真っ青な空の下、出穂(しゅっすい)が始まったばかりの稲の階段が、風にそよぎ緑色に波打っている。夏が終わる頃には、頭を垂れた稲穂たちが村中を黄金色に包みこむ。
そんな岩座神の四季の風景を空からドローンで撮影し、ユーチューブに映像を公開。「QR動画シール」を米袋に貼付して、おいしい米を育む岩座神の”世界”を届けている。
「昔は『へんぴな田舎』の代名詞。それが今では、集落の看板に石垣の説明をユーチューブに映像を公開(※)、街で『岩座神』といえばハイテクの村だと言われたりするんです」と誇らしげに語る。
(※)ようこそ岩座神へ:https://www.youtube.com/watch?v=-BKqUUW-mlU
幾重にも積み重なった石の上に、田んぼが広がる岩座神の棚田。古くは鎌倉時代からつくられたと伝えられる石垣は「寺勾配(てらこうばい)」と呼ばれ、反り返った石積みの美しさが特長だ。棚田と棚田の間に民家が点在している景観も珍しく、平成11年には兵庫県から「景観形成地区」の指定を受けている。
「棚田を使って、村づくりをしませんか?」
きっかけは旧・加美町(現・多可町)からの提案だった。昭和60年、棚田の保全について協議を開始。平成8年「岩座神棚田保全推進協議会(棚田保存会)」を設立し、平成9年に「棚田オーナー制度」をスタートさせた。「棚田オーナー制度」とは、一定の会費で棚田を借り受け、地元農家と交流を深めながら米づくり体験ができる制度のこと。
21年目を迎えた今年も大阪をはじめとする近隣の都市から、14組のグループや家族が棚田オーナーとして村に通っている。
「田植えに始まり、肥料撒き、かかしづくり、稲刈り、脱穀まで。実際に田んぼに入ってお米をつくります。参加者の中には、米が取れる現場を知らない子どもに、自然を味わわせたいという家族も多いですね。」
棚田オーナーにはリピーターが多い。初めての田植えではまだお腹の中にいた子が、中・高校生に成長してやってくることも。最もリピートの多い人は、今年20回目の田植えを体験した。
「最多リピーターのオーナーさんには、岩座神の名誉村民になっていただきました。いっそこのまま定住してほしい!」
他にもアマチュアバンドが腕を競う「棚田コンサート」や、黄金色に輝く棚田の景観を眺めながら岩座神の特産茶をいただく「棚田カフェ」を開催。
「やってくる人を『おかえりなさい』と出迎えたり、『よう来ちゃったねぇ』と声をかけたりするんですよ。」
オーナー制度を数年で辞めていく地域もある中での21年。その過程には、継続への努力と村人たちの意識の変化があった。
「都会から人を受け入れることに、最初は抵抗がありました。『田んぼの畦を歩かれると畦が傷む』と言う人もあったり、反対の声は多かったんです。でも、オーナーさんたちがマナーを守って参加していることがわかり、都市の人とのお付き合いにも慣れてきた。かつては、集落に関わりのない人が村に来ることなんてなかったので、付き合い方がわからなかっただけだったんです。時の経過とともに親しくなっていきました。」
「今年もよう来ちゃったね」「来年も来てね」と声をかける村の人。オーナーたちの間にも、近所の人と地元の言葉で親しく世間話ができる雰囲気が生まれていった。これが20年継続してきた成果だと、安田さんは振り返る。
「受け入れ方に『手法』なんてありません。とにかく言葉をかわすこと。それで親しくなってきた。そして時の経過。数年で終わっていては、こうはなりませんでした。」
時々安田さんは、棚田オーナーたちに「いつまで来てくれる?」と尋ねるという。
「オーナー制度がある限り来るって、答えてくれる人も多いんですよ。」
その中には「ここのお米がおいしいから、やめられない」という声も。棚田オーナー制度をきっかけに生まれた、村づくりのもうひとつのキーワード。それがこの「おいしいお米」だった。
棚田は一枚一枚の面積が小さく生産効率が悪い上、急な斜面や高所での作業といった危険が伴う場合もある。
「そこを活かして、米に付加価値をつけられないか」。
そう考えた安田さんは、棚田で取れるお米を「いさりがみ棚田米」と名付け、ブランド米として売り出すべく力を注いでいる。
「千ヶ峰からの源流は冷たくきれいで、どこにも負けない良水です。高い標高が昼と夜の温度差を生み、米の旨みを引き出します。空気もきれいですしね。」
一方20年前から、そばの栽培にも着手。そばがら枕やクッキーなど、集落の女性有志や高齢者たちがそばの製品化に取り組んでいる。
「せっかく米やそばをつくっても高く売れない、つくるだけ損、買うほうがいい。それではダメです。米やそばが高く売れれば、棚田でつくる意欲が湧いてきますから。」
若い世代が地元を離れ、過疎化による限界集落としての危機感を抱える日々。付加価値のあるブランド米やそば粉を生産できれば、岩座神で生活する手段が生まれ、都会に出て行った若い世代が帰って来ることができると、安田さんは言葉に力を込める。
「こんなへんぴなところでも、考えればいくらでもできることはある。子どもたちが村を出て行くことを、心配ばかりしていても始まりません。ここで生きていける場所をつくってやらなくちゃ。」
岩座神で付加価値のある米をつくること、棚田でつくり続けること。安田さんのこだわりには先人が守り継いできた地元に込めるさらに大きな想いがあった。
「景色として保全するだけでは、棚田は守れません。放棄田に雑草が生え荒れていくように、石垣も草を刈って手入れをしないと、荒れて崩れていきます。この石積みの棚田の景色を後世に残そうと思えば、農地として何かをつくらないといけない。だから私は、ここで米をつくり続けたいんです。」
オーナー制度導入当時、70名ほどいた住人も現在は18戸40名足らず。360枚の棚田を集落の人々だけで守るには限界がある。
「棚田オーナー制度は、棚田を守るための人材づくりでもあります。ここで一緒に取り組もうという人が出て来てくれたら。」
最近は平日でも、カメラを片手に村を訪れる人や散策をする人が増えてきた。かつては警戒心を抱いていた村の人々も「こんなにたくさんの人が来てくれるなら、頑張って棚田をきれいにしていかなくちゃ」と、気持ちが変わってきているという。
「これは、棚田オーナー制度の大きな成果です。日本の原風景を今に伝える癒しの空間として、棚田を残してほしいと思う人がいるのだから、ここの住民である我々があきらめちゃいけないんです。」
「まず自分が動くこと。自分から行動を起こすことが大切だと思っています」と安田さん。実は「いさりがみ棚田米」が生まれたきっかけも、この行動力だった。
「ふるさと納税へのお礼に何か商品はないかと、多可町から尋ねられて提供したお米の評価が、とてもよかったんです。このお米が欲しくて年に2回も3回も納税をする人や、次の年にリピーターになる人が増えました。『岩座神のお米はおいしい』という以前からの評価を、リピーターの多さで証明できたんです。道の駅や、神戸のアンテナショップへの販売ルートも自分で開拓しました。売り出そうと自分から行動しなければ、棚田米は生まれていません。今は有志5人での棚田米づくりですが、今後は輪を広げ集落全体で取り組みたい。」
岩座神にとって、棚田を残すことは集落を残すこと。
「棚田を景観ではなく、生産農地として残したい。そのために、都市の人たちとの交流をひろげ、人の営みのある棚田の魅力を発信して後世に引き継ぎたい。」
過疎化が進む岩座神。それでもいつか若い世代が、棚田に戻り集落を引き継ぐ日まで、安田さんはあきらめない。