オカモトさんがガラスと出合ったのは、就職先も決まった大学4年の秋だった。何か趣味を持ちたいと多くの習い事に通い、ガラス細工の市民講座にも足を運んだ。
「ガラスは危ない、こわれやすいものと教えられてきた」と、マイナスイメージを持っていたが、熱を加えてガラスのかけらを丸くするというごく単純な作業で、溶けて赤くなる美しさと不思議さに印象を覆され、毎週通うようになった。
ステンドグラスなどの基礎講習を二巡した時、講師に吹きガラス工房を紹介され講習を受けることになった。それまでの楽しさから今度は「思い通りにならない悔しさ」が芽生え、3年半、熱心に通い続ける。その間に、休日を利用してプロのガラス作家のアシスタントを務めることもできた。
プロの厳しさを知って「目からウロコが落ちた」と、本格的にガラスに取り組むため会社を辞めようと決めた。父雄司さん(63)に話すと「やるからにはそれで食べていけるようになれ」と言われ、30歳までに形にならなかったら諦める覚悟をした。25歳のことだ。
雄司さんは「生業にするとは考えてもなかった。これがしたいあれがしたいという子ではなかったのが、初めて意志の強さを見せた。私も覚悟を決めて送り出した」という。
しかし、挫折はすぐに訪れる。新たなガラス工房で正社員を目指してアルバイトを始めたが、約1年で契約更新はないことが分かった。「専門の学校出身でないことが不利と感じました」。工房から最寄り駅までの15分間に電話をかけまくり、相生市が運営する「すりばち山ガラス工房」が講師を募集していることを知る。早速応募したオカモトさんは、体験教室の講師になることができた。
相生市の工房で講師になってから、オカモトさんの人柄や教え方が「受講生をガラス好きにしている」と評判になり、それは隣の赤穂市まで届くようになった。伊和都比売神社から海へ続く通称「きらきら坂」で、赤穂緞通※ギャラリーを営む橋羽一恵さん(62)は、「常連の方が孫と教室に行って、彼女のことを激賞したんです」と振り返る。平成23年秋、橋羽さんもオカモトさんの講座を受けに行き、地域の有志とその年の夏から始めた日曜朝市「御崎マルシェ」に出店するよう誘った。
オカモトさんは初めて坂を降りようとした時、両手で商品を入れたかごを抱えたまま息をのんだ。坂の向こうで濃い青色の海がきらきら輝いて見えた。半日の滞在で心身ともリフレッシュされ、相生での講師を続けながら毎月マルシェに参加するようになり「赤穂で創作したい」という思いが募っていった。
「きらきら坂」に空き家が出た時のこと。オカモトさんの熱意と人柄を知る橋羽さんら地域の人たちから、店舗にすることを薦められる。願ってもない話だったが、腹をくくるまで数カ月かかった。
国立公園のため、いったん建物を壊すと新たに建てられないことから、「最低10年は腰をすえて」という要望に、「いいかげんな返事はできない。義士のまちやし」と悩んだ。坂の下にある、引き潮の時にだけ渡れる「たたみ岩」に寝転がり考え続けるうちに、海と空を染める夕陽が、心の奥まで熱くした。
「こんなロケーションは他にない」
平成25年、29歳の夏、覚悟を決めたオカモトさんは、赤穂市に住民票を移した。
橋羽さんらの紹介で県の女性起業家支援事業を知り、事業計画の相談に乗ってもらった。一人で店の内装をしていると「壁紙はりよんやあ」と、マルシェ仲間の大工さんが手伝ってくれたり、ふかした芋を持ってきてくれる人もいた。平成26年2月1日、この地に根をおろす思いをこめて名付けた「御崎ガラス舎」がオープン。父の言葉に誓った30歳になる4日前だった。
店舗の持ち主の妻で、赤穂観光協会に勤める上荷扶美子さんは「御崎を元気にしたいという周囲のみなさんの応援がすごかった。オカモトさんは人にも恵まれていますね」とほほ笑む。やがて、相生での受講者など御崎を訪れる人が増え、オカモトさんは「きらきら坂のひまわり娘」と称されるようになった。
学生時代から苗字で呼ばれていたオカモトさんは、御崎では「よっぴい」というニックネームがつけられ、母親ほど年の離れた橋羽さんを「があこさん」と呼び、赤穂緞通のデザインなどアドバイスをし合う間柄となった。また、「自分がほしいもの」という考えで大きめのグラスを作ったところ、地域で親しくなった女性の手が小さく、人それぞれしっくりくるポイントも異なることを教えられた。同じ規格という商品概念を捨て、指をかけるくぼみの位置や大きさを一個ずつ変えた作品は、近所の旅館でも使われるようになった
土日祝日に営業するガラス舎には、市外の講座参加者や展示会などで関心を持った人たちが訪ねてくる。ストラップ作りを体験したたつの市の野村比佐世さん(33)は、完成品を受け取りがてら、二人の息子にガラスボトル作りを体験させた。市内在住の女性は2度目の訪問で姪を伴い、アクセサリー作りに熱中した。
姫路から車で約1時間かけてくる砂川さんは、オカモトさんの作品を好きになったのを機に、妻と二人の娘と一緒にガラス細工の体験をするようになった。
「3度目です。オカモトさんは子どもだからって妥協しない、さりげないアドバイスをしてくれます。子どもは正直なので、いやなら何回も来ないですよね」と話した。
御崎地区には、オカモトさんが展示会等で知り合ったクラフト作家やイラストレーターなど様々な人が集まるようになり、コラボ企画として、風鈴に絵を描くワークショップなどを夏休みに開催。花火大会に合わせ、浴衣の着付けや巾着づくりなどガラス以外の体験イベントも用意し、観光客を呼び込んでいる。今は「温泉旅館の宿泊者が楽しめる場所を増やしたい」と、夕食後も視野に入れた観光アクティビティを考えているという。
また、地元の団体ともタイアップ。観光協会とは、地元のパンの店のランチセットやデザート付きの体験教室を、温泉組合とは、2月14日の夜に「きらきら坂」をキャンドルグラスでライトアップするイベントを企画。ライトアップイベントでは、ガラス舎の前にも100個、店内に200個並べ、カフェ仕様にして温かい飲食を提供した。赤穂御崎が“恋人の聖地”に認定された記念の企画だったが、「カップルだけでなく親子づれも多かった」という。イベント名は、「海辺の雰囲気を取り入れた方がいいのでは」というオカモトさんのアイデアで「潮騒」という言葉が採用され、『潮騒ナイト』として来年も継続開催される。
市民が主催する「満月バー」や、坂越で開催される「おくとう市」などのイベントにも参加。今秋には初めて御崎公民館の3日間講座を引き受けるなど、活動の幅が広がってきている。受講者の溝口さん(66)は2月に大阪から移住してきたばかり。店内から見える御崎の風景をガラス細工で表現し「また参加したい」と作品を大事に持ち帰った。
赤穂御崎の海と夕陽の情景に魅せられ、居住を移して朝日のまばゆさも知ったオカモトさん。海を輝かせる朝日を見るたび「思い切ってよかった」と感じる。
夕陽の景色は、当たる場所や人によって美しさが評されるともいわれる。御崎の人として自分自身も磨き続けなければならない。
思いが濃すぎて、御崎の海をモチーフにした作品にはまだ取り掛かれないほどの絶景を「独り占めしたらもったいない」。吹きガラスの設備も入れて、もっとたくさんの人に体験してもらいたいと、オカモトさんの構想はふくらんでいく。