに賛同する店が自然に集まるようになり、出店者のファンもどんどん生まれていった結果、開業をかなえる出店者が現れ始めた。
新たな起業者を丹波で生み出し育むために
実行委員の竹内さんも、ハピネスに出店したことをきっかけに、商店街に店舗を構えた一人だ。
「立ち上げの頃は、雑貨ショップがなかなか集まらなかったんです。そこで実家のリサイクルショップが扱うアンティーク雑貨を、私が出店するようになりました。すると、『こんな店が丹波に欲しい』とお客さんから声がかかるようになり、思い切って起業したんです。」
竹内さんの他にも出店を経由して起業したケースは多い。事務局を担当する中川知秋さんは「丹波地域で出店を希望する際、起業準備のひとつとしてハピネスに出店し、ファンをつくることから始めるケースもある」という。
例えば、丹波市内にオープンした焼き菓子店は、出店を通じて多くのファンが生まれ、開業と同時に行列ができるほどの人気店になっている。 さらに出店をきっかけに、自分の店を持つ夢を育む人もいる。多可町から出店した布小物販売の女性は、起業へのチャレンジの場というコンセプトに共感。
自分の製品にポリシーを持った出店者たちに刺激を受け、「自分の店を持ちたい」と話す。その他、ガーデンデザイン事務所の女性が、知人に誘われ寄せ植えショップを出店。
来場者との交流を重ねるうちに、店舗の開業を考え始めている。 「自宅ショップを運営している人がアピールの場にしたり、新商品のマーケティングやブランディングの場にする人など、それぞれ上手に利用されています。」と竹内さん。 実行委員や事務局、出店者たち全員がコンセプトを基に心を合わせ、その結果、人の温かさに触れ心が満たされる交流の場に育てたことで、ハピネスを起業家発掘の場にするという目標が、少しずつ実を結んでいる。
地域づくりとは、
夢と笑顔が集まる場所をつくること
毎回、大阪から出店する雑貨ショップのオーナーは、ハピネスの魅力として「お客さんも出店者も自然体で一緒に楽しめるマーケット。
出店者が誰よりも楽しめるので、お客さんにも楽しさが伝播していくんだと思います。」と交流が生み出す雰囲気の良さを口にする。また、多可町から出店を続けるベーカリーショップの女性は「お客さんや出店者の知り合いが増えたことで、丹波市に親近感と地元感が生まれ、心の距離が近くなりました。」と微笑む。
丹波市へのIターンをきっかけに農業を始め、野菜を生産・販売している出店者は「丹波市に知人のいない移住者には出店することをお勧めします。お客さんだけでなく地元の出店者たちと交流ができるので、つながりをつくれるいいコミュニティです。」と語る。 さらに想定外のうれしい交流も生まれた。まちづくり活動に取り組む地元の高校生たちが、出店者やボランティアスタッフとして参加し始めたのだ。そんな高校生たちに対して、地元愛が生まれることを期待しているという竹内さん。
「丹波で起業したIターンの出店者と触れ合うことで地域の良さを知り、進学で地元を離れても帰ってくる人が増えればいい。自分の生き方を考えるきっかけにしてほしい。」と言う。
平成24年9月から、悪天候時を除いて毎月開き続けてきたハピネスだが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため開催を中止。
令和2年は3月から6月まで、ハピネスのない第2土曜日を過ごすことになった。開催できなかった期間、事務局では丹波地域の店舗のテイクアウト情報を公式サイトへ掲載。瞬く間に話題となり、ネットショップの案内と共にSNSでの拡散が続いた。
中川さんは「悪天候で開催できない月の発信方法を考える、いい気づきになりました。」と話す。 一方、吉田さんは「人と人との交流にハピネスが果たしてきた役割に、改めて思いを致した4ヵ月だった。」と振り返った。
「親子が楽しそうにご飯を食べている姿や、出店者とお客さんたちが仲良く話し込む様子を見るたび、名前の通りハッピーなマーケットになったことが本当にうれしかったんです。それが今は、マスク越しでは表情はもちろん、相手が誰なのかさえわからない。今までのようなコミュニケーションがとれなくなって、改めて笑顔の大切さを実感しているんです。」
地域に人を呼ぶ仕組みとは、夢と笑顔が集まる場をつくることだと、丹波ハピネスマーケットが教えてくれた。 来場者もそろそろ帰宅し始めた午後3時過ぎ、会場は挨拶を交わし合う出店者たちの元気な声が響いていた。
「また来月、ハピネスで!」
(取材日 令和2年11月15日)