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淡路人形座

すごいすと
2019/01/25
坂東千秋さん
(55)
兵庫県南あわじ市
淡路人形座

 

500年もの長きにわたり人々を魅了する淡路人形。その歴史と伝統を受け継ぎ、現在も活動を続けるただ一つの座元が淡路人形座だ。第二次世界大戦後、消滅の危機にさらされた淡路人形浄瑠璃を後世に残すべく、昭和39年から活動を開始。国指定重要無形民俗文化財にも登録され、年間1,300回を数える常設館での公演はもとより、国内外での出張公演や学校などでの出前講座、様々なイベントでの特別公演を通じて普及に取り組んでいる。そんな淡路人形座で、支配人を務めているのが坂東千秋さん。小学3年生で出会った芝居に魅せられ人形遣いの道へ。現在は運営に携わる裏方として人形浄瑠璃の発展と伝承を目指し、24名の座員たちと共に奮闘を続けている。

 

9歳での出会い、20歳での決断

 

演目「戎舞」 皆さんに福を授けるといわれる戎様

 

「人形を操る3人の黒衣(くろこ)が、上演開始から5分くらいたったある瞬間にスッと視界から消えるんです。太夫(たゆう)の語りや三味線が自然に耳に入り、人形が一人で動いてしゃべっている不思議な世界が広がります。」
淡路人形浄瑠璃の魅力を語る坂東さん。時折、話に混じる身振り手振りは、人形に命を吹き込んできた人形遣いの手を思わせる。坂東さんがこの世界へ入るきっかけになったのは、小学3年生で参加し始めた地元地域の子ども会活動だった。
「後継者難になっていた淡路人形を衰退させられないと、地域の子ども会が活動に人形浄瑠璃を取り入れ始めた頃でした。それが最初の出会いでした。」
伝統芸能に子どもたちが取り組む珍しさも手伝い、神戸をはじめ遠くは北海道へも公演に出かけて行ったという。
「お芝居の内容が人情の機微に触れた悲劇が多いこともあり、おじいさんやおばあさんが涙を流すんです。大きな拍手と共に『すごいな』『えらいな』『ありがとう』と声をかけてもらえました。人形浄瑠璃って人の心を感動させるすごい芸能なんだと、子ども心にも感じました。」
中学3年生まで活動を続け、高校卒業後は一般企業に就職したが、ある日、淡路人形座の手伝いに参加していた同級生から声がかかる。
「日曜だけでも、手伝いに来てくれないか。」
座員の高齢化で、人形を遣う人手が足りないというSOSだった。
「まるで人間のように人形が動いているプロの芸に、改めて感動したんです。」
こうして毎週末、人形遣いとして通い始め一年が過ぎた頃、坂東さんはいよいよ選択を迫られる。
「月曜から土曜までは自分の仕事、日曜は人形座で自由な時間がまったくない(苦笑)。このまま二足のわらじを続けるか辞めるか考えた結果、だめでも、若いからなんとかなるだろうというくらいの気持ちで転職しました。」
厳しい技芸の世界へ飛び込んだのは昭和58年、20才の時のことだった。

 

淡路人形座の支配人を務める坂東千秋さん

本物の伝承と新たな娯楽づくりへの挑戦

修行に励みながら人形遣いとして舞台に上がっていた坂東さんに、さらに転機が訪れる。
「定年退職を迎えた前任者の後を継ぎ、支配人にならないかと声がかかったんです。すぐ上の先輩でも、親にあたる世代。後継者がいませんから、とにかくやってみるしかないと思いました。」
30歳に満たない若さで、人形座の運営を取り仕切る支配人へと転身を果たすことになった。
「一般的に、難しい、古い、お年寄りが観るもの、言葉や話がわからない高尚なものといったイメージの人形浄瑠璃を、どうやって多くの人に知ってもらい、いかに足を運んでもらうかが最も苦労する。」と語る。
そのために大切にしていることの一つが、来館者との触れ合いだ。人形との写真撮影に応じたり、舞台の感想を積極的に求めにいく。
「例えば、戎(えびす)様の人形と一緒に写真を撮って『宝くじが当たった』『大きな手術がうまくいった』といって喜んでくださる方もおられます。一つ一つの出会いを大切にすることで喜ばれ、次の出会いになるんです。」

公演終了後は、来館者との触れ合いを大切にする淡路人形座(戎様との記念撮影)

 

また「攻めることが最大の防御。やれることは何でも挑戦しています。」と、常に新しいことに挑み続ける坂東さん。公演内容も、座員たちと一緒に様々な工夫を凝らす。その一つが異業種とのコラボレーションだ。中でも若手講談師との共演は、東京から来館する人も現れるほど話題の企画となっている。

 

異業種とのコラボレーションの企画を進める

 

さらに年間100回以上の出張公演にも取り組み、平成30年10月には日仏友好160年を記念したイベントの一環としてパリで公演。好評のうちに幕を下ろした。

 

フランスのパリにある日本文化会館で公演(パリで開催された「ジャポニズム2018」、公演日:2018年10月17日)

 

公演後の見送りでも大人気の戎様

 

その一方で、「本物を見せられる技量があってこそ、新しいことに挑戦できる」という想いのもと、年に一度の復活公演にも力を注ぐ。
「淡路で生まれ、大切にされながら演じられなくなったものの中から、これまでに14演目を復活させてきました。最近では平成28年に、航行の安全と豊漁を祈願する『戎舞(えびすまい)』を奉納したのをはじめ、100年ぶりに演じる演目もあります。何百年という時間のふるいにかけられながら、現在まで受け継がれている本物の舞台をここで見ることができるという価値が、人形座の財産になっていくのだと思っています。」
そんな財産を守り育てるため、人形座の活動は学校という舞台でも繰り広げられている。

 

2018年1月28日復活公演「賤ヶ嶽七本槍〜左馬之助湖水渡りの段〜」に向けて、芝居に登場する左馬之助の名馬を手作業にて制作

 

全長約2メートルの名馬が完成し、復活公演「賤ヶ嶽七本槍〜左馬之助湖水渡りの段〜」の練習が進む

後継者を育てたい! 学校と取り組む継承システム

淡路人形座では、文化庁による「文化芸術による子どもの育成事業」の一環として、県下の小学校・中学校で出前講座として人形浄瑠璃のワークショップを開催。また、市内の中学・高校の部活動へ座員たちが訪れ、人形浄瑠璃の指導を行っている。さらに、平成31年4月から南あわじ市で取り組みが始まる、伝統芸能を題材にした教育活動にも参加する予定だ。
「伝統を守る方法の一つは、教育であると思っています。歴史や知識、技量だけでなく、人形浄瑠璃のけいこを通して『お願いします』『ありがとうございます』といった挨拶を交わしたり、自分の意見を相手に伝える大切さを学ぶことによって、コミュニケーション力を育むお手伝いができたらいいですね。」
日々の学習の中で、地域の子どもが伝統芸能に触れることを通して「絶やしてはいけないものだ」と感じてほしいと坂東さんは言う。
「田んぼでいえば、土壌を耕し苗を植え、水やりをしながら育てているようなもの。淡路人形座は、こうして経験を積んだ人たちが就職する仕組みです。実際に高校で浄瑠璃の活動をしていた若者が、太夫や人形遣いとして就職しています。後継者の育成、人形浄瑠璃の伝承という目的を持ったこの継承システムは、ユネスコでも優良事例として表彰されました。」
「学生たちが好きな道に進める場としても、淡路人形座を守りたい」
500年もの間、受け継がれてきた伝統文化を守るという大きな使命に、坂東さんは向き合っている。

 

淡路市立石屋小学校でワークショップ

 

淡路市立津名中学校でワークショップ

原点を守りながら工夫とともに変化する、それが伝統

「伝統とは、その時その時の時代に応じ、工夫を重ねてきたもの」と話す坂東さん。それを実感したのが、きつねが何度も早替りを行う演目を上演した時のことだったという。
「衣装の色が赤や緑で『当時は生地が豊富になかったので、こんな色になったのだろう』としか考えず、落ち着いた色に作り替えてみたら、衣装の変化が客席に伝わらなかったんです。」
長く演じられてきた歴史の中で工夫を重ねた結果、たどりついた色が赤や緑だったのだ。
「衣装に限らず、昔からあるものを古臭いと軽んじがちな現代ですが、何十年、何百年もの繰り返しの中で研ぎ澄まされてきたものが伝統であり、その地域に育まれた風土から生まれ、地域の習わしを知るうえで最も大事なものが文化なんです。」と語る。

 

西宮の百太夫という人が約500年前に淡路島に伝えた “式三番叟”(昔は淡路人形座の公演の前、舞台を清めるために必ず上演された)

 

「『自分たちの生まれ故郷には、こんなお国自慢があるんだ』と紹介してもらえる淡路人形浄瑠璃でありたい。地域の特性は、郷土愛にまっすぐ繋がるものです。だからこそ地元地域の方々にも、大切なものだと意識していただける活動をしなくてはいけません。先人たちが苦労を重ね、時代を乗り越え守ってきたものを絶やさないようにと思っています。」
伝統を守ることとは、原点を大切にしながら時代に合わせ変化すること。坂東さんの淡路人形座での35年間を支えてきたものは、この想いだった。

 

2019年1月2日、淡路人形発祥の地、南あわじ市市三条の麻積堂(三条八幡神社脇宮)において淡路人形座の座員による三番叟を奉納

 

受け継がれる伝統(人形の頭の毛を結う髪結い。役によって髪型を次々変えていく、髪結師)

初心忘るべからず

「舞台に慣れ『もう、これくらいでいいだろう』と思ってしまうと、芸はそこから伸びません。志を立てた時の心、すなわち原点は年数が経つと忘れてしまうものです。自分が就いた仕事に悩みが生まれると、なぜこの仕事をやり始めたんだろうと迷いが生まれるのと同じです。」
大切なことは「原点に返ること、なぜそれを始めたのかに思いを致すこと」だという坂東さん。
「人手が足りないという理由で、手伝い始めた人形座の仕事でした。正解もゴールもない世界ですから、この仕事が自分に向いているのかいないのか、今もわかりません。わかりませんが、あの時『やってみよう』と思った気持ちが私の原点です。岐路に立った時に自分が選んだ道が、正解の道。選んだ気持ちが、初心なんです。」
就いた仕事を投げ打って、人形浄瑠璃の道を歩く選択をした。表舞台で活躍する人形遣いから、裏方での支え役として生きる支配人へ転身した。決断した気持ちを支えに、自らが選んだ道を信じ、歩いている。

 

(公開日:H31.01.25)

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