カンカンカンカン…。田園に囲まれたのどかな駅舎に、踏切の音が響く。北垣さんのスイッチが、駅長に切り替わる瞬間だ。
北条鉄道は、兵庫県小野市粟生駅から加西市北条町駅までの13.6kmを結ぶローカル鉄道。北垣さんが務める法華口駅舎は、大正4年の建築から歴史を重ね、平成26年に駅舎の一部が国登録有形文化財に指定されている。その駅で北垣さんは、パン工房の店長とボランティア駅長という二つの役割を担っている。
「駅でパンを焼くと決まってから、初めてこの駅に来たんですが、駅舎を見た瞬間『ここでパンなんてつくれるの?』って……。埃まみれの建物に、天井は隙間だらけ。改装することは決まっていましたが、これは大変だと思いました。」
その無人だった駅舎内に平成24年11月、米粉パンの工房「モン・ファボリ」がオープン。工房の開設準備中に北条鉄道が公募したボランティア駅長にも就任。北垣さんの奮闘の日々が始まった。
北垣さんが米粉に出会ったのは、平成15年頃。何を焼いてもことごとく失敗。どうしても納得できるものがつくれなかった。
「のめりこみました。つくってもつくっても、できあがるのはぺシャンコのケーキに、ねちねちのパン。でも食べるとそれが『なんかおいしい』んです。せっかくおいしいのに何とかできないかという思いだけで、夜な夜な米粉をこねて、混ぜて、焼く…を繰り返しました。」
そんな数年を経てつくり続けるうち、料理教室やイベントでの講師の依頼が届くようになった。どうしたら米粉をおいしい料理やお菓子にできるのか。米粉料理研究家としてオリジナルレシピを考え、講習会を開き、「命を削ってやっていた」と北垣さんが語るほど米粉と向き合う日々が続く中、あるプロジェクトの声がかかる。
「地元発祥の酒造米を使って、地域貢献につなげることができないか。」地元の社会福祉法人「ゆたか会」からのアプローチだった。
それは、駅舎に米粉のパン工房を開設しようというプロジェクト。「駅舎を地域コミュニティの場として存続させる」「栽培が途絶えてしまった地元発祥の酒造米をもう一度育てる」「障がい者も生き生きと働ける場所をつくる」という想いから生まれた構想だった。
「最初は、『ゆたか会』にパン職人を紹介することが役目だったんです。構想を色々な方に説明しているうちに『私がやるのが、いちばんいいんじゃないの?』と思うようになって……。」
パン屋で修業をしたこともなければ、アルバイトとして働いた経験さえない。オーブンやミキサーの使い方も手探りで身に着けた。どうしたら自分のつくりたいパンが焼き上がるのか、試行錯誤の毎日。
「経験のなかった私に、よくやらせてくださったと感謝しています。チャンスをいただけたことに、どう応えてゆこうか。地域への感謝や愛情を、パンで表現しなくてはと思いながらつくっています。
そこにも、北垣さんならではの想いがある。
トマトやいちご、にんにくをはじめ、地元高校の生徒が栽培・加工したぶどうジャム、市内の酒蔵が仕込んだ梅酒の完熟梅など、パンに使われているのは地域にかかわる食材が中心。
「トマトと聞くと、頭の中に浮かぶのはトマト農家さんの顔。私が地元産の食材にこだわるのは、生産に携わっている人の笑顔が見たいから。どんなパンにしたら、生産農家さんが一番喜んでくれるかなと思いながらつくるんです。私の想いを込めるって、私にしかできないこと。楽しいです。」
店長としていちばんしあわせな瞬間は、パンを食べている人の口から「おいしい!」の一言が思わずこぼれ出る時だと北垣さん。
「ある時、パンを買って出たお客さんが、すぐ戻って来られたんです。車で食べたらおいしかったので買って帰りますって。うれしかったですね。」
近くにいいお店があるよと友だちを連れてくる人。地元の山をモチーフにしたパンを、その山に登って食べてくる人。「おいしかった」のその先に、食べる人たち自身が自然と何かにつながっていくパン。北垣さんが大切にしている地域への感謝も、地元への愛情も、着実にみんなに届き育っている。
「私、加西市が本当に好きなんです」と北垣さん。「地域の人、生産農家さん、運転士さん、スタッフ……喜んでほしい人の顔がいつも浮かびます。パンをつくるのも、ボランティア駅長として手を振るのも、感謝の想いを返したい気持ちの表現なんです。」
ボランティア駅長とは、北条鉄道の各駅を維持管理するスタッフのこと。北垣さんは、ほぼ30分ごとに行き交う電車を出迎え見送るためにホームに立つ。そして真っ白な手袋をした手を天に向かってすらりと差し上げ、大きく左右に振り続ける。その凛とした美しい立ち姿を一目見ようと、多くの人が駅を訪れカメラを向ける。
テレビや雑誌の取材が後を絶たない中、近所に住む女性が北垣さんに声をかけた。
「ホンマに頑張ってね。有名になったのもうれしいけど、本当に感動したの。私は60年ここに住んで、昔から北条鉄道に乗ってるの。これが無かったらどこへも行けない。だから頑張ってね。」
「地元の人が喜んでくれなければ意味がない」と言う北垣さんの想いは、ここでもちゃんと届いていた。
手を振るスタイルは航空機の誘導員がモデル。「飛行機に乗った時、自分だけに手を振られ、応援されているような気がして感動した」というのがきっかけだ。
「乗り物って、みんな何か想いを持って乗っているもの。伝わるものがあればいいなと思って、出迎え、見送りに手を振ることを始めました。人と人が一瞬触れ合うだけですが、通り過ぎる瞬間に感じるものがある駅って、すごい場所だと思います。だからこそ、特別なものをつくるのではなく『何かいいな』という空気がそこにあればいいと思うんです。」
最初は写真を撮るために来ていた人が、カメラを持たずに訪れるようになった。ふらっと来てパンを食べ、コーヒーを飲み、自分の時間を過ごしてくれるのがうれしいと北垣さんは言う。
「私はいつも、法華口駅の風景になりたいと思って手を振っています。地域の一部になって、そこに当たり前のように存在していたい。」
北垣さんにとっては、パンを焼くのも、ボランティア駅長として手を振るのも、歌手として CD を出したのも、テレビに出るのも目的は一つ。たくさんの人のつながりを表現する者として、自分を役立ててもらうため。
「CD を出してよかったと思うのは、駅がある東笠原町のみなさんが夏祭りや敬老会などに呼んでくださること。こんな形で地域の方々と交流できるなんて、思ってもみませんでした。」
「時間が来たら列車が通り、パン屋が開く。手を振る姿を、後ろからじっと見てくれている人。パンを黙々と食べている人。言葉で語り合うことはなくても、私とキャッチボールをしてくれていると感じる時があります。自然にまかせていたらいいんだなと、思えるようになりました。」
法華口駅は今年、開設から103年目。戦争をはじめ様々な時代を経て今がある。
「これからも駅は変化してゆくでしょう。変わっていってしまうからこそ、過去でも未来でもなく、今を大事にしたいという気持ち。今ここにいる私の目の前にやって来ることが、自分のやるべきことなんだなって思うんです。目の前のことに、ただ一生懸命取り組もうって。」
目の前にいる人に、どうしたら喜んでもらえるか。その想いがあれば、自分が選ぶものを信頼できるという北垣さん。
「地域の人に喜んでほしいと思っている自分が選び、取り組むのだから、きっと想いはつながってゆく。私はそう信じています。」