熊谷さんと、人と自然。流れる時間と、変わらない「想い」

すごいすと
2025/01/24
熊谷哲さん
(74)
兵庫県姫路市
NPO法人はりま里山研究所 理事長
個人紹介

熊谷哲(くまがいてつ)74歳。1950年兵庫県神戸市生まれ。理学博士。兵庫県立大学名誉教授。10年後の定年退職を見通して、2006年に里山保全活動を開始。2013年には「はりま里山研究所」として活動を本格化。里山保全を通じた地域活性化への取り組みが評価され、2016年に兵庫県功労者表彰(地域活動)を受賞。現在も「人が自然に親しみやすい場」として地域の人たちに里山を開放する。

はりま里山研究所では、子どもも大人も同じように楽しんでいた。穏やかな空気に包まれたこの場所を、20年近く守り続ける熊谷さん。前回の取材から約8年が経った現在の活動を追った。

取材・文:八木菜摘

相反する存在、「自然」「ガーデン」が共にある

熊谷さんが理事長を務める「はりま里山研究所」に到着してすぐ目に入ってきたのは、「熊谷ガーデン」の存在だ。ガーデニングが好きな妻の恵子さんが、自宅と里山の間に当たる場所に設置したのだそう。取材時は11月だったため、鮮やかに咲き誇る花々の様子は見られなかったが、花が満開になる春にはたくさんの人が訪れるとのこと。

秋の熊谷ガーデンの様子。毎年春と秋の2回、オープンガーデンを開催

あっちの山にある「緑」と、このガーデンにある「緑」。同じように見えるけれど、本当はかなり異質なんですよ。

熊谷さんは「自然」と「ガーデン」について語ってくれた。自生種と園芸種。これらは「自然に存在する植物」と「人が意図的に作り出した植物」であり、遺伝子的にも大きく異なる。「環境保全の観点では、近づけないほうがいい関係」としながら、あえてこの空間で両方を管理しているのだ。当然、生態系への悪影響を防ぐための配慮をした上で、うまく共生させているとのこと。では、なぜそうするに至ったのだろう。

里山というのは、そもそもが「人の手が入った自然」であって、本来の自然ではないんです。

人が生活を営むことは完全な自然の中では難しい。そこで生まれたのが里山という場所だ。人が木を切り薪を得て、山の水をもらう。すると自然は荒れることなく保たれ、生態系も豊かになる。そのようにして、人と自然は助け合ってきたのだ。しかし、文明が発展した現代、里山は「あまり必要のない存在」になってしまった。「時代から取り残されたものを守り続けるのは難しい」と熊谷さん。そこで「現代に合った新たな里山」を生み出そうと考えたのだ。ここでは、完全に人の世界であるガーデニングエリアを「熊谷ガーデン」とし、その先にある自然のエリアを「里山ガーデン」と名付けている。

「人と自然の共生」を具現化できないか、ということで「里山ガーデン」と呼んでいます。これがこの場所の一番大きなコンセプトですね。

「自然」と人の手による「ガーデン」をあえて共存させることで、人と自然の「距離感」を近づける。相反するふたつの緑の共生は、現代の人々が里山に足を踏み入れられるように架けられた橋のようだ。

肌寒い秋の日のもとに、ひっそりと咲くつるバラ
その日、熊谷ガーデンにはたくさんの虫たちが訪れていた

古いものは、また新しいものに

私の退職後も、学生たちはここに来て活動してました。でもやっぱり、コロナでいろんなことができなくなりましたね。

兵庫県立大学の学生による団体「木の子」が保全活動に参加し、学生たちの実践学習の場として活用されてきた。しかし、コロナ禍をきっかけに「木の子」は解散。学生の協力のもと建てられたツリーハウス「どんぐりのいえ」は、木造で風雨にさらされ耐久性が低いため、建設当初から10年後の解体を予定していたが、コロナの影響で延期に。そのため、解体は予定から2年後の2023年に行われた。

2023年6月に行われたツリーハウス「どんぐりのいえ」の解体では、12年前の建設に携わった卒業生と学生が交流し、活動が語り継がれた。中には子どもを連れてきた卒業生も

ここでは、解体したらそれで終わりではない。

古いものは、捨ててしまったりゴミにするのではなくて、もう一度使うんです。基本的に再利用の繰り返しですね。

何かをつくる時は、環境のことを考え、再利用を見越して設計する。解体されたツリーハウス「どんぐりのいえ」の廃材も、「どんぐりハウス」という新しい小屋に生まれ変わっていた。廃材を利用して作られたものにはもうひとつ、「こどものツリーハウス」があり、こちらは熊谷さんがひとりで造ったという。栗の木を中心にして建てられ、木製のテーブルなどの廃材が使われていた。

「こどものツリーハウス」には、熊谷さんの「仕掛け」が隠されている。子どもたちはまだ気づいていない様子
熊谷さんが設置した小さなテーブルに、誰かが栗を置いたようだ
「どんぐりハウス」には、子どもたちの絵が描かれていた。「里山へようこそ」「また来てね」「たのしいよ」などのメッセージも

この里山では、いたるところで「人工物」が見られる。自宅を建て替える時に不要になったオブジェ、どこからかもらってきたタイヤやロープといったものだ。様々な「不要になったもの」が、ここでもう一度「必要なもの」になる。廃材が散りばめられたこの空間で安心して楽しそうに過ごす人々を見ていると、熊谷さんの、人と自然の両方を思う気持ちが伝わってくる。

里山にある人工物には、とても大きなブランコも
廃材を利用して作られた遊具が楽しそうだ

里山を、もっとたくさんの人の場へ

まず木を切って明るくする。何もしてない山はとても暗いんですよ。だから明るさを抑えている常緑広葉樹をメインに整えました。そしたらスーっと明るくなるんです。子どもが遊ぶにしても、明るくないとダメなんでね。

陽の光が差し込む里山の様子。気温は低いはずなのに、なんとなく体が暖かくなるのを感じた

里山保全活動を始めた頃は、「学生の学習の場と子どもの遊び場」としての里山を目指していたが、現在はそれに加えて新たな取り組みにもチャレンジしているという。学生の団体「木の子」が解散したことに加え、少子化や過疎化によって子どもたちの数も減っていることから、熊谷さんは「たぶんこのままでは、ここも必要とされなくなると思う」と語った。

必要とされなくなったら、維持することはない。けれど、一度活動が止まれば、再開にまた何年もかかってしまう。その時に、『やっぱり…』と思っても遅いですからね。

前回取材した2016年は熊谷さんが定年退職した年で、里山保全活動を始めてちょうど10年が経っていた。あれから約8年、”2度目の10年”を迎えようとする今、「また次(3度目)の10年計画を考えている」と話す。

最近では、障害のある方や就労支援施設の方も来られたりしていますね。この里山に来ることで、癒やされたり、何かを感じてもらえたらいいなと思っています。

現在は子どもや学生だけでなく、もっといろいろな人に過ごしてもらえるよう、様々な活動を取り入れている。「今は親世代でも自然体験をしていない人が多いですからね。そういった意味で、ここでは子どもも大人も一緒」と語る熊谷さんは、ボランティアの人が子どもと交流したり、イベントスペースにも使える場としての里山づくりを行う。取材に訪れた日は、音楽イベントが開催されていて、わいわいと楽しむ人々の声が優しく響いていた。

熊谷ガーデンと里山ガーデンの間のスペースで、イベントを楽しむ人々の様子

「手柄ザクラ」と「モリアオガエル」が教えてくれること

ここ数年の新たな取り組みに、「手柄ザクラ」がある。手柄ザクラとは、1996年に姫路市の「手柄山」で発見された桜で、2021年5月に新しい園芸品種として正式に登録された。

手柄山にたった1本原木がある「手柄ザクラ」。10枚前後ある花びらが、二重に重なって咲くのが特徴

手柄ザクラは自然にできた品種。けれど、突然変異で生まれた全く新しいものなので、「園芸的」でもある。手柄ザクラは、「自然」と「人工」の中間にある存在ですね。私はこれを、播磨全体のまちづくりのシンボルとして、まちの誇りにしたいと思っています。

手柄山は、もともと自生種のカスミザクラが豊かに育つ雑木林だったが、都市開発により自生種は失われていった。そんな手柄山で発見された一本の手柄ザクラは、自治会やNPO、行政など多くの人々によって守られている。貴重な原木からの挿し木で移植した手柄ザクラが見られるのは、現在は市の所有地に限られているが、熊谷さんは手柄ザクラのPR活動に取り組み、2021年4月に手柄ザクラをテーマにした絵本と歌の制作にも携わった。

タイトルの「とくべつなさくら」というのが、手柄ザクラのこと。絵本には点字版も

里山というのは非常にふわっとした言葉ですね。私は里山を定義する時にいつも困ります。だからこそ、江戸時代や戦前ごろまであった本来の里山とは違う、現代のわれわれの生活の中で自然と折り合いをつけた「新たな里山」をここで作っているんです。

里山が失われつつある中で、活動の形を変化させながら、人と自然が関わり合える場を提供し続ける熊谷さん。「親しみやすい場」をつくることで人が集い、「環境を想った活動」を絶やさないことで自然は守られている。

人と自然のつながりの具体的な例としては、前回記事でも紹介されていた「モリアオガエルの産卵」がある。熊谷さんが池を整える作業を毎年欠かさず行うことで、産卵が最初に確認されてから今まで、10年以上も途切れたことがないという。

人間関係でも、どちらかが寄り添えば、もう一方も寄り添うことがある。それが難しい時ももちろんあるが、少なくとも片方が歩み寄らなければ何も始まらない事が多い。それはもしかすると、人と自然においても同じことなのかもしれない。
その日のはりま里山研究所では、熊谷さんがつくるあたたかな空間の中で、生き物たちが穏やかに過ごしていた。

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