坂本津留代さんは、神戸市垂水区から誕生したばかりの西神南ニュータウンに転居。新しいまちで発生する課題を解決するため、地域活動を始めた。様々な防犯活動や住民による共助の仕組みをつくるなど、誰もが安心して暮らせるまちづくりに取り組んでいる。
坂本さん一家が移り住んだニュータウンは、全てが新しく、なんでも整っているように見えた。しかし、そこに暮らす人たちにとっては、ハード面が整っているだけで、本当のまちづくりは、住民が安心して暮らせる環境を整えることだった。
転居時、自治会などの組織がなく、生活に必要な取り決めがない状態だったまちは、引っ越しで多量にでるゴミの捨て場さえなかった。
ゴミ捨て場の設置を行政に相談した坂本さん。「ひとりの意見ではなく、皆さんの総意を得るように」と言われた。転居前は何もしなかったが、地域の組織にしてもらっていたのだと気付いた。守ってくれる人のいない新しいまちは、自分たちで守らなくてはならない。組織がなければ自分たちで立ち上げようと、一軒ずつ回ってお願いし、当時あった70世帯の殆どが参加して総会を開くことができた。坂本さんにとって、これが地域活動の始まりだった。
まちびらきから2年後、阪神・淡路大震災が発生。まちは被害が少なかったため、空き地や公園に仮設住宅が建てられ、後に復興住宅が建設された。
まちが成熟過程だったところに、たくさんの被災した高齢者が入居し、SOSを発することなく孤独死する人もいた。また、平成9年には、近くの須磨区で児童殺傷事件が起きた。
そのような状況の中、ボランティアに立ち上がったのは、坂本さんたち数人の母親たちだった。「私たちが力を合わせ、しっかり立ち上がらないと、まち全体が駄目になってしまう。危機感ではなく、ある意味『自覚』が芽生えました」
高齢者宅への訪問や登下校の児童の見守りなどを実施。次第に口コミでボランティア仲間が増えた。その後、仮設住宅の訪問活動をしていた民生委員、保健師、区役所、復興住宅の住人と一緒に「井吹台・地域見守り活動連絡会(見守り会議)」を立ち上げる。関係するすべての人が参加し、復興住宅の支援の在り方を一緒に考える見守り会議は、やがて全市に広がった。
「自分たちのまちは、自分たちで守る」という信念のもと、坂本さんは次々に発生するまちの課題解決に取り組んでいく。
平成13年、テレフォンクラブの出店計画が明らかになる。学校等の公共施設から500m以内の出店を禁止した県の条例改正により、2年以内に廃止か移転を迫られていた業者が目をつけたのは、公共施設の少ない西区だった。
坂本さんは「子どもたちを守る」という強い決意のもと、反対運動の先頭に立った。「闘う相手は、暴力団につながるような人たちだったから、怖くて仕方なかった」と、当時を振り返る。勇気を振り絞って署名活動やビラ配りをしていた坂本さんを見て動いたのは、子どもをもつ母親たちだった。住民運動と無縁だった母親たちだが、子どもを守ろうという結束力は固く、署名運動に精力的に取り組んだ。10日間で31000人の署名を集めたことが行政を動かし、禁止枠は1500mに改正された。県警の摘発や市の監視強化の動きも相まって、テレクラ進出を阻止することができた。
また、坂本さんは、まちで多発していた空き巣被害を減らすため、地域住民に門灯の点灯を呼びかけた。当初は理解を得られないことも多かったが、地道に働きかけた結果、点灯率が上がった。こうした積み重ねが市から認められ、街灯の増設も実現。現在も継続しているこの取り組みは、住民の安全・安心に繋がっている。
まちの成長と共に「誰もが住み慣れたこのまちで安心して暮らし続けられるようにしたい」という思いが大きくなった坂本さん。平成21年、高齢者世帯などから依頼された掃除や買い物、電球交換などを地域住民がワーカーとして担い、提供したと労力が時間換算されて貯金できる「ふくし銀行」の仕組みをつくる。将来、助けが必要になった時に、貯金を使ってサポートが受けられるというものだ。「近所」より心強い「近助」は、地域の資本として全国から注目を集めている。
遠くで暮らす家族を頼らなくても身近で少し手助けがあれば、安心して暮らし続けられるのではないかと始まったこのシステム。坂本さんは、これが各地に広がれば、離れて暮らす家族が、自分の地域でワーカーとして貯金したものを親に送金することができるのではないかと、銀行のネットワーク化も視野に入れている。
震災から8年が経った頃、坂本さんは中学生に震災の体験やボランティア活動について話をした。「これから、このまちに必要なものは何か?」という問いかけに「再び震災が起きたときに、お年寄りたちを誘導する人が必要である」ことや「パトロールをしてくれる人手が必要である」といった言葉がかえってきた。
子どもたちの真剣な思いを大事にしたいと思った坂本さんの気持ちと、学校外で地域活動を体験させたいという初代の中学校長と考えが一致し、中学生で結成された「井吹台ジュニアチーム」が誕生。小学校4~6年生の「いぶきジュニアチーム」も出来た。毎年約100人の団員が、防災訓練をはじめ、駅前クリーン作戦、防犯パトロールや、福祉活動や地域交流活動にも積極的に参加している。
子どもたちは、大人と一緒にまちづくりをすることの喜びを語り、自分たちより小さな子に思い出を作ってあげられることが楽しいと言う。時間を経て子どもたちは、まちづくりの立派な担い手として育ってきた。
子どもたちにとって井吹台は育ったところになる。坂本さんは、大人になって他のまちへ出て行っても「井吹台で育った」という意識を持って、戻ってきて来てくれることを願っている。
「思い出のないまちには戻ってきてくれません。私たちの手で思い出づくりをして、子どもたちのふるさとを作っていきたい」
地域の課題に向き合う時「とにかくやってみる」と言う坂本さん。
「あれこれ考えていると、旬を過ぎてしまうことが多い。だから、やってから考える。やらなかったことを後悔したくない」
防犯カメラの設置や、災害時に助けが必要な人とボランティアとして支援できる人を登録する「災害時避難者登録制度」の創設、民家を改装したミニデイサービス施設「いぶき庵」を開設させるなど、まちの安心・安全を守るための取組みを次々と展開している。
「地域活動はまちの御用聞き」だと思っている坂本さんにとって「やってみる」という言葉は、自分を奮い立たせてくれる言葉だ。
「このまちに来てよかった」という言葉を糧に、次々に舞い込む“御用聞き”の対応に休む間もなく走り回る。