尼崎で育った河口紅さんは、結婚を機に芦屋で暮らし始めた。大学卒業後就職した会社を5年で退職。実家の仕事を手伝った後、パソコンを習い、インストラクターとして活躍。情報教育の導入時期と重なったことから、教育現場での情報教育にかかわるうちに「教育に何かができるのではないか」と考えるようになり、NPO法人を立ち上げた。「子どもたちの笑顔のために」をモットーに様々な世代をつなぎながら、芦屋のまちを楽しく元気にする取組みを展開している。
河口紅さんは、大学卒業後、就職情報誌などを発行していた(株)リクルートに就職。女性営業職として、女性ならではの視点を生かした提案を持ち味に、取引先からの信頼を得て活躍した。会社も仕事も大好きだったが、入社から5年後の平成3年に退職。リーダー的な立場となり、それまでとは異なる人間関係の中で、コミュニケーションをうまく取れなかった。河口さんには、このことが大きな挫折になり、仕事への情熱が失せ、数年間、実家の呉服店を手伝って過ごした。
挫折から立ち直るまで長い時間を要した河口さんは、平成11年からパソコンの勉強を始めた。「インストラクターとして自宅で教えるようになって、やっと仕事への情熱が戻ってきた」と言う。ちょうど高校で「情報」が必須教科になる頃と重なり、兵庫県教育委員会の情報教育指導員として、教育現場で教員へのパソコン指導をするようになった。
当時は学校で教えることはワードやエクセルなどの使い方がほとんどだが、本当に教えたかったことは“より良い学びの場を作り出すためのツールとしてパソコンを用いる”ことだった。「先生にちゃんと伝えなくては、子どもたちには伝わらない」と、指導に力を注いだ。
学校現場での経験から、先生たちと授業そのものを一緒に考えていくことがこれからは大事だと考えた河口さん。教員研修ができるよう勉強をし、平成12年から情報教育のコンサルティングとして活動を始めた。
この頃、アメリカの企業が社会貢献事業で開発した教員研修カリキュラムのトレーナーとして活動していた大脇巧己さんと出会う。自分たちの手で情報教育のカリキュラムを作りたいという考えが一致した2人は、一緒にNPOを立ち上げることになった。
河口さんたちは、学校現場で先生たちと一緒にカリキュラムを作る中で、教育には、学校の先生だけではなくもっといろんな人が関わっていくことが必要ではないかと考え、新しい学びの場を作ろうと、平成15年3月「さんぴぃす」を立ち上げた。学校・家庭でのコンピューターやインターネットの活用支援を本格化させ、さらに、「遊びと学びの場」をつくり、「学校」「地域(コミュニティ)」「家庭」といった子どもを取り巻く環境を、地域の人と一緒に活性化させるための活動を始める。
「さんぴぃす」という名前には、河口さんたちが大切にしたい夢と想いが込められている。PERSON(人)、 PASSION(情熱)、 PRESENT(贈り物)、SIMPLE(シンプル)、 SMILE (笑顔)、STATION(ステーション)。PとSから始まる3つずつのキーワードから命名された。
活動の場を芦屋に選んだのは、自宅が芦屋であるということだけでなく「まちのサイズが理想的」だったこともある。広いまちではないので活動しやすく、情報も伝わりやすい。加えてまちの知名度が高い。「芦屋で(全域で)やっている」と認識されることで、活動の場が関西に広がっていった。
様々な分野での講師として活躍する河口さん。最近ではSNS(ソーシャルネットワークサービス)についての講座が増えているという。SNSは便利なツールだが、目に見えない立場の相手の気持ちを推察することの重要性をしっかり認識して活用してほしい。特に子どもたちには、「書いたことは、消せない。写真は消えない。あなたの人生変わることがあるよ」と伝えている。
さんぴぃすでは、「学びの原点は遊び!」を合言葉に、子どもから大人まで、世代を超えた交流を育む取り組みを展開している。
芦屋の自然を守り、自然に学ぶ「アシレンジャー」は、小学生が芦屋川や六甲山で、自然観察や里山整備などの体験活動。捕まえた魚を食べたり、木の実を集めて発芽のさせ方を学ぶなど多彩なプログラムが組まれており、10月には川から海に移動するモズクガニの夜間観察会も行われる。月1回開催されるアシレンジャーの活動は、子どもたちはもちろん、一緒に活動する大人たちも心待ちにしている。また、アシレンジャーの活動範囲を市外にも拡大した「さんぴぃす冒険倶楽部(SAC)」では、親子クッキングや水族館お泊り体験などを実施。夏休みには琵琶湖キャンプと、神戸市北区で山遊びキャンプを開催。活動を通して子どもたちの笑顔が広がっている。
これらは、兵庫県立人と自然の博物館や芦屋市環境課、地域で活動する環境保全団体等とも協働している。「さんぴぃすが、たくさんの人たちが行き交い、帰り着き、旅立つ場である“STATION”のような存在でありたい」との思いから活動を続ける河口さんたちの取組は、子どもたちを笑顔にしながら、たくさんの人たちを結びつけている。
芦屋のお店は、高級なイメージが強く、市外から訪れる人も少なくない。特に若い世代の住民は、敷居が高いと感じたり、子ども連れはシャットアウトされるだろうと思い「住んでいるだけ」という人が少なくない。そこで、河口さんは、芦屋のまちを住みやすく、楽しめるまちにしたいと、様々な取組を展開している。
芦屋市から委託を受け、市と連携しながら、子育てしやすいまちづくりにするために“マップ”作りと“駅の設置”に取り組んだ。子ども連れのママたちの声を集めて作った「親子でお散歩マップ」は、市内の公園などを紹介するとともに、子育て支援情報も掲載し、ママたちの仲間づくりにも活用されている。さらに、外出先で授乳やおむつ替えスペースを提供する施設や店舗を「赤ちゃんの駅」として登録する仕組みをつくり、赤ちゃん連れで出かけやすいまちづくりにも貢献。登録にあたっては、子育て中のママたちがベビーカーを押しながら、自分たちの行きたいお店などをまわってお願いをした。現在、約150の「赤ちゃんの駅」が稼働している。
さんぴぃすの事務所がある芦屋市本通り商店会の事務局の仕事も担い、まちの活性化を進める河口さん。今年5月、さんぴぃすが実行委員会事務局となって実施した「芦屋バル」が開催された。「住み心地が良いだけでなく、楽しいまちと思ってほしい」と始めたバルは第6回を数え、新しく参加するお店も加わった。まち歩きを楽しむ人たちは年々増え、“芦屋の宴足”がまちに定着している。ここでは音楽イベント「アシオト」も開催。イベントに参加する若い人たちがまち歩きをするきっかけにもなっており、楽しむ人の年齢層の幅を広げた。このような取組みを通して「芦屋のまちが活気づき、まちの人たちが元気で笑顔になってほしい」と河口さんは願っている。
「おもしろきこともなき世を おもしろく」
河口さんの好きな高杉晋作の辞世の句だ。自分なりにどんな時であれ楽しみたいと言う。自分にとって不利であったり、苦手な事があるなど、どのような状態の時でも、いつかは笑顔になれる時が来る。
「苦しい時、辛い時は、今はドラマの第3章だと思うようにしている。第4章は『復活への道』なのだ」
自身が人間関係でダメージを受けた経験を生かしたいと、心理プロファイリングを活用したメンタルトレーニングについて研鑽を積み、講師の資格を取った。大学の教壇にも立つ河口さんは、学生たちに「自分と向かい合い、自分を好きになってほしいと」と伝えている。
苦しい時期を乗り越えたからこそ“出逢う人たちに笑顔でいてほしい”と願う気持ちをエネルギーに換えて、人生を楽しみ、楽しんでもらうためのプロジェクトを発信していく。