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社会福祉法人プロップ・ステーション

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2017/02/25
竹中ナミさん
(68)
兵庫県神戸市
社会福祉法人プロップ・ステーション

おしゃれタウン神戸を象徴するようなショップが集積するショッピングフロアが併設された複合施設・神戸ファッションマート。ベンチャー企業や起業家を支援する入居制度や、神戸のファッションビジネスを支援する活動など、単なるテナントビルにはない機能を有する最先端の建物に、社会福祉法人プロップ・ステーション神戸本部がある。コンピュータを駆使することで、障がい者が働ける環境を整え、企業による障がい者雇用を促進させることを目的に活動している団体だ。
理事長の竹中ナミさんは、43年前、重い脳障がいを持って生まれた長女の誕生をきっかけに、知的・身体的ハンディがある方と触れ合う中で、個々の可能性を発見したという。その後、障がいをマイナスと捉えない、アメリカ発祥の【使命や課題に挑戦するチャンスや資格を与えられた人=チャレンジド】という呼称を知り、障がいの代替語としてその精神とともに使用。団体として、技術や制度を生み出すことで、日々、自立できるチャレンジドを誕生させている。

枠にはめられたくないから…非行に走った少女時代

生粋の神戸っ子である竹中さんは、とにかくじっとしていることが苦手な少女だったという。小学校の時は木登りや遊具の上を渡り歩き、授業中はじっと座っているのは苦手。ベビーブームだったので、教室は生徒であふれかえり、一人くらいちょろちょろ歩き回っていても咎められることもない、大らかな空気の中、子ども時代を過ごした。

高校に入学したのもつかの間、授業には出席せず、同じように学校生活になじめない仲間と共に過ごすようになり、全く通わなくなってしまった。見るに見かねた両親が夏休みに某市役所での事務のアルバイトを見つけてきて、働くようになったところ、そこでのちに夫となる職員と出会い、大恋愛。男女交際の厳しかった時代で高校は退学・学籍抹消となり、若くして結婚したのだった。

「枠にはまりたくない・普通とは違う」自分だったからこそ、今の活動でも型を気にせず挑戦していけるのだと竹中さんは語る。

「枠にはまりたくない・普通とは違う」自分だったからこそ、今の活動でも型を気にせず挑戦していけるのだと竹中さんは語る。

重い障がいを持ち生まれた娘がもたらした学び

結婚し、子どもにも恵まれ、主婦として暮らしていた竹中さん。二人目として生まれた長女の麻紀さんに重度の脳障がいがあることが分かり、人生はガラリと変わった。父親が障がい児の子育てに伴う苦労を憂い、「孫を連れて死ぬ」とまで言い出したのを見て、こう思ったという。「なんで娘が死ななあかんの?こんな日本はおかしい。変えてやる。」持ち前の反骨精神ですぐに行動した。

さまざまな障がいを持つ娘はどんな気持ちなのか?竹中さんはいろいろなハンディを持つ人に話を聞くことから始めた。まずは、視覚障がい者が集う場に麻紀さんを連れて参加するように。そうやって知り合った人たちの中から、しばらくして視覚障がい者カップルが結婚、出産した。目が見える自分でも家事や育児は大変なのだから、苦労しているのではないか?と、お節介にも友人夫婦の家を「何か手伝うことはない?」と訪問すると、整理整頓された棚にピカピカの床、自分の家より掃除の行き届いた状態に驚いた。「私たちは目が見えないので、床に何か転がっていて、赤ちゃんが怪我をしても気付かないかもしれない。だから何も置かないようにしているのよ。」と説明する友人に衝撃を受けたという。目が見えない人は“自分よりできないことが多い”と思い込んでいたが、健常者が普段使っていない感覚を総動員し、自分よりはるかに有能な人もいるのだ、と。

娘の麻紀さんと

娘の麻紀さんと

娘の麻紀さんの誕生をきっかけに、「いろいろな人がいて、社会は成り立っている」「障がいがあっても、健常者よりはるかに優秀な人がいる」ということを学んだ竹中さん。ある日、ベッドに寝たきりで指がわずかに動くのみという状態の友人から「働く場があるなら、就労したい」「世界にはコンピュータの情報通信技術(ICT)でつながって、会社へ通勤しなくても働くような人もいる」という話を聞き、世間の常識を覆す、寝たきりの友人が働ける場所を作ろうと、またも反骨精神で行動を起こしたのだった。

コンピュータとの出会いと震災での社会貢献活動

1991年、「障がい者が自分の持つ能力を活かして働き、納税できる日本に」と、竹中さんは仲間とともにプロップ・ステーションを立ち上げた。プロップとはラグビー用語で、縁の下の力持ちと言われるポジションで、“人をつなぎ、支えあう拠点”をイメージして名付けられた。

立ち上げ当初は、周囲からの風当たりも強かった。当時の福祉といえば、弱い立場にいる人にどれだけ厚い手当を取ってくるかを重視するという考え方だったため、団体の新しい発想は福祉業界から反発されたのだった。逆境にもめげず、竹中さんは営業力を活かし、IT業界から講師を派遣してもらうなど、徐々にコンピュータで仕事をする環境を整えていった。

プロップ・ステーションではチャレンジドのスキル・技術を身に着けるためのセミナーを開講している

プロップ・ステーションではチャレンジドのスキル・技術を身に着けるためのセミナーを開講している

そんな矢先、阪神・淡路大震災が起こる。プロップ・ステーションは、すでにパソコンでの通信ネットワークが整っていたため、食料の配給がある場所や水道が使える場所の発信や、被災地までボランティアに来てくれた人たちがどこで何をすればいいか、人材を適材適所に振り分けるシステムを構築するなど、社会貢献も果たしたのだった。日本初のパソコンボランティアである。

プロフェッショナルにこだわる

それまで、障がい者の仕事といえば、作業所での工芸品や手芸品、クッキーやせんべいなどの製造といった、時給にすると何十円単位の内容がほとんどで、作業所での昼食代や送迎費用を支払えば、マイナスになることもあったという。竹中さんはプロフェッショナルを目指すことにこだわった。

神戸スウィーツ・コンソーシアムでは、製造・販売のすべてを自らで出来るプロフェッショナルの育成を目指した

神戸スウィーツ・コンソーシアムでは、製造・販売のすべてを自らで出来るプロフェッショナルの育成を目指した

2008年6月に日清製粉との協同事業としてスタートした、神戸スウィーツ・コンソーシアムは「スウィーツの世界で活躍するチャレンジドを生みだそう!」というミッションを掲げ、一流のパティシエやブーランジェ(パン職人)を講師に迎え、その技術を教授する講習会を実施した。修了生の中には、学んだスウィーツの技術を生かし、製品化している人もいる。パティシエのチャレンジドの誕生だ。

さらに、竹中さんはマイクロソフト創業者のビル・ゲイツにも会い、協力を要請。スキルを学ぶ講座にも一流の技術者を各企業から派遣してもらい、ベッドの上で自らの会社を起業したり、感性を生かしてアーティストになったり、収入を得られる仕事をする重度のチャレンジドも増えているという。

講演会にて、ビル・ゲイツとの出会いを語る竹中さん

講演会にて、ビル・ゲイツとの出会いを語る竹中さん

元気と誇り

ほんの数十年前、チャレンジド(障がい者)は働かないことが常識だった。IT環境が整ったことで、今では会社に通勤せずとも、自宅でのベッドの上でも仕事はできるようになった。プロップに入社して7年目、神戸事務所長の谷口拓也さん(46)は、竹中さんのことを、愛称である「ナミねぇ」と呼んでいる。「最初、理事長と呼んだら、『ナミねぇって呼んで』と言われたんです。『みんなで運営しているから。便宜上の理事長であって、私はナミねぇだから』って。元気な関西のおばちゃんとして接してくれるので、楽しく仕事ができる。それはナミねぇの組織だからですよね。」相手によって変わることはない竹中さんを、スタッフはみんな愛情を込めて“ナミねぇ”と呼ぶのだった。

信頼関係とやり甲斐に溢れていて、プロップで働くのは楽しいと語る谷口さん

信頼関係とやり甲斐に溢れていて、プロップで働くのは楽しいと語る谷口さん

「プロップと組んだら、何か楽しいことが起きたよ。」と企業の担当者から言われることが無上の喜びだと笑顔で話す竹中さん。「私には決まった型がないんです。合わない場合は、新たに作ればいい。そうすれば、障がい者だけでなく、高齢者など社会的に弱者と呼ばれる人にも住みやすい世の中になります。」と。自分たちの挑戦する“チャレンジドが納税者になる社会の実現”を目指し、日本がすべての人にとって住みやすいユニバーサル社会になるまで、“ナミねぇ”の奔走は続くのだ。

(公開日:H29.02.25)

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