2013年6月に「ひょうご イナカフェ」はオープン。兵庫県内多自然地域の農産物を使ったメニューを用意し、料理やコーヒーを提供する場のなかで、産地直送の農産物も購入できるように整えていった。また、加工品については兵庫県の認証食品を紹介してもらいながら、“都会の道の駅”をコンセプトにすえ店を形作ってきた。
「若い農家さんもたくさん出てきているし、一次産業に対する補助金も多くなってきてはいます。けれどもまだその補助期間が切れた際の定着は難しいのかもしれない、という現状にも触れることができました。また、農家さんが直販で野菜を販売するにもその労力は想像以上に大変なものだということも知りました。一方で、このイナカフェの立ち上げから運営開始を通じて行政の方々と多く知り合うようになったことはその後の自分にとっては大きく影響しているかもしれません。」
イナカフェのスタッフで実際に農業を少しずつ始めたスタッフもいる。しかし実際の農業従事は補助金があっても、物事の定着にはさらにその補助期間よりも何倍もの時間がかかることを身をもって知った上田さんは、この「ひょうごイナカフェ」もきちんと残し、事業への補助が無くなった先も続いていく仕組みを作る必要があると早い段階から気づき、そのために動いてきた。
かたや、現在の上田さんは「かこがわコットンプロジェクト」の事業推進担当者というもうひとつの顔も持つ。
「これはもともとは地元の兵庫県靴下工業組合の方と知り合いだったことから始まったものだったのですが」と上田さんは笑いながら話す。神戸市内でイナカフェの運営も続ける一方で、兵庫県靴下工業組合とのつながりから今度は地元の加古川市でのコットンにまつわる事業へも活動の場が広がってきている。
このプロジェクトは、もとは加古川市の『地域ひとづくり事業』の一環として、加古川の地場産業である靴下産業をもとに、原料からこの土地のものとしての綿花を栽培しそれを使ってプロダクトを作ることで加古川の雇用も生み出せれば、という構想からスタートしたものだった。地域雇用の活性化・耕作放棄地ゼロ・地域資源の活用という3つの領域にわたるプロジェクトを取りまとめるよい人材がいないものか、と兵庫県靴下工業組合が探していたところに「ひょうごイナカフェ」での運営実績があった上田さんの名前が挙がり、調整役としての資質は誰の目にも確かに映っていたところで声がかかった。
当初は、まだカフェの運営も探りながらの時期だった。無理のない範囲でお手伝い程度ならさせていただきますと言っていたが、気づけば兵庫県靴下工業組合の契約社員の立場にもなり、加古川の農家さんへの「綿作りをしてもらえませんか」という呼びかけにも奔走することに。加古川市の『地域ひとづくり事業』としては2年の期間で終了することになっていたが、こちらもイナカフェ同様、続けていける仕組みをつくることが重要だと上田さんは感じていた。なぜなら、コットンプロジェクトの肝である綿花の栽培をスタートすることや綿の生産加工はたったの2年ではまだまだよちよち歩きの状態。なんとか続ける方法を探った結果、上田さんは『ふるさと名物支援事業』という国の補助金を確保することに成功した。この補助金は、加古川市の観光スポットを始めとする「地域資源」を登録することで、商品開発やビジネスの計画に対して補助が出る、というもの。すでに加古川市として「靴下」は登録してあったそうだが、「綿花」はまだ登録がなかった。けれどもそれまでの2年の「かこがわコットンプロジェクト」の実績から「地域資源」として登録に成功。加古川市の応援宣言もあって国からの補助を受けるに至った。
綿花はもともと江戸時代まで遡れば現在の加古川エリアで栽培があったものだ。姫路藩だったこの辺りで財政難解消のための綿花栽培が始まった。そこから靴下編みの機械を輸入し、靴下産業が興った。しかし徐々に海外からの綿が安くなり、靴下産業は残りつつも綿花の生産は消失してしまう。しかしここからもう一度綿生産もあわせて復活させることが上田さんの目下の目標だ。靴下以外のプロダクトも今後の展開としては検討中。綿花の作付面積が広がってきた際には、さまざまなメーカーとのコラボレーションもできればという想いがある。
「ただ、現在の農業のテーマって、“どれだけ時間をかけないか”なんです。つまり、機械化し効率化することが第一のテーマになっている。農業人口の高齢化も進むなかで、人手の確保も難しく、米や麦は機械化が進んでいます。けれども綿花は栽培の特性上、一気に収穫するのが難しいうえに、手作業での収穫が必要。また、採っても軽くてフワフワとしているので1時間やってもビニール袋1袋程度なのです。他の重みのある農作物と比べるとなんとなくメンタル的にもきついのは確かで。なので逆転の発想でいく必要があります。野菜などの収穫と違って重くないので、1〜2時間程度、お年寄りでも、また小さいお子さんがいるお母さんでも保育園に預けている間にできる。そう考えると、雇用の可能性が多様になるのではないかな、と思っていますね」と上田さん。「かこがわコットンプロジェクト」は継続のため、綿花の作付け面積を増やすことを現在の第一の目的とし「かこっとん株式会社」という名前で法人化した。
これまで人の間に立ちながら、調整役として立ち回りながらも事業の持続的なあり方を形作ってきている上田さんのルーツは、二十代の頃から入っていた加古川の青年会議所のつながりにある。もともとは実家の家業を手伝っていた時期があり、上田さん自身は24歳から青年会議所に入会した。
「入会させてもらってから知り合った人や、もともと家業でうちの父や祖父を知ってくれていた地元の方ともつながり、これまでの人間関係が今になって形になってきていると感じます。また、事業をきっかけに行政の方とのつながりもできてきて、今のような立場になっているのかもしれないですね。」
加古川市での綿花に対する取組みは、加古川市から地方創生の予算もつき、「わたびとつくり事業」と称して空家対策も兼ねた古民家利用や貸し農園の運営、ファーマーズオアシスの整備を手掛けつつ、その一角で綿畑を整備する活動にも広がっている。
「なんとなく気が向いたからやっているってだけなんですよ。まあ単純に、自分の住んでいるところが元気になったらええなあとは思ったりしますけどね」なんて穏やかに話す上田さんだが、困っている人や何らかのニーズがあるところはすなわち純粋なビジネスのチャンスだと思える根っからの自営の精神が、ここまでの上田さんの動きを促しているにちがいない。誰かのニーズがチャンスに見える。よきことをビジネスとしてしっかり継続できるようにしたいという想いは誰よりも強い。