幼稚園教諭だった米山清美さんが代表を務める「にしのみや遊び場つくろう会」。長らく、地域の子ども会会長を務めていた米山さんが地域の保護者や若者など有志と平成11年に立ち上げた市民団体である。「子どもが自分自身でのびのび遊ぶことを見守る遊び場」として、大学生からシルバー世代まで、多様な年齢や立場の人が関わりながら運営している。
代表の米山さんは、短期大学の保育科を卒業後、お行儀のよい子どもより、好きなことでのびのび遊ぶ子どもの様子を見るのが好きという理由から、系列の学校法人が経営する幼稚園へは就職せず、公立幼稚園へ。その後、「自分の子どもは自分の手で育てたい」という気持ちからいったん、保育の現場からは離職した。
その後幼児教室講師として復職。二男一女のお子さんに恵まれ、子育てに全力投球していた平成7年、阪神・淡路大震災で被災。西宮市内は地域の公園が仮設住宅に、小学校や中学校が避難所になったことにより、子どもたちの遊び場が失われた。長年、子どもにかかわる活動をしてきた米山さんは、避難所の小学校で無口だったり、情緒不安定だったり、普段とは様子の違う子どもたちを目にして、遊び場を失った子どもたちが気兼ねなく、思いきり体を動かして自由に遊べる場所が必要だと感じていた。
震災からの復興により、街が落ち着いてきた平成11年、復興から置き去りにされていた子どもたちのために西宮ならではの遊び場を作ろうと、市民団体「にしのみや遊び場つくろう会」を結成。11月14日、酒蔵の跡地で開催された第一回目の遊び場イベントでは1000人以上の親子が参加したという。どれほど、被災地の親子は「遊び場」を求めていたか、実感できる成果だった。
好評だった「遊び場」イベントは、3回目を開催した後、イベントを開催していた土地が使用できなくなり、以降、開催場所を御前浜公園への変更。月1回の定期開催となった。活動が長くなるにつれ、御前浜公園でのイベント的な活動ではなく、常設のスペースを確保したいと考えていたところ、兵庫県による“子どもの冒険ひろば”開設の補助事業が始まることに。子どもが遊びを通じて「生きる力」を育むための自由に遊べる場作りを補助する、行政と市民活動のニーズが合致した助成である。「つくろう会」は、ひろばに適した、自然のままの野原を探していたところ、長年、シートで覆われていた道の駅予定地に目をつけ、兵庫県にひろばとして使用を要望。国有地であったため、県が国から借り受け、念願だった常設の遊び場を確保することとなった。
常設の遊び場は「プレーパーク」。プレーパークとは、1943年にデンマークで生まれ、子どもたちが自分の責任で自由に遊ぶことをモットーとした遊び場のこと。西宮の冒険ひろばも、石を取り除いたり、雑草を抜いたりせず、なるべくあるがままの状態を保っている。「子どもの様子を大人は見守るだけ。1歳の子どもでも、中で歩いていて、1回、2回と石でつまずいたとしても、3回目には避ける。危険を回避することを子どもたちが自分で気付くことが大切で、子どもが自由に遊んでイキイキできるこのプレーパークは大人にとっても居心地のいい場所なのです」と米山さんは思い思いに遊ぶ子どもたちを見つめ、微笑む。
米山さんは、平成23年の東日本大震災で被災した野田村を定期的に訪れ、出前プレーパークなど、被災地で被災された人たちに寄り添う活動をしている。「阪神・淡路大震災で被災した際、青森県八戸青年会議所に浜脇地区子ども会の子どもたちが招待され、心を癒すことができました。その震災がきっかけで、NPO法人日本災害救援ボランティアネットワークの活動にかかわることになり、東日本大震災では、ボランティアを連れて、子どもたちに寄り添うことを始めました。その時に参加してくれたボランティアの中には、阪神・淡路大震災の時小学生だった若者たちもいました。自分たちがしてもらったことに感謝して、手伝ってくれたのです。活動を継続していると、関わる人、関わる世代がボチボチですが増えています」
熊本地震以降は、4月下旬から毎月2回程度、益城町や西原村などを訪れている。阪神・淡路大震災当時と比べ、母子を支援しようとする機運はあるが、子どもたちが明るくふるまい過ぎていることが気になった。「心配をかけまいと無理して元気にしていることに、生活の立て直しに精一杯な大人たちは気付かない。経験者の私たちがボランティアとして、子どもたちに寄り添い、不安な気持ちを吐き出せるようにできればと思っている」
被災地から離れた関西では、東日本大震災の記憶は徐々に薄れてきているが、復興とはまだ遠い現実があり、この夏も野田村への訪問を予定している。
国有地プレーパークでは、数年前からインターンを受け入れている。米山さんが兵庫県内の高校へ出前授業をしていたことがきっかけで高校生が、昨年度からは神戸市にある大学から申し出があり受け入れるようになった。
また、子どもの自由な遊びを見守ることができる大人を増やすために、「プレーリーダー体験講座」を実施している。また西宮子育ちサポートひぴぽの2~4歳の預かり保育の際には、保育サポートとして、お子さんを預けている保護者にも当番で一緒に見守りをしてもらったり、多様な世代が子どもたちと関われるような仕掛けを取り入れているという。
その中の一人、荘司さんは月2回、仕事のシフトが休みの時に、プレーリーダーとして活動している。「初対面では、小さい子どもも知らない人だと警戒するけれど、一緒に遊んでいるうちに次第に心を許してくれるようになる」。
活動20周年に向け、「これからも様々な世代や立場の人たちに参加してもらいたい。そして子どもは子どもの中で育つ。障害があってもなくても誰もが楽しい遊び場であってほしい。そのためにもこのノーマライゼーションな居場所を細くても長く続けたいと思っている。また子育てに関しては、今のお母さんたちに気兼ねしているシルバー世代も、自分たちが子育て中に大切にしてきたことは自信を持って子ども世代に伝えるべき」という、米山さん。
子どもたちがのびのび過ごせる地域には、保育、放課後の遊び場、もしもの時の防災、その三つを支える人材が必要不可欠。西宮の“冒険ひろば”を起点として、子どもたちと大人が出会って、つながって、人が関わることで助け合える仕組みが成り立っている。いろいろな立場の人が関われる場作りのために、「子育て支援」という枠に収まらない活動は全国へと広がっている。