「苗をちぎらないように植えてください。後は『笑顔』をお願いしまーす!」
南あわじ市にある2525(にこにこ)ファームの玉ねぎ畑。スタッフの井川翼さんが元気いっぱいに説明を続ける中、玉ねぎの定植体験が始まった。この日の体験者は明石からの移住を希望する家族。サポートするのは吉備国際大学4回生の木谷芽生(きたにめい)さん。「玉ねぎのおいしさが忘れられなくて」アルバイトを開始。奈良県から移住し、来春には社員になる。
「移住してきて気になっているのは、南あわじ地域の高齢化。玉ねぎ産地を守るためにも、若い世代に広めたいです。」
「自分のためだけに玉ねぎをつくるのではなく、人を受け入れ就労につなげたい。」という2525ファームの迫田瞬社長も、神戸からの移住組。赤松さんは「顔の見える農業体験を引き継いでくれている。」と喜びを語る。
畑には思春期真っただ中の男の子。家族とのそっけないやりとりの中、玉ねぎの苗を手に見せた楽しそうな笑顔が、印象的だった
青く高い空の下、稲刈りが終わった田んぼに、今ではすっかり珍しくなった「わらぐろ(*)」が残る。田舎の原風景の中、静かにたたずむ古民家が都市・農村交流施設「宙-おおぞら-」だ。
「あわじ暮らし総合相談窓口」や農カフェ「八十八屋(はちじゅうはちや)」、定住支援施設など、NPO法人あわじFANクラブの様々な活動拠点として平成23年秋に開設。築40年を経た地元農家の古民家が、多くの人が集う空間に生き生きとよみがえった。ここで赤松さんは、島の魅力を発信するためのイベントを開き、移住希望者たちの相談を日々受けている。
赤松さんが、あわじFANクラブを立ち上げたきっかけは、生活協同組合の常勤理事時代にさかのぼる。当時、子育てサークルで絵本の読み聞かせを行っていた赤松さん。生協の設立準備に関わることになり、自分の故郷・淡路島を外から眺める機会を得た。
「そうしたら、淡路島のポテンシャルの高さが初めてわかったんです。景観もそう、農作物もそう。なんて豊かで魅力にあふれた島なんだろうと気づいた時、淡路島をPRするNPOを作ろうと思いました。」
こうして平成18年、食(Food)、農業(Agriculture)、自然(Nature)を頭文字に、島の魅力発信と都市農村交流を目的とした「NPO法人あわじFANクラブ」が産声を上げた。
(*わらぐろ=刈り取った稲わらを円すい形に積み上げたもの)
「宙-おおぞら-」の中の交流拠点ともいうべき農カフェ「八十八屋」。おしゃれな西洋野菜をふんだんに使った「農園プレート」が人気のカフェだ。食材の中心は、神戸市から移住して来た柴山厚志さん・美紀さんが一から始めた淡路島西洋野菜園で育てる野菜たち。
「柴山さんが、自分の手で育てた野菜を抱えてきてくれた時のうれしさは、今も忘れられません。淡路島では珍しい西洋野菜を見事に作ったんだなあと……。」
柴山さんとの交流が始まったのは5年前。地元の人から紹介され、赤松さんが会いに行ったのが始まりだった。
「もともと南あわじは、有機野菜の栽培が容易な地域じゃありません。でも柴山さんは、知識欲も豊富で研究熱心、新しいことに挑戦を続ける人。たくさんの人に慕われていて、有機栽培に関心のある移住希望者に出会うと『まずは柴山さんのところへ!』って話を聞きに行くんです。」今では、赤松さんの良き協力者だ。
一方、カフェの経営者・延原直樹さんは、一度は離れた淡路島へのUターン組。スタッフのアイちゃんは「カフェを始めたい」と九州から移住して来た。さらに、あわじFANクラブの理事長・吉川晴喜さんも、アドバイザーを務める小松茂さんも、いずれも移住者だ。景色や空気の良さ、水のおいしさに「あわじ暮らし」を決めたという。
そんな島暮らしの魅力を、吉川さんは「食材の豊富さと住みやすさ。そして空の広さ。温暖で雨も少なく、年中活発に動けるところが島の人の明るさ、温かさにつながっている気がします。毎朝、海へ朝日を見に行って癒されていますよ。」と話す。
そんな淡路島が引き寄せる移住者たちの数は、年々増加傾向にある。平成21年秋に相談窓口が開設されて以来、今年9月までの相談件数はのべ3,891件。そのうち移住者は150件、273人にのぼる。
「東日本大震災以来、みんなが食べることの重要性に気づいたんだと思います。淡路島は自給率の高さも魅力のひとつですから。『会いたい』『話を聞いてほしい』など、本気で移住を考える人が増えていると感じます。」と赤松さんは語る。
しかし赤松さんは、彼らに「田舎暮らしは甘くない。」とはっきり伝えるという。
「自分がここで何をしたいのかをしっかり持っていないと、移住は無理。みんな3年は苦労する覚悟で、オンリーワンになるんだという想いの芯を持って来ています。」
そんな赤松さんが関わる多くの移住者の中で、印象深い一組の家族。それが南あわじ市阿万(あま)地区に暮らす中村正臣さん・美和さん夫婦だ。
出会いのきっかけは、あわじFANクラブが主催した農業体験イベント。赤松さんに相談を重ね、住まい探しのアドバイスを受けながら淡路島に通うこと半年。住まいが決まり、ネットショップ経営から中村さん家族の淡路暮らしはスタートした。その後、食材の豊かさに感動した正臣さんは、実家の肉屋で評判だったコロッケを再現して販売しようと一念発起。移動販売や洲本市内への出店など、人気商品に育てている。
「中村さん夫婦は、折に触れて相談や報告に来てくれます。最初は『こんなことがしたいけどどうかな』など、不安そうにいろんなことを尋ねてこられてました。アクセサリーの販路の相談があった時は、農カフェ八十八屋で場を設定したり……。娘みたいな感覚でサポートしていました。最近は『こんなことを始めようと思う』と、話の内容が報告になってきて、成長してるなって思います。」
定住している移住者に共通しているのは、中村さん家族のように、臨機応変に変化してゆける柔軟さや「まだまだやりたいことがいっぱいある!」という行動力。さらに、今まで経験したことのない近所とのコミュニケーションや、雨漏りさえも楽しめてしまうおおらかさだという赤松さん。
「受ける相談も、困りごとより楽しい話が中心です。」とうれしそうに話す。
相談を受けた人たちが移住してきた後は、訪問相談に回っている赤松さん。
「不安そうな顔で相談に来た人が、笑顔で帰っていく。訪ねていくと、楽しく暮らしていると笑顔で言ってくれる。移ってきた人が『うれしい』『楽しい』と言ってくれるのが、私もうれしい。目の前の人が喜んでくれることが原点です。笑顔をつくるって大事ですよね。人を笑顔にできる仕事に携われていることが、うれしくて幸せ!」
理事長である吉川さんは語る。
「移住相談というと、踏み込んだアドバイスをしないところが多いんです。でも赤松さんはそうじゃない。移住の厳しい現実を伝えながら、手間も暇もかかるサポートに取組んでいる。私はそこに共感しました。数や実績を追いかけることが、移住相談の目的じゃありませんから。」
「私の仕事は、仕事や住まい探しのアドバイスを提供すること。相談に来た目の前の人がいちばん知りたい情報を出し、最後は相談者自身が判断できるよう、寄り添うことだと思っています。」と赤松さん。
「淡路で幸せな生活を送ってもらうために、私たちのサポートはある。」とその言葉は力強い。
「実は35年前、淡路への移住でお世話になったのが、農カフェ八十八屋の現オーナーのご両親とおじいさんだったんです。このつながりが、あわじFANクラブで移住サポートを請け負うきっかけになりました。まさかそのお子さんがカフェのオーナーになるなんて。」と感慨深く語るのは、アドバイザーの小松さん。
その隣で赤松さんは「自分たちが先駆けてやってきたことを、若い人もやってくれるのは本当にうれしい。私にできることは、人をつなぎ、活動をつなぎ、支援をつなぐことです。これからの目標は若手のサポート。自分が行うのではなく、伝えてゆきたい。」と話す。
「子どもに何を伝えてゆくのか?」これが赤松さんの出発点だった。
かつて子育てサークルで絵本を通して伝えてきたことを、当時の子どもたちが母親になった25年後の今でも覚えていることに感銘を受けた。母親が大切にしてきたことは、子どもたちに伝わってゆくのだと確信したのだ。
「花や野菜、味噌づくりから島の魅力まで……大切なことは、お母さんが伝えないとわからない。そのためにはまず、お母さんたちに伝え、つないでいきたい。」
赤松さんがサポートするのは「薦められて来た」移住ではなく、自分の責任で選ぶ「あわじ暮らし」。だからこそ、移住者たちの「幸せ」が赤松さんの「幸せ」でもある。
「すぐに答えが出ないのが地域活性化。移住に関わってまだ7年。結果が出るのはこれからだと思っています。」
10年後、20年後、赤松さんが手にする答えは、きっと「幸せ」のつながりだ。