赤いカフェエプロンを手際よくキュッと締め直し、河野さんがカメラの前に立つ。
「エプロンは女子っぽくしたくて」と微笑んだ。
高校を出て大阪の服飾専門学校へ進学。卒業後に働き始めたイタリアンカフェで料理への興味が沸き上がり、「つくる」ことを楽しんでいる自分の気持ちに気が付いた。
「服飾学校での専攻はオートクチュール。その人のためにつくるという思いは、形は違っても服も料理も同じでした。オープンキッチンの中からお客様を見た時、私がいちばんしたいことは、自分が提供したものを喜んでくれているお客様の顔を見ることだと気が付いたんです。」
そんなカフェでの勤務も5年を過ぎ、そろそろ自分の店を持ちたいと思い始めた矢先、地元の道の駅がテナントを募集していることを両親から知らされた。
「話だけでも聞いてみようかな。」
ここから河野さんの未来が、大きく動き始めることになった。
「西脇市から早く出ていきたかったんです。高校卒業後、進学でやっと街へ出られるってワクワクしていました。魅力を感じられない地元にとどまっていたくないと、ずっと思っていましたから。」
そんな河野さんが西脇市にUターンするのは、大きな決断だった。
「地元では人口が減っている。残っている人も年配者がほとんど。そんなところへ戻って、自分がやりたいことができるんだろうか。人が来てくれるんだろうかって、いちばん悩みました。」
そんな不安の中でも「帰ろう」と決断させたのは、時を同じくして大阪で開業した友だちの言葉だった。
「やれるきっかけとタイミング、そしてやりたい気持ちがあるなら、場所はどうあれ、やってみたほうがいいと言ってくれたんです。」
背中を押された河野さんは、およそ10年ぶりに帰郷。ぽつんとした孤独な疎外感と、手ごたえをつかみきれない不安感の中、平成26年12月、ご当地バーガーの店をオープンさせた。
「ネーブル・バーガー・スターズ」は、手づくりのハンバーガーショップだ。地元食材を提供する店にしてほしいという道の駅からの要望で、真っ先に頭に浮かんだのは黒田庄和牛。手軽さを考えハンバーガーに決めた。
「黒田庄和牛をどう提供するかが、店づくりのスタートでした。いくら地元の食材でも、頻繁に食べる家庭は少ないはず。親しみやすいメニューで、手軽に牛肉を味わってほしかったんです」ときっかけを語ってくれた。
「ハンバーガー? あんまり食べへんから、いらんわ」と素っ気ないお客さん。人通りがなく、店を開けていても誰も来ない冬のオフシーズン。
河野さんは「当初は、3年続かないかもしれないと思いました」と当時を振り返る。
そんなある日、一通の手紙が届く。河野さんのハンバーガーを食べた年配のお客様からだった。
「人生で初めて食べたハンバーガー。今まで食べようと思ったことがなかったけれど、食べてみたらとてもおいしかった」と、したためられていた。直筆のぬくもりが、本当にうれしかったと河野さんは語る。
オープンからちょうど3年、ようやく店の存在を認知され始めた手ごたえを感じるという河野さん。西脇市の道の駅にハンバーガーショップがあると、わかったうえで来てくれる人が少しずつ増えてきた。「おいしかったから、また来たよ」と立ち寄ってくれる人。帰郷を知らせていないにもかかわらず、会いに来てくれる元担任の先生や旧友たち。
「故郷のこの場所で開店しているからこそ、つながるご縁がうれしい。」
河野さんが自分自身の力に変えている出会いは、こうしたお客様だけではない。
「河野さんの朝は、道の駅の直売所に出荷された地元野菜を選ぶことから始まる。
「食材を見て、その日仕込むものを決めます。新しい野菜を見つけたら使おうと決めているんです。珍しい野菜って、どうやって食べたらいいかわかりませんよね。食材として並んでいるより、食べられる形になっているほうが、野菜とお客様がつながるきっかけになると思って。実際に『おいしいから野菜を買って帰るわ』って、直売所へ行かれるお客様もいらっしゃいます。」
こうした想いが、地元農家との出会いにつながっている。
「こんな野菜があるんやけど、うまいこと使ってもらわれへんか?」
道の駅の直売所へ出荷している農家が、河野さんの店に食材を持ち込むことも日常茶飯事。
「イチゴを持って来られた時は、さすがに驚きました。ハンバーガーショップにイチゴ!?って。」
試行錯誤の末、かき氷のイチゴシロップが誕生。夏の大人気メニューになった。
「帰郷するまで、こんなにたくさんの食材が西脇市にあるとは思っていなかったんです。道の駅に並んでいる野菜を初めて目にした時、これならハンバーガー以外にも、地産地消を大切にしながら西脇の食材を発信していけると思いました。何もないからこそ、人を呼び込めるものを自分の手でつくればいいんだって。」
何もない西脇市に帰って何がしたいんだろう、なぜ戻ってきたんだろうと思っていた河野さんの中で、いつしか大きな目標が生まれ始めていた。
「高校生の頃は、外の情報しか見ていませんでした。あれほど何もないと思っていた故郷にも、こんなにいろんなものがあったんだと、帰ってきて気が付きました。外に出て見えてきたことのほうが多いんです。」
大阪の友だちに「西脇市って何があるの?」と聞かれた時、「何もないよ」と答えるしかなかったあの頃。「西脇市が、どこにあるのかわからない」と言われ、ちょっと悲しい思いもした。「西脇市にはこんなものがある。西脇のまちはここにある」と発信できるようになりたい。本当は自分の故郷を、もっともっと知ってもらいたい。そう願っていた自分の気持ちに気が付いた。
「通りすがりの休憩に寄る人だけでなく、わざわざ西脇市を目指して来てくれる人を増やしたい。ハンバーガーが、そのきっかけになれたらいいなと思うんです。『最初はたまたま寄っただけ。でもおいしかったから西脇という地名を憶えて、また来たよ』と言われるのはうれしい。自分がつくりたいものをつくって、お客様に楽しんでもらっている。そんな自分自身の喜びをつなぎ続けた結果、いろいろな人が西脇市に来てくれたらいいな。」
道の駅という場所だからこそ、「西脇市」そのものを発信できる店になる。それが河野さんの一番の目標だ。
一日一日、ちょっとずつ努力を重ねるうちに、3年も前に進み続けることができた。ホール係のアルバイトからのスタートでも、自分の力でここまでできるようになった。
「毎日、少しずつでも成長するんだという気持ちを持ち続けたい。ここからさらに上を目指すことが、西脇市の活性化につながると信じています。それが『精進』することだと思うから。地元に帰ってくる時、いちばん必要なものは『覚悟』でした。場所はどこであれ、自分で経験してみることは無駄ではありません。私はそこから、先を見据えるという考え方ができるようになりました。どこでやるか悩んでいるなら、自分の故郷へ帰ることを選択肢に入れていい。一度外に出て戻ってみると、同じものを見ても見方が違うんです。帰ってきてよかったと、私は思っています。」
懐かしい場所で、懐かしい人たちと出会い、故郷の町を再認識できた。
「地元に戻るのも、悪くないよ。」
今なら、みんなにそう言える。そんな自分を河野さんは、少し愛おしく思っている。