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NPO法人淡路島アートセンター

すごいすと
2013/07/25
やまぐちくにこさん
(43)
兵庫県洲本市
NPO法人淡路島アートセンター

自らの肩書きを「淡路島を耕す女」とする人がいる。

NPO法人淡路島アートセンターや「淡路はたらくカタチ研究島」などの地域おこし活動の中心人物である、やまぐちくにこさんに話を伺った

淡路島アートセンターやまぐちくにこさん

島とつながる手段

淡路島の中部に位置する洲本市。神戸市から高速バスで1時間ほどで到着する。

「日曜日とかは、観光に来た方を昔よりずいぶん見かけるようになりましたよ」。

やまぐちさんは洲本市出身。一度淡路島を出て、戻ってきたUターン組だそう。

当時淡路島に大学がなかったこともあるが「ご近所の目とか井戸端会議、そういう世間が狭い感じが嫌いで、島を出た」と話すやまぐちさん。美術系の大学を卒業し、大阪で就職する。

ところが数年で退職。「なんかマンションで会ってもあいさつしない感じとか、都会の暮らしが今ひとつ合わなかった」と高校生以来の淡路島生活に戻ることに。

その後結婚、出産。育児生活が始まるが、初めての経験に手探りの日々が続く。試行錯誤を続ける中で、もっと積極的に地域とのつながりを持とうと思い至ったやまぐちさんは病院の託児所で子どもたちに絵を教えることをスタートさせる。それが評判を呼び、やがて公民館や個人宅で絵や造形を教えるようになる。そのうちに淡路島に伝わる民話の絵本づくりを手がけ、市民ギャラリーを立ち上げたいという思いを抱くまでになった。

「戻ってきたものの、だからといってやっぱり島は好きなわけではない。そんな中ようやく見つけた、島と関わる手段がアートだったのかな」。

洲本市民工房にて

洲本市民工房にて

戦前からある空き家でアート!

大きな転機となったのが平成16年の台風23号。復旧作業を手伝うやまぐちさんのもとに一本の電話があった。
曽祖父名義の家が土砂崩れで大きな被害を受けているとの知らせだった。数百万円をかけて解体・撤去するか、それとも自力で片づけるか。ふってわいたような話に、迷ったやまぐちさんだったが、結局戦前から建つ古い空き家を相続することにした。

その頃、やまぐちさんは市の嘱託職員として洲本市民工房で教室やギャラリーを企画運営していた。

「税金を使ってアートを、ということは難しい面もある。現代アートって『わかりにくい』と受け取られがち。そんなもの、なんでわざわざするの、と言われる」。アートを通じて島の問題を形にして見せたかったというやまぐちさん。「市の施設で難しいなら、自力でなんとかできないかなというのがずっとあったんですよ」。

空き家の話はそんな思いを抱いている中、持ち上がったものでもあった。
「これや! このタイミングだと思って。修復作業から何かが生まれるはず」と空き家を使ったアートプロジェクトの企画を思い立つ。こうして開始されたのが、島内外のアーティストが集まって修復作業を行う「空き家リノベーションプロジェクト」だった。

空き家を片づけ、数ヶ月かけて修復する。しかし、ただ修復するだけなくアーティストがそれぞれの解釈や感性を、思い思いに織り込んでいく創造的な作業だ。壊れた空き家は自由な表現の場となった。

「でもいろんな人が出入りするのに、地域の人に警戒されても良くないし、よしNPOを設立しようと思って」

有志を募り、平成17年、NPO法人淡路島アートセンターが立ち上がる。

空き家は「日の出亭」と名付けられ、現在に至るまで淡路島アートセンターの拠点のひとつとなっている。

日の出亭の前景

日の出亭 – やまぐちさんデザインの家紋つきのれんが揺れる

アートイベントをデザインする

他方、自身も主に絵画を通じた表現活動を続けていたやまぐちさん。

絵画教室で子どもたちにいろんな素材を使って絵を描くことを教える中で、自分自身が多くのことにとらわれていると気づいたという。

例えば、平面の絵画に奥行きを表現するにはおおよそ決まった手法がある。が、ある時、

「なぜこの手法に則って表現しなければいけないのか」。

そう思ったやまぐちさんは、平面の絵にでっぱりをつけ、立体にしてみたのだという。

「絵の具とか画材とかにしても、これはこうじゃないといけない、というのが全部疑問に思えてきた」。

それからは自分がとらわれてきた枠をどんどんはずし、絵画や立体といった形にまとめることにすらこだわらない表現を繰り返してきた。

「そうしているうちに、五感を通じて淡路島の良さや問題点を発見できる、そんなアートイベントを企画することが、私の表現活動となったんです」。

表現活動について語るやまぐちさん

今、やまぐちさんはアーティストだけでなく様々な人とつながりを持ち、島の至る所で「淡路島」のありさまを形にし、島に新たな価値観を加えるプロジェクトを進める。

 

例えば自然のなかにアーティストが整備した歩行ルートを、訪れた人たちが歩き、体感する行為そのものを作品とする取り組みがある。淡路島アートセンターが中心となって実施するプログラム、「五斗長(ごっさ)ウォーキングミュージアム」だ。作品展示もされるが、その歩く道のり自体を、アーティストが作品として制作するという。

洲本市のコモード56商店街では、今年で8回目となる「淡路島アートフェスティバル」に向けて、アーティスト林僚児さんを招へいする企画が立ち上がっている。林さんは沖縄の商店街で「民俗×アート×まちづくり」を展開するグループのひとり。ある地域に長期滞在し、その地に応じたアート制作なども行なう。その林さんに、洲本でも商店街での「滞在制作」を行なってもらうというのが今回の企画。制作にあたってはアーティストと商店主の意思疎通が欠かせない。そういったコミュニケーションが生まれることも含めた企画だという。

コミュニケーションということで言えば、淡路島の方言がならんだ『べっちゃない手ぬぐい』は、「わからなければ淡路の人に直接聞いてもらうために」対訳がついていない。販売から2週間で200枚が完売した。

べっちゃないてぬぐい

イラスト付きで淡路弁が並ぶべっちゃない手ぬぐい。べっちゃない、とは「問題ない」の意

淡路地域雇用創造推進協議会が進める「淡路島はたらくカタチ研究島」。「淡路島の資源を生かし、魅力的なはたらく人、はたらく場、はたらく機会をつくる」として、島内の観光業や農水産業をより魅力あるものにするための参加型研究会などが行われている。

地方の雇用創出を目的として、厚生労働省が地域ごとの企画と実施地域を募集していることを知ったやまぐちさんと映像作家の茂木綾子さん、建築士の平松克啓さんが発案し、県や市に協働を持ちかけた。

「私たちで進めればいいと始めたのですが、実はしっかり県や市にも関わってもらわなければならなかった。ただそれによって県や地元3市、商工会議所・商工会、労働関係団体と連携し、結果的に大きな動きになっていった」と平松さん。特に行政側とは使う用語なども異なり、初めは戸惑いも多かったが、自分たちの畑に歩み寄ってきてもらえたことで、今おもしろいものが生まれていると語った。

やまぐちさんと建築士平松さん

淡路島を耕す女

自身を「淡路島を耕す女」と称するやまぐちさん。

「島外からいろんな方がいらっしゃるんだけど、その人たちの気持ちを島につなぐ役割の人間が必要だなって思う。いろんな種が根付くように土地を耕しておく。きっとそれは地元の人間じゃないとできないこと」と語る。

ノマド村のなか

廃校となった小学校の旧校舎を利用し、アーティストを招へいした「ノマド村」。

地域の人が出入りできるようにとカフェとしても運営されている

耕す女は笑ってこうも続ける「私は耕すだけ。そこへ種をまいたり、水をやるのはまた別の人の役割」
先の平松さんも「やまぐちさんは何かを動かす、まず最初の大切なエネルギー。わーっと先頭きって行って、わーっと戻ってきて頭抱えてるけど」と笑う。

あらわにしたいと思う島の魅力があり、古い価値観がある。やまぐちさんはそのために、耕す。そしてあとは種まき、水やりが得意な人にまかせる。自分の耕した土地が集まった人によって、変化していくことが何よりおもしろい。

 

やまぐちさんの座右の銘は「なったなり」。成ったままに、ということだ。

やまぐちさんの耕した土地に、集まってくる人は多い。

やまぐちさんの座右の銘、「なったなり」

 

(公開日:H25.7.25)

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