生態学で営む、珈琲と地域の新しい関係。面白がりながら、人やまちの“関わりしろ”を増やしていく。

すごいすと
2026/03/10
萩原英治さん
(43)
兵庫県神戸市
萩原珈琲株式会社 代表取締役
個人紹介

1982年神戸市灘区生まれ、県立広島大学生物資源開発学科(現在 生物資源科学部 地域資源開発学科)卒業。海外留学、東京での食品会社勤務を経て、2009年に家業である萩原珈琲株式会社に入社。時を同じくして、父親世代が立ち上げた地区の青年会へも加入。事業と地域活動の両軸で、継承を進めている。2019年に四代目代表取締役に就任すると、炭火焙煎技術の継承を第一に、業務の効率化やEC展開などの経営改革を実施し、過去最高益を達成。地域に密着したイベントや場の創出にも力を入れている。2025年3月には、家族で神戸市北区八多町へ移住し、旧醤油蔵を改装したカフェ・交流施設の開業に向け準備を進めている。新拠点では、過疎化や耕作放棄地の増加といった農村の課題に、コーヒーを通じてどうアプローチできるか新しい試みを企て中。

海外に飛び出して気づいた、自分の喜びの基準

1928年創業の萩原珈琲四代目として「初代からつないできたしっかりした土壌がある上で、自分のカラーをどう出していくか」を考えてきたという萩原さん

「跡継ぐんでしょ」
物心ついたときから、親戚や近所の人にずっと言われ続けてきた言葉。誰がそんなこと決めたんだ、と嫌で嫌でしょうがなかった。反抗しながらも、心のどこかで「いつかは継ぐのかな」と思っていたという萩原さん。両親も「どのみち継ぐんだから」を枕詞に、大学まで好きなことをやらせてくれた。

大学卒業が間近に迫った4年の秋、「やっぱり継ぎたくない」という思いが沸々と湧いてきた。父に伝えると、殴り合いの大喧嘩に。そのとき実家の壁に空いた穴は、まだ今も残っている。抵抗する息子に父親が用意したのが、海外での研修期間だった。実家と距離を置きたかった萩原さんもこれを了承し、ブラジル、グアテマラ、アメリカに半年ずつ滞在した。

コロンビアやブラジルなどコーヒー農園でのインターン。焙煎(写真右下)も体験した

コーヒー農園に寝泊まりし、現地の人たちと過ごす日々。原住民の地位が低いグアテマラでは、路上で寝る子どもやスリをする子どもにも出会った。それまで、親の手厚いサポートを受け、不自由なく暮らしてきた自分と比較して気づいたのが「喜びの閾値(いきち)」の違いだった。それは喜びや面白さを感じるに至る最小の値のこと。現地の子どもたちはココナッツ1個で喜んだり、草サッカーや草バレーボールで盛り上がったり。そんな姿を見て、自分は知らず知らずのうちに喜びの閾値が上がっていてしまったのでは?と。なんでもないことを面白がって、どんな状況でも楽しいと思える生き方をしようと自分を見つめ直す大きな転機になった。

生態学を学んで気づいた「継ぐ」ことの意義

広島県の中山間地域にある大学で、自然にどっぷり浸かりながら森林生態系や昆虫の研究に没頭していた学生時代

大学では森林生態学や昆虫研究など生態学を専門に学んでいた萩原さん。生き物に目覚めたきっかけは、小学4年生の理科の授業。先生が顔も内臓もついたままの鶏を持ってきて解剖を体験したこと。これを機に、生き物の仕組みを理解することに夢中になった。その先生の授業は独創的で、2学期までに学習を終わらせて、3学期は焼き芋をしたり、摩耶山に登ったり。生き物係を任されて、チャボの餌の昆虫をわざわざ取りに行ったりもした。

中学・高校でもたまたま理科の先生が担任になることがあり、興味が途切れることなく大学まで生態学を学び続けた。結果、得たのが「自分も自然界のいち登場人物」だという視点だった。たとえば、葉っぱしか食べない毛虫、木しか食べないクワガタ。同じ森に住む昆虫なのに、人間の尺度で見るとなぜかクワガタはお金を出してでも欲しい人がいるほど人気がある。でも、昆虫の世界ではクワガタが毛虫に対してマウントを取ったりはしない。ただ役割が違うだけ。昆虫がそうであるように、人間にもできること・できないこと、得意なこと・不得意なことがあって当然だと思うように。そして、「血統が途切れることは絶滅を意味する」という生態学的な観点から、継承の意義も腑に落ち、自分は自分しかできないことで跡を継ごうと心が決まった。2009年27歳のことだった。

父から継いだのは会社だけじゃなかった

震災前までの地域盆踊りを復活。1年目は50人、2年目は評判が広まり200人の住民が集まった

萩原さんは家業に入ると同時に、地域活動にも参加するようになった。幼い頃からボランティア活動する父親を見ていたことから、自然な流れだったそう。震災があった1995年に父親世代が立ち上げた灘区原田地区の青年会。自治会や子ども会のような地縁団体ではなく、有志で集まったメンバー約30人が震災後のボランティアやその後の餅つきなど活動を続けていた。なかなか引き継ぎ手がいない中、二世代目の第1号として萩原さんが加わり、現在は主導メンバー6人、さらに30人の出資者に支えられて活動している。青年会に入会した当初、萩原さんが意識したのが生き物の世界で学んだ“関わりしろ”を作ること。先代の方たちが急に役割や居場所が奪われたと感じないよう、細々した仕事でもとにかく関わってもらう。そうすることで、世代交代もスムーズに進んでいった。

地域活動を引き継いでいく中で目指したのは、かつてグアテマラで感じたようなどんな些細なことでも楽しんで、笑っている地区。モノがあるから楽しいのではなく、元々ある資源、街に眠っているものを掘り起こしていかに楽しみに変えていくか。まさにその理想をカタチにできた取り組みのひとつが、借り物と持ち寄りだけで楽しむ「0円盆踊り」だった。

閑話~off-topic~
自分のアイデンティティを感じる場所「摩耶山」

神戸の街並みを一望できる摩耶山。大人になってからも昆虫ガイドをしたり、家族と一緒に登ったりとずっと人生とともにある場所

保育園から始まり、小中高校まで全ての園歌・校歌の歌詞に登場するほど、ずっと身近にあった存在です。中高の陸上部では摩耶山に登ったり、マラソンしたり。毎年初日の入りを見にいくのですが、今年はインフルで断念しました(涙)。移住先の北区から摩耶山に抜ける裏ルートを開拓中です!

さらに深掘り-Q&A-

――「0円盆踊り」を始めたきっかけを教えてください。

やぐらや提灯の必要性を考え直し、アップデートした0円盆踊り。参加者も運営側もなるべく負担をなくして長く続けることが1番の目標

昔は地域ごとに行われていた盆踊りが小学校単位で行われるようになって。そうすると、小学生と保護者は参加できるけど、地域のおじいちゃんやおばあちゃんが参加しにくくなったんです。だから、震災前まであった地域の盆踊りを復活させようと。そのとき、掲げたのが持続可能性をひたすら追求した盆踊りでした。
盆踊りを通した人と人との交流が目的だったので、いるものといらないものとを見直しました。例えば、提灯は新たに買わずに、防災用ランタンを活用することに。防災コミュニティに「ランタンがつくかどうか点検するので貸してください」とお願いして100個お借りして、地域の人たちから集めたイラストを彩って提灯代わりにしました。他にも、DJブースは地域のスタンドF M(音声配信アプリ)好きの方にお任せしたり、オープニングアクトもブレイキンが得意な人に当日の勧誘OKを条件に披露してもらったり。仲間のアイディアから、費用がかかる露店もやめて、飲食物は持ち寄りスタイルにしました。運営面も全ての地縁団体に声をかけさせてもらって。自治体のおじちゃんには警備をお願いしたら、自主的にビブスと赤い誘導棒まで持ってきてやってくださったんですよ(笑)。これも“関わりしろ”を意識したからなんです。より“参加した感”も持ってもらえたみたいです。最終的に、かかった費用は災害時の備蓄用にもなるランタンの単3電池代だけでした。

――地域活動の中での萩原さんの役割や、たくさんの人と関わる中でうまく進めるコツがあれば教えてください。

コーヒー豆の焙煎に使う炭を国産に切り替えるため、里山林で眠っている釜を修繕し復活させる取り組みも行う

2025年に家族で神戸市北区八多町へ移住したのですが、それまでは青年会の代表を務めていて、今はサポートとして地縁団体とのつなぎ役などを担っています。長年地域活動に携わっていて分かったことは、ボランティアは客観的に見ると一人ひとりがすごく自己主張してる場だなと。「自分はこれができるんだ、これで活躍するんだ」ということを表明して、自主的に動いてくださるんですよね。チームを運営する立場としては、参加メンバーそれぞれの特技に対して、こちらがどういうアプローチをしたら上手く回るのかをすごく学べます。

社内でも、社員のタスクへの取り組み方や社員同士のやり取りをよく観察していて。このペアでやるとこんなことができそうやなとか気づいたことを記録してます。こちらが一方的に見てるだけじゃなくて、社員自ら特技や好きなことをアピールできる『あとからJOB認定制度』という仕組みも作りました。社内のチャットツールの名前の横に、キャッチコピーをつけてもらうんです。“切込隊長”とか“何でも聞きます係”とか。何か仕事をお願いしたり、チームを組むときにそれぞれの役割を尊重し合うと、スムーズに物事が進んでいくんですよね。これは地域活動をやっていたからこそ気づけたことで、生物によって分解できるものとできないものが違うし、アプローチの仕方もそれぞれという「生態学」的な視点を経営にも活かせるようになっていきました。

――萩原珈琲でも、地域に密着した取り組みをいろいろとされてますよね。

箱の裏には国旗が描かれていて、その国の豆をブレンド。配合も味も子どもたち次第!という、遊び心あふれた試み

まさに “切込隊長”が提案してくれたんですが、ハロウィンの時期には子どものいたずら心をブレンドコーヒーで表現しようと「ハロウィン・ビーン・バッグトス」をやりました。
本社の前を通る小学生たちに、ハロウィンキャラクターのついた4つの箱に玉入れしてもらって、入った玉の割合によって4種類の豆のブレンドコーヒーを作ったんです。実際にそのコーヒーが全国のどこで飲まれているのかマップを作って見せたりもして。子どもたちは自分たちも一緒に作った気になれるし、萩原珈琲に関わってもらうことで、ちょっとでもこの街おもしろいなとか誇らしいなとか思ってもらえたらいいなと。

喫茶店を地域の小学生の宿題スペースとして開放する「放課後アワー」も始めました。きっかけは、本社のすぐ近くにあった「まるも珈琲店」が閉店すると聞いて、引き継いだこと。震災1年前から30年以上にわたって街の目印だった場所がなくなるのが名残り惜しくて、「萩原珈琲店 まるもの“あし跡”」として続けることにしました。

勉強中の子どもたちを見守る“おやじ”。受け入れているのは地元の子どもたちだけだが「これをモデルケースに他地域へも応用してもらえたら」と萩原さんは話す

「放課後アワー」には目的が3つあって。まず、所得格差なく子どもたちに勉強できる場所を作ること。家だと集中できなくても、喫茶店だと集中できたりしますよね。宿題が終わったら、1品注文できるご褒美付きです(笑)。それがモチベーションになるならいいかなと。子どもたちが来る時間帯は、60代以上の地域の方を雇用して“おやじ”と“おかん”として見守ってもらってます。学童や公園に居場所がない子どもたちと家に引きこもりがちな高齢者、どちらの孤独も防ぐのも目的の一つです。店内には一般のお客様もいるので、騒がしくしたり、食べ方のマナーが悪いとちゃんと“おやじ”と“おかん”に注意してもらいます。今は中学3年生まで利用可にしてるんですが、ゆくゆくは子どもたちが高校生以降、困ったり悩んだりしたときの拠り所になるのが3つ目の目的です。身近に頼れる人がいないけど誰かに相談したいってときに、宿題していた喫茶店なら駆け込めそうかなって。まだ見えていない結果ですが。私は珈琲屋が軸ですが、ちょっとした遊びを考えるのが好きなので、新しい喫茶店の利用の仕方は今後も提案していきたいですね。

――移住先の北区では、醤油蔵を取得してリノベーションしているとか。

50年以上使われていなかった醤油蔵。20個残っていた巨大な樽は解体されるが、“材”として新しい施設でも活躍する予定

実は八多町には縁もゆかりもなかったんですが、夫婦ともに大学4年間を中山間地域で過ごしていて、またいつか同じような環境に住みたいと思ったことと、災害に備えて焙煎工場の機械を一部山側にも退避させておきたかった。

それで、行政の方に相談しながら移住先を探す中で、八多町に何年も使われていない醤油蔵があると聞いて興味を持ちました。市街化調整区域なので、建て直しはできない、工場化できないと制約も多い。個人規模ではなかなか難しいし、だからこそチャレンジしがいがあるなと。醤油蔵をカフェにリノベーションしながら、そこを拠点に増えていく耕作放棄地の活用やコミュニティバスの利用促進など、何かできることがあるんじゃないかと取得を決めました。

移住が難しい地区でも耕作放棄地を減らすことのできる農業のカタチを模索中

農地を買ったり、借りたりできるようになれば可能性も広がるかなと、夫婦で2年かけて農業資格を取得しているところです。例えば、今考えているのが田んぼ一反を10人の人にレンタルして、稲作体験と収穫したお米40kgがついてくる仕組み。アプリで稲作の作業やスケジュールを可視化して、耕して田植えするところから収穫、精米まで作業ごとに参加できる人を募るんです。移住者を増やすのが難しくても、作業のタイミングだけ来てもらう仕組みは作れそうだし、耕作放棄地を減らすことにもつながるんじゃないかなと。リノベーション施設の1階はカフェですが、2階はコミュニティスペース、倉庫では周辺の農家さんと一緒にマーケットも開きたいと思ってるので、地区内外に関わらず人と人の交流や農業の新しい取り組みを試す場にも使ってもらいたいです。

――移住先の八多町の方々の反応はどうですか?

まずは八多町のことをもっと知ろう!とウォーキングイベントを開催

移住先の地区で商業を始めるためには、「里づくり協議会」の承認が必要で、4回の集会を開いて賛同をいただく必要がありました。着工の1年半くらい前から、妻と地域の方にご挨拶と事前の説明を重ねてきました。今はすごく応援してくださってると思います。お花農家さんとは、コーヒーとケーキにお花2輪摘めますってセットを作ったらどうかなと話していて。体験という付加価値をつけることでこれまでより高く売れたり、茎の長さが足りずに出荷できないお花も喜んで摘んでもらえたり。価値のギャップみたいなものもうまく活用できないかなと思っています。

2026年春の開業に向けてリノベーション中の醤油蔵。「カフェをきっかけに地区内外の人の交流を生んでいきたい」と萩原さん

リノベーション中の施設も、いかに地域の人に親しみを持ってもらう施設にするかに重きを置いています。醤油蔵の改装前には、地元の方を招いて見学会を開きました。使われなくなって54年が経っているので、初めて足を踏み入れる人もいましたし、昔を知っている人の話が聞けたのもよかったですね。
先日は、私たちも八多町のことをもっと知りたいと思って「八多“超”クエスト」というイベントを開催しました。八多町の北から南まで10kmをウォーキングしながら、北部・中部・南部のそれぞれの街の人に話を聞いて歴史や特色を知っていくというもの。1歳〜77歳まで約40人が参加してくださって、地元の人も一緒に楽しみました。今後は、3地区のイメージをコーヒーの味に表現したオリジナルブレンドを作ったり、4月には壁塗り大会も予定しています。やっぱりここでも“関わりしろ”が重要だと思っていて。いきなり施設ができて外部からの人で溢れるというのではなくて、地元の方と一緒に作って混ざれる施設にしたいんです。

――自分のスタイルで進めてきた地域活動に対して、四代目として経営を引き継いだ会社ではまた違った苦労があったかと思います。

自社運営のカフェや喫茶店のほか、全国約1000店舗に卸されている萩原珈琲のコーヒー豆。鮮度にこだわり、ほとんどの豆が焙煎から24時間以内に出荷される

32歳で経営に関わったときから、会社を拡大するというより、炭火焙煎という伝統文化を残している規模でやっていくと明言していました。先代とは、目指す方向は一緒だけど、やり方が違ったので、一時は管理職から「社員の気持ちが離れていきます」なんて言われたこともありました。減収増益を掲げて経費圧縮や効率化を図る中で、適応する人は残ってくれる。これも生態学的に見ると自然淘汰かなと思ってました。
今は、社員の労働を可視化する“業務パズル”という取り組みをしています。一人8時間の労働を30くらいのピースに細分化するんです。例えば、社員が一人やめたときもその業務パズルをみんなで取り合って、補充するかどうかを判断してもらっています。他にも、労働生産指数やキャッシュフロー通帳も公開して、自分の働きや会社の業績を見える化しています。ここには学生時代に学んだ統計学を活用していて。まさか、蛾の成長速度や卵の数を評価するための統計学が経営にも活きるなんて、当初は思いもしませんでした。

――会社を継いだ当時は一見無関係だと思っていた、生態学や統計学と経営が結びついたんですね。

創業以来守り続ける炭火焙煎の技術。社内で選ばれた3名の「焙煎士」がつきっきりでベストな焙煎を行う

経営セミナーなどで経営や経済の話を聞いて難しくて理解できないときに、自分がわかる虫や自然に置き換えるようになりました。イノベーションってよく聞くけど、自然界で考えると突然変異なのか進化なのか退化なのか、はたまた外来種が入ってきたと捉えるのか。集団の中に全く違う考えの人が現れたときもハチを思い浮かべたりして。オオスズメバチに対して、ニホンミツバチだと防衛本能が備わってるから、集団で発熱して熱中症にして倒すことができるけど、セイヨウミツバチは外来種なので防衛本能がなくやられ続けるしかない。相手や自分の立場をどのハチと捉えるかで、集団で取り囲んで仲間にしてしまうのか、こちらが新たな防衛能力を身につける必要があるのか、そんなふうに対処法を考えたりしています。

――今後、取り組んでいきたいことはありますか?

自ら山に入り、林業の方と協力して炭作りを進めている。県内では丹波篠山市で取り組みを始めたところ

あと3年で創業100年。炭火焙煎の先駆者とも言われているので、その文化を絶やさないことがゴールではありますね。父の代では一部海外産の炭を使っていたのですが、私の代で国産に切り替えました。生物多様性の保全の観点から、森林の有効な伐採は必要だと思ったのがきっかけです。冬でも葉が落ちない常緑樹は硬くて加工には向いてないんですが、珈琲を焼く炭には適していることが分かって。2019年ごろから和歌山や鳥取の林業の現場や製材所を周り、里山林で眠っている釜を修繕していただいて、炭作りを再開してもらう取り組みを始めました。今後は、兵庫県産の木材も使っていきたいのですが、元々炭作りをしていた方が少なくて……。今はまだ小さな規模で動き始めたところなので、ゆくゆくは大きな展開にできたらいいなと行政や林業関係の方と情報交換をしているところです。

珈琲屋という商業を通じて自然や地域の課題を収益化しながら解決していく。そこを目標に掲げるというより、やりたいことをやって結果的につながったらいいなと思ってます。

“関わりしろ”を増やし続けた先に

6人の子どもの父親でもある萩原さん。今春大学生になる長男には「お父さんがいろんなことに手を出しすぎていて、継ぎたくない」と言われているが、その勢いはまだまだ止まることがなさそう

老舗珈琲会社の跡継ぎとして生まれた宿命に、持って生まれた防衛反応で抗い続け、生態学に没頭した学生時代。一度は本気で自由を求めた萩原さんを思いとどまらせたのは、図らずも生態学を学ぶうちに感じた「継ぐ」ことの意義だった。経営や商学を学んでいない代わりに、生き物を観察し続けて得たそれぞれの役割や特技を見抜く力を活かして、その場にいる人たちがハマる “関わりしろ”を作り続けている。そこには決して義務感や強制力はなく、ついつい関わりたくなるような遊び心や仕掛けが用意されているのも、喜びの閾値を悟った萩原さんならではだ。農業やまちの過疎化、里山林……と取り組むフィールドは広がっているが、何より萩原さん自身のどんなことも面白がる姿こそが、人やまちが「関わりたくなる」理由なのかもしれない。

閑話~off-topic~
「私のひょうご飯」かつライス

ごはんの上に牛カツと茹でたキャベツをのせてデミグラスソースをかけた萩原家の伝統の味

「加古川のソウルフードなんですが、先祖が播州から移住してきたのもあって、毎年最終営業日の12月30日は会社で作って社員に振る舞う風習があります。もう50年以上も続いていて、昔は社員も多かったので近所の人にも手伝ってもらってましたね。年越しそばじゃなくて、かつライスを食べないと1年が締まらないですね。」

「欠かせないしごと道具」色鉛筆や色ペン

リュックのポケットに入るコンパクトサイズの色鉛筆がマイ定番。イラストに描いた新メニューは、みなとじま喫茶室で提供予定

「いろんなアイディアをまず手描きから始めるタイプで。なんでも色鉛筆や色ペンで色分けして整理するんです。工場周りの草刈りの負担を減らすために作業工程を整理したり、喫茶室で出すランチの新メニューをイラストに描いて提案したり。デジタルだと覚えられないし、ファイルを大事にしない気がしてずっと手描き派です。ノートもその時必要なことをまとめたルーズリーフや企画用のジャポニカ、人に指示したことをメモしておく用…と使い分けてます。」

萩原さんのライフチャート

「経営面でのテコ入れや事業整理を進めたのに、なかなか結果が見えない期間は辛かったですね。自社努力で内部コストを抑えていたのですが、物価上昇に追いつけなくて。鮮度にこだわって99%のコーヒー豆を24時間以内に手作業で発送しているのに、気づいたら大量生産のコーヒー豆と同じ値段になっていたことも。そこから価格転嫁をして、力を入れてきたSNSや自社メディア経由でお問い合わせも増えてきたので、ようやく施策がハマってきたなと感じています」

取材・文:武藤友美子

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