6月21日、公園内の休養ゾーンにある約3,000平方メートルの芝生広場に、造形作家・新宮晋さんのアート作品を常設展示する「新宮晋 風のミュージアム」がオープンした。
新宮さんと共に世界の風を受けながら旅をしてきた作品が、生まれ故郷の三田に帰り、有馬富士公園の中で北摂の風を受けて心地良さそうに舞っている。「見えない風」を見ながら、ゆったりとした心癒される時間が園内に流れている。
新宮晋さんは、昭和12年、大阪府豊中市に生まれた。
幼い頃は物のない時代だったが、家の裏に竹やぶがあり、自由に切ってよいと言われていた新宮さんは、人力で飛ぶ竹製の飛行機を夢中になって作っていた。
「あの頃慣れ親しんだ竹のしなやかさ、曲げた時の自然なカーブの感覚は、今でも造形の中に生きているように思う」と語る。
大学卒業後はイタリアに留学して絵画を学んだ新宮さんだったが、ある時、描いたものを四角い枠の中に閉じ込めることにふと疑問を抱き、立体作品を作った。
その作品を公園の木に吊るして写真を撮ろうとしたが、風で揺れてうまく撮れない。この時、「“見えない風が見える”ものを作れるのではないか」という着想を得た。このことが、ライフワークとなる「風」をモチーフにした作品群が生まれたきっかけとなった。
自分の力で空を飛ぶことが、竹の人力飛行機を作っていた子どもの頃からの夢だった新宮さんは、昭和46年夏、アメリカでパイロットのライセンスを取った。この時に勉強した空力学や航空工学が、その後の作品に大きな影響を与えた。
「パイロットになって自由に風に乗り、空を飛ぶ感覚を身につけてからは、地上にいても揺れる木の葉や雲の動きから風が見えるようになった」と語る。
新宮さんは昭和62年5月から1年8ヶ月間、10点の作品を携えて世界中をめぐる野外彫刻展「ウインドサーカス」を開催した。
この展示は好評のうちに幕を閉じたが、出番を終えて日本に戻ってきたそれらの作品を収めるには、大阪府能勢町にあった当時のアトリエは手狭だった。
そうして新しいアトリエを開く場所を探し始めた新宮さんが出会ったのが、三田の地だった。自然豊かな三田市藍本の候補地は、「緑豊かで心地よい風の吹くところ」を求めていた新宮さんにとって、まさに理想の場所だった。
すぐ近くを流れる武庫川には桜並木が続き、森にはたくさんの鳥が生息する。新アトリエの奥には池があり、その水面にも作品を配した。何より、周辺の住民に温かく歓迎されたことが大きかったと振り返る。
平成11年、新宮さんは風で動く彫刻と共に世界の辺境を巡る旅 「ウインドキャラバン」の計画を発表した。
砂漠や孤島、北極圏など、特色ある大自然の地を訪ね、風を受けて動く作品を通じてその風土を学び、そこに住む人たちと交流するという企画だ。
「我々よりも自然に密着して生きている彼らから、明日の地球を生きるヒントを得られるかもしれない」と考えた。
翌年6月、ウインドキャラバンがスタートを切ったのは、アトリエ近くの田んぼだった。
オープニングでは、地元の小学生が田植えを披露。会場準備から整理まで、地元の住民の協力が大きな力となった。
この後、キャラバン隊は世界6カ国を駆け巡ったが、その第一歩を三田で飾れたことは新宮さんにとって大きな喜びであり、地元住民の誇りとなった。
一昨年の1月、フランスからの客人が訪れることがあった。彼女と一緒に自宅近くの有馬富士公園に出かけた新宮さんは、芝生広場を散策しているうちに一つのアイデアを思いついた。
彫刻を配した野外美術展は世界各地にあるが、その多くは敷地内に作品が乱立し、せせこましい空間になってしまっている。四方を山に囲まれ、広々とした芝生広場のあるここ有馬富士公園なら、彫刻の理想的な展示が実現できる。さらに、彫刻の展示だけにとどまらず、演劇や音楽など多様な文化活動を展開する舞台にもなり得るのではないかと新宮さんは考えた。
「ここを新しい文化の発信基地にしたい」
そう感じた新宮さんは、頭の中に生まれたイメージを実際に絵に描いてみた。その構想図は周囲の好評を得て、公園を管理する兵庫県からも「ぜひ形にしたい」と言う声が上がる。そして昨年、一つの作品であるとともに、風を受けて発電する機能も持ち併せた「里山風車」を寄贈。有馬富士公園芝生広場に展示された。
今年6月には、里山風車に加え、ウインドサーカスの作品を中心とした12点の作品を寄贈し、「新宮晋 風のミュージアム」がオープン。世界で初めて、新宮さんの作品を一度にまとめて見ることができる、野外ミュージアムとなった。
作品を通して「風と遊びながら、地球は楽しい星だと感じ取ってほしい」という新宮さんの想いが込められた空間だ。世界の風を受けながら旅してきた作品たちが、今では、生まれ故郷の三田で多くの来園者を楽しませている。
「新宮晋 風のミュージアム」は、北摂の里山一帯に広がる「北摂里山博物館(地域まるごとミュージアム)」の情報発信のシンボルとなっている。
風という自然エネルギーと長く付き合ってきた新宮さんは、地球の自然環境をこれ以上傷めることなく生きていくにはどうすべきか、アーティストの立場から考え続けている。
そんな新宮さんの得た一つの答えが、「ブリージング・アース(呼吸する大地)」という村づくりの構想だった。人が暮らすのに必要なエネルギーのすべてを、風力や太陽光といった自然エネルギーでまかなうことができる村のモデルを作ろうという計画だ。これには多くの人たちが賛同し、実現に向けて動き始めている。
「アートは、人と人の心をつなぐものだ。このアートの本来の力で、地球の自然を守りたいという人の心をまとめていくことができると、私は信じている。この夢の村を実現するために、私はこの星に生まれてきたのだと思う」
東日本大震災が引き起こした原子力発電所の事故の後、自然エネルギーへの注目は高まっている。
「数字や効率で物事を測る社会では、本当の幸福はわからない」と語る新宮さん。人類と自然とがいかにして共存していくべきなのか、メッセージを発し続けていく。