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稲小地区社会福祉協議会顧問

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2013/09/25
岡本忠治さん
(78)
兵庫県伊丹市
稲小地区社会福祉協議会顧問

住民の小さな「お困りごと」を地域の助けあいで解決したい。地域で24時間のホットラインを築き、先陣を切って解決にあたる方がいる。

伊丹市稲野地区で半世紀にわたり地域活動に取り組む岡本忠治さんにお話を伺った。

岡本忠治さん

伊丹市稲野小学校地区は、伊丹市の中心に位置する世帯数が5千を超える地区。市役所、市立病院、広域こども急病センター、障がい者施設や老人ホームなどの福祉施設が集合している。

稲小地区社会福祉協議会は、稲野小学校区内の15の自治会や民生委員、児童委員などからなる「住民福祉組織」として昭和60年に結成された。当時、自治会長を務めていた岡本さんは、「地域の福祉を進めていくためには、自治会だけではできないことがある」と、各自治会や関連組織の説得にあたり、地区社会福祉協議会結成に尽力。以降約30年に渡り、三役や事業部長そして地区長として、住民共助による地域福祉を推進してきた。平成23年をもって、14年間担った地区長を退任し、運営の第一線は後進に委ねたものの、活動は今も現役のまま続けている。

稲小地区助けあいセンター

岡本さんが取り組んだ協議会活動のひとつが、平成14年に始めた「地域福祉ネット会議」。地域の福祉課題の解決は、市に解決してもらうのではなく、住民自らの視点で解決にあたろうというもの。2か月に一度、協議会の役員や民生委員、児童委員などのメンバーに加え、福祉施設の職員や、地区内にすむ障がい者も出席している。

地域に暮らす多様な人、声の大きくない人の声も聴くべきとする岡本さんの考えを反映している。

ネット会議の風景

ネット会議

この会議から生まれ、稲小地区の地域福祉活動を大きく前進させたのが「稲小地区助けあいセンター」。

きっかけは「本当に地域に必要とされる福祉サービスは何か」と議論されたこと。その際実施した全世帯アンケートから見えてきたのは、頼む先のない「お困りごと」の存在。

「それなら住民の助け合いで解決できるはず」との結論に至った。住民からの「お困りごと」を電話で受付け、ボランティア登録している地域住民を相談者に派遣する。こうした仕組みの「助けあいセンター」が、平成17年7月にスタートした。

当初、市立の障害者福祉施設に相談受付電話を設置。住民からの相談を施設職員が受け、そこから協議会に連絡が入り、コーディネートするという体制だった。しかしコーディネートする協議会と相談者との意思疎通がうまくいかないというケースが散見。遠慮がちなお年寄の相談から、「すぐ来てほしい」とうニュアンスを汲み取ることができず、派遣自体が立ち消えることもあったという。

それならば、相談受付から派遣までを行える地区独自の施設を作ろうと、岡本さんは決意する。そんななか、目にとまったのは兵庫県が進めていた県民交流広場事業だった。岡本さんの強い思いはみるみるうちに形となって動き出し、ついに、平成19年4月、「稲小地区助け合いセンター」新拠点の完成をみた。

助けあいセンター入り口

研修用のベッドが楽に入る玄関。介護実習で使われることもある。

舞踊のお稽古

1階は地域の交流スペース。子育て広場、映画鑑賞会やカラオケ、民謡のお稽古などを地域住民が気軽に利用できるスペースとして運用されている。

お困り事解決、ホットライン

このようにして始まった「助けあいセンター」。8年目を迎える今でも住民のボランティアに支えられ、活動は続いている。

センターでの電話受付

相談の内容は多種多様。「命に関わることでなければどんなことでもする」と岡本さんは話す。

「タンスが動かせないせいでクーラーが付けられず、そのまま業者さんが帰ってしまった」という独居の高齢者からの相談を受ければ、すぐに駆けつけタンスを動かす。蜂の巣がポストにできてしまったという相談には、相談者に代わって専門家に相談。紹介されたのが有料の業者だったため、結局は岡本さんを含む数人のボランティアで除去を引き受けた。「蜂は夕方になったらおとなしくなるとか、子どものころに蜂の巣にいたずらしていたときのことを思い出しながら対策を考えた。刺されて顔が腫れようが、懲りずにつついて遊んだ経験が生きた」と岡本さんは冗談交じりに話す。

岡本さん。胸ポケットにはいつも携帯が

そんなセンターの開設時間は月曜日から土曜日の9時から17時。

ただし事務所に詰めるスタッフは特に決まってはおらず、当番制でもない。「無理をせず、できる人ができるときにするのがボランティア」と岡本さんは考えているからだ。

では事務所に誰もいない時は相談できないのか。実はスタッフ不在時の電話は、岡本さんの携帯電話に転送される。

「たとえセンターに人がいなくても僕の携帯はつながるから大丈夫」。

そう話す岡本さんの胸ポケットには携帯電話がしまわれている。外出中でも、旅行中でも、24時間岡本さんは電話を受け、動けることならすぐに駆けつける。

そうしているうち、助けあいセンターの電話は、いつでもつながる地域のホットラインとなった。

携帯をチェックする岡本さん

事務作業する際も携帯電話のチェックは欠かさない

最前線のプレーヤー

岡本さんのイメージは?、地域の人からは、「火ばさみ片手に朝からしゃきしゃき歩いている」という答えが返ってくる。そのごみ拾いにはこんなエピソードがある。

ある日、見通しの悪い三叉路で、通学中の小学生が接触事故に合ったという連絡を受けた。現場を見て確かに危険だと感じた岡本さんは、翌日からその場所に立ち、朝の見守りを始める。そうした見守りを日々続ける中で、辺りにゴミが散乱していることに気づく。よしそれならと、自宅からその三叉路まで向かう道のりで、今度はごみ拾いを行うようになる。

火ばさみとゴミ袋を手に、毎朝1時間ゴミを拾う姿は誰の目にもとまる。そのうちに、周辺の銀行の支店長さんやスーパーやコンビニの店員さんもそれぞれの周辺を掃除するようになったという。ちょっと接触現場の確認しに行った日から現在に至るまで、約10年岡本さんによる見守りとごみ拾いは続いている。

木原さんと岡本さん

地区内の特別養護老人ホーム施設長の木原さん。岡本さんの話になると、皆笑顔がこぼれる

岡本さんと活動をともにする人たちは、「真っ先に動いている岡本さんを見れば、私達も動かないと」と異口同音に言う。

例えば住民ボランティア同士が交流できる機会を作りたいと考えた岡本さんが、そのための資金の足しにと、地元企業から広報誌のポスティング契約を取り付けた時のこと。

「みんなの楽しみのために仕事をとってきて、自分が1000部まくって言うんだから、じゃあ私は200部配りますってなるでしょ」と笑いながら話すのは、稲小地区社会福祉協議会の福祉部長である小林さん。

「助けあいセンターにしても、普通なら当番制で決めてやるようなことを、強制することなく進める。何より岡本さんは、スタッフがいない時がでれば、自らがフォローする心づもりでいる。その存在のおかげでみんなが自分のペースで続けることができた」と振り返る。

最前線できびきび動くプレーヤーでありながら、誰もが助けあいに関われるよう心配りも欠かさない。そんな様子が口々に語られた。

岡本さんと活動を共にする仲間たち

稲小地区社会福祉協議会の福祉部長小林さんと民生委員の田島さん。

ボランティアは楽しんで 中学生も動く地域

そんな岡本さんを見て、地区内の学校に通う生徒やその親たちも、地域の活動に協力的だという。

例えば伊丹市立稲野小学校の校庭を借りて開催される地区社会福祉協議会主催の夏祭り。

同じく地区内にある市立西中学校の全校生徒540人のうち80人ほどが、祭りのお手伝いがしたいとボランティアにやってくる。会場で使われる20張ほどのテントのほとんどは早朝から彼らが建てる。吹奏楽部の演奏が祭りを盛り上げ、屋台や交通整理のお手伝い、終了後の撤収作業やグラウンドのゴミ拾も生徒が率先して行う。

「日頃から岡本さんが地域で率先していきいきと働く姿を見て、子どもだけでなく、若い親や教師もそれに習って関わるようになった」と話すのは西中学校の豊田校長。小学校からも先生たちがバンド演奏で参加し、中学校の先生やPTAのOBまでもが屋台を出店する。

赤いポロシャツを着て、ゴミ拾いや見守りに勤しむ岡本さん。お困り事の解決のために、時に自転車に乗って日々颯爽と地域を巡るその姿を見て、子どもたちやその親は親しみを込めて密かに「おかちゅう」と呼んでいる。14年続けた地区長を退任するときには小学校と中学校の両校長が揃い、表彰状が贈られた。

夏祭りのやぐら建て

やぐらは「やぐら師」となる岡本さんを中心に建てられる。

体を動かし、地域で活動する

新温泉町から就職のため伊丹に出てきた岡本さん。住友電工伊丹製作所で工場主任として働く一方で、地域住民として地域の日常的な問題に関わり続けた。30代の若さで自治会長の職にも就き、民生委員や協議会の福祉部長としても、家族介護を行う家庭や障がい者、高齢世帯の問題に携わる。地域の施設で、車椅子を利用している人が登山に行くと聞けば、ボランティアとして参加。車椅子を大人6人で押して山を登った。視覚障がい者の人の日帰りの観光旅行に付き添ったこともあった。

そんな岡本さんの人生において、地域での活動の割合をさらに増やす転機となったのが、60歳まで勤め上げた会社の退職日に起こった、阪神・淡路大震災だった。退社翌日から地域で復旧活動に携わった岡本さん。「10リットルのタンクを抱えて、水を配って回って、仕事とは違うことで体を動かせるなあと実感した。自分も死ぬような思いをして、いつどうなるかわからないなら、自分の仕事より地域のことをしたいと心底思った。」会社から再就職の勧めがあったにも関わらず、そのままボランティア活動を続けた。

岡本忠治さんの横顔

地域、職場、どちらの中にあっても、多様な視点に立つことが大切であると学んだという岡本さん。

「いろんな人がいて、ひとつの地域が形作られる。それぞれ状況も考え方もできることも違う。地域では、弱い立場のひとたちの声に教えられ、職場では優秀でもそうでなくても、切り捨てず一緒にやっていくことを大切にした。それらの経験が今の考え方を支えている。そしてその中の誰かが困っているなら自分のできることで助けたい」と語る。

岡本さんが大切にしている言葉は「音・面・道(おと・づら・みち)」。

30代の時、ある人が使ったこの言葉に感銘を受けて以来、その言葉と自分や地域の活動とを照らし合わせ、いつも心にとどめているという。

音は「聞こえない声を聞くこと」、面は「自分と人が接している面は正直であるか。地域という面はいまどうあるべきか」、道は「歩んできた道と歩むべき道はなにか」

見守りをしているのではなく、子どもに見守られているのだと笑う岡本さん。

確固たる信念を心に持ちながらも、何よりみんなで楽しめることを一番に、助けあいの先頭を進んでゆく。

おと・づら・みち

 

(公開日:H25.9.25)

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