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家族のように、地域と暮らそう!
家族のように、地域と暮らそう
「里山生活」を求め、自然豊かな三田市高平へ移住した佐藤秀一・英津子夫妻。楽しさを多くの人と分かち合うために立ち上げたNPO法人は、いつしか地域課題を解消する活動拠点になった。「自然と向き合う生活を前にすると、人はおのずと力を合わせ、家族のように笑い合って暮らせるようになる。」と話す佐藤夫妻の想いを聴いた。
【NPO法人 里野山家】
2012年、「自然エネルギーと農のある暮らし」を送るため、西宮市から三田市高平にある築80年の古民家へ移住。2016年、住居を活動拠点にしたNPO法人 里野山家を設立。住居裏の里山整備や近隣の遊休農地を活用した農作業、味噌・醤油・しめ縄づくりといった伝統文化・技術のワークショップ、太陽光や風が持つ自然エネルギーの活用実験など、地域内外の人々と様々な活動に取り組む。また、移住希望者と地域の空き家とのマッチングなどを通じた、移住支援も行っている。
10年間100軒以上、探し求めた理想の移住先
「私、料理の天才になったんじゃない?って勘違いするぐらい、このお醤油を入れるとおいしくなるんです。」
笑顔で話すのは、里野山家で醤油づくりを楽しむ「醤油部」のメンバー、蓬田(よもぎだ)かおりさん。みんなで仕込んだ今年の醤油は、活動拠点の玄関前に並ぶ樽の中で、絞られる日を待っていた。
醤油づくりなどの伝統文化や農業に触れる暮らしと、自然エネルギーを使った里山生活を送ろうと移住した佐藤夫妻。きっかけは、秀一さんが当時働いていた企業を退職後、人と地球環境のより良い関係づくりを学ぶ団体に所属したことだった。自然が持つ力を利用した道具づくりの体験を通じ、子どもたちが自然との共生や環境問題などを学び、考えるきっかけを提供する取り組みに従事していた
「会社員時代も、排水処理の研究や宇宙開発に関する部署で、環境に関わる仕事をしていました。きれいな地球を子どもたちに残すには、自然と共生した暮らしを送ることが必要だと感じ、自分でも体験したくなったんです。」と秀一さん。理想の移住先を求め、英津子さんと共に様々な地域へ出向き、10年間で100軒以上の家屋を回った末、ようやく巡り合えたのが現在の古民家だった。
飛び込んだのは、地域活動のど真ん中
移住後すぐ、二人は地域に溶け込もうと、様々な行事に積極的に参加し始めた。老人会の集いや、寺の掃除、旅行などで地域住民と接する機会を増やす一方、足を運んだのは地域の活性化に取り組む「高平郷づくり協議会(以下、郷協)」だった。運営委員会に招かれたその日のうちに、環境美化部会長と副部会長を任された佐藤夫妻。中でも英津子さんは持ち前の社交性を発揮し、すぐに活動の中心的な役割を担い始めた。
郷協の会長で、里野山家の理事も務める岡田秀紀さんは「郷協では、地域の人たちの交流の場として “井戸端会議”を設けていましたが、なかなか人が集まらなかったんです。でも、英津子さんが困りごとの相談や情報交換を行う、フリートークの場として盛り上げてくれたおかげで、今ではたくさんの人が参加しています。」と話す。
「楽しいから、井戸端会議へ一回おいで!」 地域住民はもとより、地域外から高平を訪れる人たちにも声をかける英津子さん。里野山家の移住支援事業につながっていった。
「楽しいから一緒に暮らそう!」
移住後しばらくして、佐藤夫妻の元へ高平地区への移住を希望する人たちから、問い合わせが届くようになった。岡田さんを中心とする郷協メンバーと力を合わせ、高平地区の空き家と移住希望者とのマッチングを行うようになり、これまでに支援した移住者は、およそ30人にものぼる。「楽しいから一緒に活動したい」「一緒に暮らしたい」という佐藤夫妻のシンプルな想いが、移住支援という形になったのだ。
「移住したい地域には、何度も足を運んでほしい」と英津子さん。「気候、風土、四季や景色といった高平の良さを五感で感じてもらいたい。地元の人たちと、どんな暮らしを送ることができるのか、移住後の生活を思い描きやすくなります。ここに住みたいと確信が持てた人をつないでいきたい。」と岡田さん。
そのために里野山家では、様々な活動に参加することを勧めている。その一つが、里山整備だ。
里山への親しみを育てたい
樹木の伝染病や獣害の拡大といった里山の問題を解決すべく、結成されたボランティアグループ「親林隊」。週に一度、間伐や遊歩道づくりなど、里野山家の裏山の整備に取り組んでいる。
その「親林隊」の中心メンバーで、里野山家の理事を務めているのが四家(しけ)圭二郎さんだ。
「里山は、人の手が入るから“里山”です。倒木などを放置していると、クマやシカ、イノシシといった野生動物と人との生活圏を分ける境界線がぼやけてしまいます。山へ人が出入りすることで、棲み分けができるんです。」
そんな里山が持つ役割を伝えようと取り組むのが、イベント活動やワークショップだ。例えば、三田市などが主催する「さんだまち博(*)」へは、薪割りや、しいたけの菌打ち、ペンダントづくりの木工教室など、里山暮らしを楽しく体験できるプログラムを提供している。
一方、「農のある暮らし」を実践しているのは、地域の田畑を利用した「ふるさと楽農部」だ。
*「さんだまち博」:三田市、一般社団法人三田市観光協会主催。三田のまちを博覧会場に見立て、多様な魅力を体験する参加型イベント。
米づくり、野菜づくりで仲良くなろう
「ふるさと楽農部」は、無農薬、無化学肥料による米づくりや野菜づくりに取り組みたい人が、自分のペースで田畑へ集い、農作業を楽しむ活動だ。米や野菜を育てたい、食べたいという人から、子どもと一緒に農作業を体験したい人、高平のことが好きな大学生グループまで、楽しむことを目的にした人たちが、市内外から集まっている。
メンバーの伊ケ﨑由美さんは「子どもたちは、異なる校区の友だちができたり、異年齢の人たちと触れ合えたりすることを楽しんでいます。」と話す。
「ふるさと楽農部」の活動に使用する田畑は、そのほとんどが地域住民所有の遊休農地。高齢化に伴い管理が困難になった田畑を、活動を通じて里野山家が世話をしている。地域住民にとっては草刈りなどの整備や管理を任せることができ、里野山家にとっては作物を育てる場所を手にできる。
こうした様々な活動を通じて地域に貢献している里野山家だが、佐藤夫妻は「地域課題を解消するために、活動を始めたわけではない」と話す。
楽しいことをしていたら、地域貢献になっていた
地域の人と楽しい時間を過ごすため郷協へ足を運んだら、移住者支援につながった。山へ遊びに来た人が「このままでは山が崩れる」と教えてくれたことで、「親林隊」が生まれた。農作業を楽しんでいると「仲間になりたい」と次々に人が集まり、遊休農地の利活用になった。いずれも生活を楽しんでいるうちに、気が付けば地域課題の解決につながる活動に成長していたのだ。
さらに最近は、メンバーたちが自主的に事業の運営に携わり始めた。里山整備のイベントでは、「親林隊」のメンバーがタイムスケジュールを用意し、進行を引き受ける。野菜作りや米作りでは、若い母親たちが率先して農作業に取り組む。
「人材が育ってきたことが、継続した活動の持つ力なのかと感激します。自分だけではできないと自覚して、人に頼ったり、甘え上手になったりすることは大切ですね。」と笑う英津子さん。 そんな里野山家が、活動を通して思い描く地域の未来像とは?
地域づくりは、家族づくり
ある日、里山整備を終えた一人の親林隊のメンバーが、両手で何かを大事そうに包み込み、里野山家へ戻ってきた。差し出した手の中にいたのは、蛍。のぞきこもうと集まってきた大人たちの、少年のような笑顔を目にし、英津子さんは「ジーンとくるものがあった」という。 「里野山家は大人も子どもも、近所の人もメンバーも、誰もが気楽に立ち寄れるみんなの居場所。
日頃は一人でも、ここに立ち寄れば誰かがいる。こんな拠点が、地域にたくさん生まれてほしい。」
最近は、里野山家から独立したメンバーが、他の地域でも活動を始めている。少しずつ想いが形になり始めた佐藤夫妻が思い描くのは、誰とでも力を合わせて暮らすことのできる、家族のような地域だ。
「稲刈りでのこと。刈り取った稲穂を天日干しにするため、束ねた稲穂を掛ける稲木を大人たちが組み立て始めた時でした。小さい小学生たちが、その稲穂を稲木の下へ自主的に運び始めたんです。声を掛け合い、力を合わせて作業に取り組む大人たちを見たことをきっかけに、自分たちで考えて行動するようになりました。大人たちが仲良く暮らす様子を、子どもたちはちゃんと見ているんです。」と英津子さん。
どこにいても、誰とでも仲良く暮らしていける力と自信を、子どもたちが身につけること。それが、遊休農地の復活や若者のUターンにつながり、地域づくりになるはずだと、秀一さんも英津子さんも信じている。
「来るもの拒まずがモットー」と笑う佐藤夫妻にとって、地域は家族。里野山家の「家族づくり」は、これからも続いてゆく。
(取材日 令和5年11月24日)