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株式会社灘菊酒造 杜氏

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2014/12/25
川石光佐さん
(36)
兵庫県姫路市
株式会社灘菊酒造 杜氏
県下第二の人口を擁する姫路市は、播磨地域の中心都市。国宝であり世界遺産にも指定されている姫路城の城下町として古くから栄え、豊かな伝統文化を育んできた。

ここ姫路の地で創業104年を迎える酒造メーカー「灘菊」。その蔵元の三女として生まれた川石光佐さんは、東京農業大学で醸造学を学び、南部杜氏 鎌田勝平さんの下で3年間修業した後、灘菊の杜氏に就任した。

平成22年、試験に合格して女性としては西日本で初めての南部杜氏となり、今年5月には自らの手がけた2つの日本酒が南部杜氏の鑑評会で優等酒に選ばれた川石さん。実家の蔵で、姫路ならではの酒づくりに取り組んでいる。

写真:灘菊酒造株式会社 杜氏 川石光佐さん

杜氏への道

灘菊酒造の蔵元の三人姉妹の三女として生まれた川石光佐さん。「家業を継いで欲しい」と言われたことはなかったが、上二人の姉はそれぞれ酒造とは別の道に進み、子どもの頃から慣れ親しんだ家業の酒造りの行く末が気になっていた。

高校卒業後、東京農業大学農学部醸造学科に進学。全国から集まってくる酒蔵の後継者たちと共に、酒造りを学んだ。

学業を終えて実家に戻った川石さんは、当時灘菊の酒造りを取り仕切っていた南部杜氏、鎌田勝平さんの下で3年間の修行をした。この頃、川石さんに杜氏になろうという意識はなく、美味しいお酒を造るため、鎌田さんの手伝いをするくらいの気持ちだった。

「修業と言えるほど自覚を持っていたわけではなく、一緒にさせてもらっただけ」と笑うが、この3年間で鎌田さんから酒造りについて多くを学んだ。

写真:灘菊酒造

昔ながらの蔵が残る灘菊酒造。黒田官兵衛の家来・栗山善助の屋敷跡に建つ

ところが、平成15年、鎌田さんが杜氏を退職することを決め、灘菊の酒造りは大きな転機を迎えることとなった。

近年では杜氏を招かず自社で醸す蔵元が増えてきている。灘菊でもこの年を最後に外部の杜氏を雇わないことになり、今後の酒造りをどうしていくのかについて、社長、鎌田さん、川石さんの3人で話し合った。

鎌田さんは、一緒に仕事をしてきた3年の中で、杜氏に必要とされる統率力と判断力、重圧を背負っていく力を、川石さんが持っていると見抜いていた。

「これまで通りの酒造りを、光佐さんに続けて欲しい」

長年の間、灘菊の酒を守ってきた鎌田さんの強い思いが胸に響いた川石さん。

「播磨の杜氏として蔵人たちの気持ちをまとめ、地域の酒蔵の和を大切にしながら、美味しいお酒を造り続けていこう」

覚悟を決めて、バトンを受け継ぐ決意をした。

写真:大釜

灘菊酒造見学コースにある、昔使っていた大釜

南部杜氏として

平成16年度の仕込みから、川石さんの杜氏としての生活が始まった。

100年の伝統を守っていく責任を背負ったプレッシャーは大きく、技術的にも不安だらけだった。

しかし同じ頃、兵庫県内で似たような境遇に置かれた2人の若い杜氏がいたことで、大きく助けられた。銀海酒造(養父市)の安木さんと、同じ東京農大の後輩である茨木酒造(明石市)の茨木さんだ。それぞれの蔵で酒造りに取り組みながら、互いに通い合って情報を共有することで、ひと冬に3倍の経験をすることができた。このことは若い3人にとって大きな力となり、杜氏としての自信につながった。

「酒造りが本当に楽しいものだと感じた1年でした」と川石さんは当時を振り返る。

写真:櫂入れの様子

酒を絞り出す前の段階である「もろみ」の発酵を促す作業。朝夕の毎日2回櫂入れ(かいいれ)する。

こうして研鑽を重ねること6年。一般社団法人南部杜氏協会が主催する平成22年の杜氏試験に合格した川石さんは、晴れて南部杜氏の仲間入りを果たした。約200人いる南部杜氏の中で、女性はわずか3人。西日本では唯一の存在だ。

南部杜氏とは、岩手県を拠点に長い歴史を持つ日本最大の杜氏集団で、仕込みの時期になると全国の酒造に出向いて酒造りを担う。その伝統の技術と文化を守っていくために難関の資格試験が設けられており、これに名を連ねる者は、杜氏仲間の間でも一目を置かれる存在だ。

胸を張って南部杜氏を名乗ることは大学生時代からの憧れだったという川石さん。「これで数々の偉大な先輩たちと同じスタートラインに立てた」と気を引き締めた。

写真:瓶詰め作業

姫路の酒を造る

灘菊酒造は、姫路を中心に地産地消を提唱する「食・地の座」のメンバーでもあり、川石さんも「地のモノ」にこだわって酒造りをしている。

原料となる米は「山田錦」、「五百万石」、「兵庫夢錦」と、兵庫県産米を中心に厳選したものを使っている。「お米を作ってくれた人の顔が見えるお酒を造りたい」という気持ちで米を磨き、蒸す。

写真:米

市川町の酒米「兵庫夢錦」。

水は創業当時から湧き出る市川水系の地下水を使用。やや軟質で、口当たりの柔らかい酒ができる。

地元の米と地下水を使うことに加えて、その水で育った地元の人で醸すことがオリジナルの味をつくるというのが灘菊酒造の信念。一緒に酒造りをするのは、播磨出身の蔵人たちだ。

「日本には1300の蔵元がありますが、同じ材料を使って造っても、どれひとつ同じお酒はできません。それぞれの蔵が、その蔵らしさを出している。その中で『灘菊酒造らしさ』とは、地のモノを使い、地の者が、手作りにこだわっていることだと思っています」

姫路の地で100年以上続く伝統の技法を守り、米と水という土地の恵みを大切に使いながら、川石さんは灘菊の蔵でしかできない酒を醸している。

写真:職人さんたちとの写真

地元播磨出身の蔵人たちと

日本酒をもっとたくさんの人に飲んでほしいと、新たなファンの掘り起こしにも力を入れる川石さん。炭酸で割ったりレモンやライムを絞るなど、これまでにない飲み方をホームページで発信したり、時には直売店に来た客と自ら顔を合わせて、積極的に提案している。

また、今年から灘菊酒造では、兵庫県中小企業団体中央会が進める「連携組織活路開拓・実現化事業」の一環として、地酒を扱う姫路市の酒販会社と連携しながら、「はりまの日本酒スパークリング」を新たに開発する取り組みを始めている。

見た目がおしゃれで口当たりが良い発泡性の日本酒は、どんな料理にも合うことから人気が高まりつつある。若い人たちや女性の間にも日本酒の愛好家が増えることで、原料の酒米である「兵庫夢錦」の栽培も活発になり、西播磨地域の休耕田も少なくなる。

この「日本酒スパークリング」が姫路の新たな名産品に加わる日を目指して、川石さんは開発に力を注いでいる。

写真:灘菊の販売所にて

継続は力なり

高校生の頃、母校のグランドに掲げられていた「継続は力なり」という言葉が好きで、いつも励まされてきたという川石さん。10年前、杜氏の職を引き継ぐ時に鎌田さんからかけられた、「光佐さんに続けて欲しい」という言葉とも重なる。

「杜氏というのは常にでき具合が問われ、蔵の酒造りの全責任を負う仕事です。その重圧から逃れたいと思うこともあるけれど、続けていくことが力になることを実感しています」

伝統の技法を守りつつ、地元でしかできない日本酒を造り続け、たくさんの人に味わってもらいたい。土地の恵みと地元の人たちに支えられながら、今日も手作業で酒造りを続ける。

写真:好きな言葉「継続は力なり」を持つ川石さん

(公開日:H26.12.25)

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