神戸市須磨区出身。2004年に神戸市新長田に移住。第一子出産後にNPO法人ママの働き方応援隊の子育て支援事業「赤ちゃん先生プロジェクト」の立ち上げに参画。2013年に地域の人々が交流しさまざまな活動ができる場「wina(ワイナ)の森」を、2015年にその後継である「r3」をオープン。2024年にはレンタルスペース、カフェ、ギャラリーなど多目的に使えるチャリティーショップ「したまちのえきロッケン」としてリニューアル。その運営を通じて地域活動や文化継承を支援している。2025年には鍼灸師の国家試験に合格し、「はりきゅう治療院origin」も運営中。
目次
精も根も尽き果て、全ての仕事を手放すことに

ある日突然、心も体も頭も動かなくなってしまった。
がむしゃらに走り、前へ前へと進めてきた活動を、「強制終了」。
3人の子を育て、生まれたばかりの4人目をおんぶしながら、NPO法人の理事長として子育て支援事業を広げるため、全国を駆け回っていた合田三奈子さん。地元の六間道(ろっけんみち)3丁目商店街(神戸市長田区)ではコミュニティスペースを運営し、仲間たちとともに「親子カフェ」やイベント開催などを通じて地域を盛り上げてきたが……(参照:「すごいすと」2015年5月25日掲載)。
「生活の中で仕事の比重が重くなりすぎて、心と体のバランスが崩れてしまいました。その間、流産も経験して……。でも、そんな状態にある自分のことを相談できる相手もいなくて。そのうち、予算の割り振りなどの計算ができなくなり、しまいには体が全く動かなくなって、これはあかんなと。一度仕事を全て手放して、家事と育児に専念しました」
それが2019年のこと。
しかしその後、起死回生のターニングポイントが訪れる。
鍼灸との出会いで「支える」側へ方向転換

ある日、もうどうにもならなくて駆け込んだ鍼灸院。
「うわこれ、本当に疲労困憊してるよ。車がガソリン切れの状態でエンジンふかしてるって感じ」と、鍼灸師は指摘。そこで合田さんは、「やりたい」よりも「やらねば」思考が優位になっていると気づかされた。心も体も疲弊した自分の「ダメダメ状態」を言い当てられたことで、心療内科などに行っても解消しなかったモヤモヤが一気に流れ出し、「自分を立て直そう」と、思えるようになった。そして次への一歩は、やがて、外に向いていくことになる。
「私の周りで地域活動している人たちも、いつか限界点に到達してしまうことがあるかもしれない。そんなとき、私がその人の受け皿になりたい。私がやってもらったように、人の心身をほぐして整えて、その人が活動を伸ばせる役割になりたい」
地域を盛り上げる側から、活動する人を支える側へと舵を切っていった。
地域をチャリティーで支える出会いの場「したまちのえきロッケン」

折しも六間道では、移住者が増えて新たな店を開いたり、起業したり、地域プロジェクトを始動させたりと、地域活動が活発化していた頃だった。
元気を取り戻しはじめた合田さんは、第5子を新たに授かり出産。鍼灸師の資格を取得して次のステップを踏む。
あちこちで生まれる地域活動を応援するため、9年間運営してきたコミュニティスペースを一旦閉じ、仲間たちとともに「したまちのえきロッケン」をリニューアルオープンした。古着の販売やカフェ、ギャラリー、レンタルスペースなど6つの機能を提供し、収益の一部を地域に寄付する。コンセプトは、「まるごとチャリティー」。人が出会いつながる場として機能するだけではなく、利用することで地域の文化や活動をチャリティーで支援できるしくみだ。
奥には鍼灸スペースも設けた。これまで多くの人を「つなげる」ことに懸命だったが、次はつながった一人ひとりを「深掘る人」を目指す。鍼はその一つの手段だ。
閑話~off-topic~
「こんにちは」が行き交う場所取材に訪れたこの日は下町芸術祭の開催期間。アーティストの作品を見に来る人やアーティスト本人が作業をしに訪れていた 「したまちのえきロッケンには、お弁当や古着を買いに来る人、作品を展示しているアーティスト、その作品を見に来る人などが、入れ替わり立ち替わり「こんにちは~」って、気軽にきます。常連さんや近所の人も多いけどね。なんかこの辺のどっかに寄ったついでに入ってくる人もいて。なんで来てくれはったんやろう、って興味が湧いてくるんです」
さらに深掘り-Q&A-
──「深掘る」とは、どういう意味を込めているのでしょうか?

人と一対一で話していると、分かり合える瞬間があるんですよね。「そうそう、それ!」って。一人で考えてても、AIに聞いてもそういう瞬間は訪れない。人と話すことでしか生まれない強い共感、同じ感情を共有する喜びがあって、その瞬間、すごく感動するんです。心が動いたら、「次、こんなことしたい、あんなことしたい」っていろんなアイデアが湧いてくる。だから人との時間を深めたいんです。自然にその人のスイッチをオンして、次に向かう背中を押せるように。
「したまちのえきロッケン」に来てくれた人としゃべったり、鍼を打ったり。地域の保育園に出向いて先生たちに鍼を打つこともあります。鍼のためというより、実は話したいから来ている人が多いなって感じてます。人の悩みに触れて根本的な理由を探って、その人が軌道修正して再スタートを切る姿を見ると、あぁ良かったって心底思う。自分もそうやって復活できたから。
──地域でさまざまな人と関わっていると、時には、「したまちのえきロッケン」の活動をよく思わない方とも出会うと聞きましたが、たとえばどんなことですか?

神戸市の「ながた緑プロジェクト」の一環で、商店街に花壇を兼ねたベンチを設置したときは、夜間、そのベンチに集まる人たちの声がうるさいと苦情が上がりました。そこで、そうおっしゃる方をまちづくりの会議に呼んで、どんなことに困っているのかなど話を聞いたんです。また、ベンチで騒ぐ人たちとも「夜間はベンチをこっちに移動させよう」などと話し合って近隣住民に配慮する対策に取り組んでいくと、そのうちその方も「それならこうするか」と意見を出してくれるようになって。そうやって、何かのきっかけで人の意識や行動が変わる瞬間を見ると、すごく感動します。
この10年間で商店街の景色は急激に変化しました。コロナ禍で取り壊されたアーケードには商店がなくなって、高層マンションが立ち並びました。新しい住民が増え、一方で、長い間町を支えてきた方々が亡くなっていき……。新旧の住民のあいだで、地域や商店街に求めるものや価値観に違いが生じてきているのを肌で感じています。だからこそ私は、この地域をみんなが居心地のいい場所にしたいんです。
──お母さんの活動を近くで見て、5人のお子さんたちはどう感じていると思いますか?


「これがママ」と、ありのままに受け止めてくれています。高校3年生の長女は、大学入学前の課題で、「子ども心」をテーマにこんなことを書いていました。
「身近で『子ども心』を持っている人はお母さん。その理由は、何歳になっても好きなことにチャレンジしているから。心が動くことに対して、まっすぐ行動しているのが子ども心だと思う」
子育てって結果が出るのが遅いけど、そんなふうに子どもから返ってくるものがあると、今まで自分が歩んできた道はこれで良かったんかな、と思いますね。
──合田さんは幼少期から、今のように人と関わることが好きだったのですか?

母にはよく「人にやったことは自分に返ってくるから、人にはやさしくするんやで」と言い聞かされてきました。母は誰にでも等しくやさしくて、誰かのために一生懸命になれる人。住んでいた団地では、いつも我が家に人が集まり、お茶を飲みながら歌っておしゃべりするのが日常茶飯事でした。ただ、私はそういう人との関わりを面倒に感じて、一度は家を出たこともあります。
考えが変わったのは、子育てを始めてから。毎日毎日、散歩や買い物でベビーカーを押して商店街を歩いていたら、おじいちゃんやおばあちゃん、誰かれなしに「赤ちゃんいくつ?」などと声がかかるんです。日々会話を重ねるうちに関係性が深まって、どんどん人に興味を持つようになっていき、それがいつしか「暮らしやすい」に変わっていきました。今では、最後に頼れるのは人でしかない、と思っています。
──お父さんはどんな存在でしたか?

父は、典型的な昭和の亭主関白。私とソリは合わなかったけれど、2019年に施設で看取ったときには「こうしてほしいんやろうな」というのが手に取るように分かりました。もう何も食べられなくなってたけど、好物のお酒が飲みたそうだなと思ったので、看護師さんに頼んで口に含ませてあげたり、牛丼の匂いをかがせてあげたり。そうしたら、目が開いて反応してね。いよいよ最期というとき、父が声を振り絞って、隣にいた母に「ありがとうな」と言ったんですよ。私が幼少の頃、母が父のことで悩んだり涙したりしている姿を見ていたので、母がそんな父の手を取るのを見て、「あぁ、私は人が求めることを汲み取って、人と人をジョイントして(つないで)いくのが役目なんやな」と思いました。
──「したまちのえきロッケン」も、人と、人が求めるものをジョイントする活動のひとつですね。これから新たに「ジョイント」したいことはありますか?

心身を立て直そうとしていた時期に、淡路島で米づくりをしていた人に誘われて、田んぼで手植えを体験したんです。太陽を浴びながら、裸足で泥の中に入った瞬間、頭の中のモヤモヤがスーッと消えて、「気持ちいいな」っていう余韻だけがずっと残ってて。で、ふと思ったんです。働きすぎてがんじがらめになると、心がわくわくしたり、何かに「心地いい」って思えることがなくなって、人は病に陥ってしまうんだと。不思議なもので、こうやって心身が整ったら第5子を授かり無事出産もしました。

そこで、日常に疲れた人が自然の中でリフレッシュして、また元気に戻っていけるような居場所を作ろうと、これから本格的に丹波篠山で「森づくり」プロジェクトを進めて行こうと思っています。
みんなのアイデアと私たち夫婦が六間道で作ってきたコンテンツを組み合わせて、働く人や旅行者に向けて滞在型のリトリート(日常生活から離れてリフレッシュする時間を持ち、心身ともにリセットすること)を楽しめる場所「森」を作りたいと思っているんです。仕事や家事、育児の忙しさで心や体が壊れてしまわないように、日常から一時離れて、森の中で美味しい食事をして、草花のアロマをかいで、音楽を聴いて、鍼灸の治療を受けられて……。大自然を五感で「心地いい」と感じる瞬間やわくわくできる、遊び場みたいな場所にします。
「つなぐ人」から「深掘る人」へ

合田さんのもとには、毎日、いや毎時間といってもいいほど、来客がある。というよりも、「ふと立ち寄る人」と表現する方が正しいかもしれない。「今日はお弁当あんのー?」という近所の人はもちろん、たまたま通りかかった北海道や愛知など地方の人もいる。そんな見かけない顔の人には「なんでうちに来てくれはったんですか?」と、やさしく声をかける。そこからご縁が始まり、今でも関係性が続いていたり、長田に移住した人もいるという。
「類まれなるコミュニケーション能力」とくくってしまうのは安直だと思えるほど、人の懐にすっと入って、心の扉をそっと開いていく。 長年、「つなげる」ことに捧げてきた人生に「ストップ」がかかって立ち止まれたことで、より人の心や想いに寄り添うことができるのだろう。鍼灸や農業を通じて自身の心と体で受け取った深い癒しを、これからは自分が人に届けたい。その強い気持ちが合田さんを「つなぐ人」から「深掘る人」へと深化させているように思う。
閑話~off-topic~
大好きだった母の味「母の手料理の中でも特に好物だったのが粕汁です。鮭や豚肉、大根、人参、こんにゃく……と具沢山で、味噌は入れずに最後に醤油で味を整えるというレシピ。この母の味を今度は私が家族に作っています」
合田さんのライフチャート
「仕事に猪突猛進しすぎて心身に不調をきたし、「強制終了」。それまでの生き方を考え直すきっかけに。自然に触れる時間や鍼灸との出会いを経て、今はかえって生きやすくなりました!」


