座長の武地秀実さんは、西宮、芦屋市の潤いのある暮らしにと店や人物などを紹介する地域情報紙「ともも」の編集長。事務所を商店街に置いていたのが縁で、西宮神社周辺を拠点にしていた人形浄瑠璃の源流である「えびすかき」と呼ばれる傀儡子の復活プロジェクトに携わり、平成の傀儡子(くぐつし)として活動を続けている。
武地さんは、愛媛県で生まれたが父親の仕事の都合で、数年ごとに引っ越しを余儀なくされていたという。いわゆる、転勤族だ。「定住とはどういうものか?」「幼い頃からずっと周囲が自分のことを知っている土地に住まうとは?」心の中で、いつも「私には『ふるさと』というものがない」と感じていたという。
大学進学を機に東京へ。大学時代、体を使って表現する「創作ダンス」と、さまざまな国へ赴き、そこで暮らす人々の生活を取材し伝える「ルポライター」、その両方に興味があり、特にダンスには注力していた。卒業後は商社へ就職しダンスからは離れていたが、働き始めて3年が過ぎたとき、やはり踊りたいと会社を辞めて再びダンスの世界に。ライターをしつつ師であるアキコ・カンダの舞台にカンバニーのメンバーとして立った。
結婚を機に、神戸に引っ越した武地さんは、人生で初めてひとつのところに住まう、「定住」を味わうことになる。
結婚し、子どもにも恵まれ、神戸で主婦として暮らしはじめると、自分が住んでいる地域のことが知りたくなってきた。どんな歴史があり、どんな店があり、どんな人が住んでいるのか?そんな思いを抱いていたとき、タウン紙のスタッフ募集の記事を目にした武地さんは早速、応募し、採用された。
広告営業もする、編集もする、オールラウンドなライターとして始動した。近隣にはどんな福祉施設があるか、安心で安全な食べ物はどこで手に入るか。「食物アレルギー」が今ほどではないが、社会問題となりつつある頃で、食料品が体に及ぼす影響を調べて情報提供することも。武地さんは時代の半歩前を母親目線で次々と記事にしていった。
また、取材をする中で、さまざまな出会いがあり、出会った人同士をつなげば新しい化学反応が起こることに気付き、地域のイベントをプロデュースするようになった。店内でのライブやワークショップ、味噌屋さんと米屋さんを繋いで手作りみそ教室、モデルハウスで酒屋さんイチオシのワイン会など、バブルという時代もあり、企画したイベントは告知するとすぐに満席になった。
既に編集長を任され、ライターとしても、人との縁で始めたイベントプロデューサーとしても仕事が充実していた時、阪神・淡路大震災が起こった。今までも、地域に必要とされる情報発信をしてきたが、震災を機に、より今の暮らしに必要な記事、例えば、仮設住宅のこの場所で水が出るといった日々の生活に必要な情報を発信するようになった。
震災から2か月後、取材で知り合った妙心寺派の寺の住職と「Memorial 95117」という団体を結成。そこで震災を後世に伝えるために手記を出版することになり、編集を引き受けた。一通一通届く原稿を前に、書かれた人が選んだ言葉をそのまま載せるべきと感じ、誤字のみを訂正し掲載することに。そして震災の一年後、「阪神大震災220人の証言『街がかわった 心がかわった』」が完成。貴重な震災の資料となった。
そんな中、情報紙のクライアントから「商店街が元気で商売していることを発信してほしい」と頼まれ、アーケードを利用してフリーマーケットを企画、3年間ほぼ毎月1回実施した。イベントをプロデュースする際の方向性が、絆や助け合いといった共存共栄をテーマに、地域と地域を繋ぐふるさと祭りや大道芸まつりといった市民参加型へと変容したのだった。
2001年、今まで携わってきた情報紙が休刊となり、自身で起業し情報紙「ともも」を創刊。フリマが縁で事務所を構えることになった西宮中央商店街から、「新たな街づくりに協力してほしい」と言われ、同振興組合の理事を引き受け、まちおこしに着手していった。地域の歴史を調べてみたところ、明治時代に廃れたが、西宮神社周辺には人形浄瑠璃の源流となった「えびすかき」と呼ばれる傀儡師がいたことが分かった。震災復興基金を活用し、商店街の復興と地域のシンボルとして、えびすかきの復活に取り組んだ武地さん。資料は乏しく、全国に残る神楽や人形浄瑠璃の「えびす舞」を参考に、独自の解釈を加えて、平成の人形芝居として復活させたのだった。
復興のシンボルとして、全国から注目される常設の芝居小屋(戎座人形芝居館)を開設した商店街だったが、土地所有者の都合で6年目で小屋を閉めざると得なかった。ふれあいの場としての活動拠点を失いかけたが、西宮神社の申し出で、社務所を使わせてもらうことになり、神社の祭りの他、毎月10日に境内で人形芝居を上演することになった。まずは市民に知ってもらわなければと、囃子方らと市内の小中高等学校や福祉施設で上演し、国際交流や地域のイベントなどに積極的に参加した。また、海外からの評判も必要と、2011年から三度フランスでの国際人形劇フェスティバルに参加し、今年の2月にはカンボジアでも演じた。
えびす舞は、復興のシンボルから、本来の庶民のための舞として定着し始めている。阪神人形劇連絡協議会の事務局長である頼田稔さん(71)は「武地さんのまっすぐな人柄をもとに、周囲に信頼を得て活動が広がっているように感じます。学生を巻き込むなど、新たな挑戦をすることで、地域がどんどん活気づいています。持ち前のチャレンジ精神を大切に、これからも活躍してほしいと思います。」と期待している。
活動開始から10周年を迎えた「人形芝芝居えびす座」。今後は、次世代に復活した伝統芸を継承するため、地域全体を巻き込んで、何代も西宮で暮らしてきた人たちと新たに西宮に住まうようになった人たちをつなぎ、それぞれにとっての「ふるさと」や「地元」の原風景になってくれたら・・・と。武地さんは、今後、えびすかきを「誇らしい」、「ありがたい」西宮を代表する伝統芸能として、観光資源とするべく、さらなる学びを深めていこうとしている。