兵庫県加西市の中心部から北東の丘陵地帯に宇仁(うに)地区はある。
田園風景が広がるこの地域で統廃合が検討されていた小学校を、地域ぐるみで存続させた活動がある。
中心人物のおひとりである宇仁郷(うにごう)まちづくり協議会の会長、丸岡肇さんにお話を伺った。
約460戸、約2,000人が暮らす宇仁地区。宇仁郷まちづくり協議会の活動は、地域の小学校の危機をきっかけにして始まった。
今をさかのぼること17年、老朽化した小学校校舎の建て替えを市に要望するため、住民たちによって「宇仁小学校建設期成同盟」が結成された。しかし市側はむしろ児童数が減少しているという現状を問題とし、やがて「改築どころか小学校そのものが失われかねない統廃合の検討が開始されてしまった」。地域の核である小学校がなくなるという最悪の事態に、これをなんとか阻止したいと住民たちは嘆願活動を開始。「ただ加西市全体が財政難ということもあって、請願や嘆願といった運動だけでは小学校存続は難しいと言われた」と丸岡さんは当時を振り返る。
宇仁小学校建設期成同盟の3代目会長への就任を求められた丸岡さん。今の活動のままではこれ以上事が動かないと考え、「そもそも地域全体で人口流出を防ぐようなことをしていかなければならない。そのためにはまず地域の活性化が必要。地域活動を活発に進めていくという条件をのんでもらえるなら会長職を引き受ける」とまちづくり協議会の立ち上げを提案。活動内容やメンバーなどの検討から開始。主要活動を定め、活動ごとに部会を設定し、それぞれの部会長には住民が信頼を寄せる各町の区長経験者に協力を仰いだ。小学校を守るためなら、と快諾した7名が部会長や部会を支える事務局となり「宇仁郷まちづくり協議会」を設立した。「小学校のために立ち上がった宇仁七人衆ですよ」と丸岡さんは顔をほころばせる。
こうして、長年継続してきた宇仁小学校建設期成同盟による請願活動に、まちづくり協議会の地域活性化活動も加わることとなった。
協議会設立後は小学校を存続させるためにふさわしい、子どもを安心して産み育てられる地域にすべく活動が進められてきた。
宇仁で育った丸岡さんは両親や近所の人に育てられた宇仁での思い出や、自分はひとりで大きくなったのではないという思いが、何よりも人生で苦しい時の支えになったのだと語る。そうした思いもあり、現在の宇仁においても地域で子どもを見守り育てるよう、子どもたちの祖父母世代にあたる人たちが、子どもとその親をサポートする仕掛けがうまれた。
例えば共働き世帯のために行われている小学校下校後の学童保育。保育園児や幼稚園児の預かり保育から始まったこの活動は、地域の中高年層が中心となってボランティアで運営されている。
また子育て中の母親がひとりで不安を抱えることなく、気軽に相談しあえる場を、と設けられた「宇仁子育てほっとトーク」。母親同士の交流スペースとして、地区のふれあい交流館で月1度2時間のペースで開催されている。託児や会場設営など、ここでも祖父母世代が積極的なサポーターとして活躍する。この事業を運営する繁田由美子さんは子育て中の世代。「子どもを見るお手伝いをしてくださったり、使わないおもちゃを集めたり、運営するための助成金集めまでどんなことでも協力してくださる心強いみなさんがいます」と話す。
また協議会ではそうした動きと並行し、実質的に児童数を増やすための取組みも進められた。
ひとつはUターンの斡旋。隣接する市に住む宇仁出身者20世帯を協議会関係者らが訪問。宇仁へのUターンを直接提案し、実際に8世帯が戻ってきたという。
また宇仁地区が市街化調整区域であることから、新規住民が住宅を建てられず、このままではIターンの妨げとなると考えた丸岡さん。県の特別指定区域制度を活用し、地区内一部のエリアを申請。平成23年「新規居住者の住宅区域」として、約40戸分の宅地が新規住民に開かれることになった。
もちろん新規住民や子育て世代だけを見据えた活動ではなく、宇仁産野菜の地産地消と中高年の生きがいふれあいを目指す「宇仁の朝市」や、季節の花でまち並みを彩る「宇仁の里花畑街道」など宇仁全体が元気になれる活動も進めてきた。
それまでは行政に対しての「訴えかけ」にとどまっていたところに、協議会のこのような戦略的な動きが加わることで、小学校統廃合のそもそもの原因である「児童数の減少」が地域で取り組むべき課題であると共有されるようになった。それにつれ住民自身の手で地域の価値を高める、様々な角度からの対策が形になっていった。そうして平成23年度には人口約1,800人の地区において、延べ約3,200人が運営に携わるほどの大きな活動となり、地区内外でその動きが見えるほどの厚みのあるものとなっていった。
その結果、設立から4年後の平成24年に宇仁小学校の存続と、さらには隣接する土地に移動しての新校舎建設が決定、協議会は当初の目的を果たすこととなった。
「小学校も新築され、活動自体も円熟期を迎えた。世代を超えた住民同士の絆はできた。ここからどうするか」初めは小学校を廃校から守ることだけを考えていたが、さらに地域の価値を高める活動を続けていかなければならないと丸岡さんは語る。
宇仁という地域の価値を再発見し、子どもたちや若い世代にとっても「誇りに思い、愛せるわがふるさと」にする活動を進めることで、彼らにとっても人生の拠り所となるような地域にしていきたいと、今後の展望を語る。
平成25年度中に予定されている新校舎完成後には、使命を終える旧校地を活用するユニークな構想も立ち上がっている。
ひとつは「宇仁スクールタウン」。元はグラウンドであった土地に公的住宅を建築し、小学生の子どもを持つ世帯へ住まいを提供するというものだ。
「実際に住んでもらうには、移住後の仕事なども考えなければならず、難しいことはわかっている。しかし、難しいからといって取り組まないわけにはいかない」と丸岡さんは話す。
もうひとつは旧校舎別棟の図書室を宇仁の歴史資料館とするという計画。
小学校存続運動にも象徴されるように、宇仁にも昔から暮らす住民が重んじる、地域に根付いたかけがえのない歴史があり、また歴史的価値が高いスポットも存在する。
代表的なものは地区の氏神さまがまつられる「八王子神社」。小学校を見守る高台にあり、創建970年と長い歴史を持つ神社だ。この八王子神社の表参道は、昭和34年に小学校の建て替えにより移動されたもの。今回の校舎移築で54年ぶりに当初の場所へ返還されることとなった。五穀豊穣の神様もまつられ、農業を営む人も多い宇仁地区の住民にとって心の拠り所であり、小学校と並び、地域の中心的な存在となっている。そんな神社の北、鏡山には古墳群や豊かな自然も見ることができる。
丸岡さんは、こうした地域の歴史や誇りをわかりやすく解説する資料館を作り、次世代へ語り継いでいくようなことも今後の宇仁にとっては不可欠であると考えている。
その他、宇仁地区にはゴルフ場やテニスコートといったリゾート施設もあり、訪れる観光客は年間4万人を超える。「今はゴルフ場の協力で、受付で宇仁の野菜を販売しているが、もっと観光客を地域に惹きつけられるような取り組みも行いたい」と丸岡さんは構想を膨らませる。
「住みにくい地域、魅力のない地域から人は出て行く。住みやすい仕組みと、住みたくなるまちを作っていくことで、まずは宇仁出身者のUターンや、近隣市住民のIターンが促される地域にしていきたい」と話す。
人生には年齢に応じた社会との関わり方があり、高齢者には老いの役割というものがあると丸岡さんは語る。「人生は5段の階段。1段目は0歳から20歳、育ちの期間。2段目は20歳から60歳、家庭を作り職業を通じて社会貢献をする期間。3段目は60歳から65歳、次のステージへの充電期間。4段目は65歳から80歳、第2の社会貢献ができる期間、5段目から先は人生の楽園です」。
丸岡さん自身は、都会に出てサラリーマン生活を送り、役員にまで上り詰める一方で「都会との二重生活」とたとえるほど、週末は頻繁に宇仁に帰っていた。定年を迎え、ふるさとに落ち着いた今も、現役として非常勤の取締役を務める。「人生で心の拠り所になるのはふるさと。自分を育んでくれた地域に、これまでの経験や能力を生かして恩返しができる期間だ」と、協議会の活動に熱を入れる。
自らの経験を活かし、ただアイデアを出すだけでなく、それらを実現することができる体制づくりを必ず一緒に進めてきた丸岡さん。協議会の運営にあたっては「実際に地域で機能する組織でなければならない」と自治会の長である区長たちと協議会の活動部会とが連携できる組織づくりを行い「中期計画ごとに整理し、目標を定める」と5カ年計画を制定するなど、明確な組織運営を進めている。こうして地域活動で自身の力を活かし、そこからまた新たな学びを得る。この繰り返しで人生の完成度を高めることができるのだと、4段目の今を話す。
ふるさとでの活動を進める上で丸岡さんは「枯れの大木であってはならない」という先輩からの戒めを心に留めているという。どれほど偉くなっても肩書きや看板だけを掲げてふるさとで何もしないようでは意味がないと語る。
「自分がひとりで大きくなったのではない。宇仁のためにという思いを持って、やってきた」と語る丸岡さん。自身や心強い仲間が、それぞれに強い思いを持ち活動を継続することで、愛するふるさとに貢献できたと語る。
座右の銘は「継続は力なり」。
次の世代へも、バトンをつなぎたいと活動を続ける。