「私、震災前の自分を思い出せないんです。私の人格形成は、震災から5年後の47才から始まったと思ってます。それくらい長田の町には、お世話になってるんです。」
そう語る森崎さんが、長田のまちづくりに取組むことになったきっかけ。それは平成7年1月17日の阪神・淡路大震災にさかのぼる。震災当日、シンガポールに滞在中の知人がかけてきた一本の電話だった。
「家族や友人の様子を見て来てほしい。」
翌日森崎さんは、当時避難所になっていたJR西日本鷹取工場(*)へ出かけていった。
「向かう途中に目にしたのは、何にもなくなった町やったんです。駄菓子屋、たばこ屋、酒屋……小さい頃、よく通ってた思い出が一瞬のうちになくなってました。もう、どうしようってしゃがみ込みそうになった時、『もう一回、つくったらええやないか』ってふと思ったんです。人間って気持ちが落ちかけた時は、その反作用で上を向くんですね。思わず口に出して言ってました。『まちづくりする!』って。」
ここから森崎さんの奮闘が始まった。
震災以来、森崎さんは街の集まりに顔を出し始めた。出会う人、出会う人に名刺を配り「何かないですか?」と声をかけ続ける。そこで森崎さんは地元FM局「FMわぃわぃ(*)」と出会い、交通情報の提供で復興支援に参加。さらに平成11年には、7つの商店街が力を合わせた復興イベント「復興大バザール」で乗り合いバスを走らせた。
「用意するものなんて何にもいらん。そのままでできる!」
ありものでできる、まちづくりの手ごたえをつかんだのだ。
「長田を観光の町にしよう!」
森崎さんは商店街の会合で、そう言い続けたという。
「震災から5年、長田の町は視察団の受け入れで疲れてきてたんです。だったら視察団を観光団にしようって。」
「何もない所へ、何を見に来るんや」とあきらめていた商店街の人々に、森崎さんは訴えた。
「あなた方の目の光を見に来るんです。5年間の頑張りを見に来るんです。それが観光名所です。それが観光資源ですよ。ここでしか語れないものがありますよね。震災の体験を通して、伝えないといけないことがあるんじゃないんですか。」
その時、声があがった。「ぼくはええと思う」「そうや!」「やってみよか」
いつしか全員の手が挙がっていた。こうして長田は観光の町へと動き出し、最初の取組みとして修学旅行生の受け入れがスタートしたのだった。
森崎さんには、忘れられないシーンがある。それは、受け入れを始めて間もない頃、修学旅行でやって来た中学生が質問した時のことだった。
「お客さんが来ないのに、どうして店を開いてるんですか?」
質問を受けた店主は一瞬答に詰まったが、次の瞬間こう語り始めた。
「人間、金もうけだけで生きてないねん。あの時からこの町は、みんなで手を携えてつながってる。その実感が、おっちゃんを生かしてくれてるんや。みんなで手をつなぐことが大切やった。それで生き残って来た。みんなが商売してるのに、自分だけ店を閉められへん。
君らもみんなで相談しいや。声を掛け合いや。今日は、手を握り合うってことを覚えて帰ってな。結婚して子供ができたら、ここに戻って来て。おっちゃん、それまで頑張るから。それまで店をやり続けるで!」
「『お客も来うへんし、イベントしても身内ばっかりや。そろそろ閉め頃かなあ。疲れたなあ』って、前日こぼしてた人々が、翌日には商売を続けるって宣言したんです。実は、提供する側のモチベーションを上げていたんです。人との関係づくりが、まちづくりなんですよ。」
震災の町から観光の町へ、さらに「ぼっかけカレー」の商品開発で食の町へ。長田は震災の町を卒業した。人の手間も、費用もかけない。手を伸ばせばそこにあるものばかりを使うことを提案する。
「自分には何もないというのは思いこみです。思いを探ればすごくいいものが見えてくるのに、みんな気が付いていないんです。私はアイデアマンやと言われますが、アイデアはその人自身の中にあるんです。資源は自分の周囲50センチにあるんですよ。」
そしてもう一つ、大切なこと。それは「『できる!』と言い続けることです。」
出会って、つながって、広がって、また出会って……。こんなリズムが響く町、それが長田だという森崎さん。
「まちづくりは、人もうけです。人と出会う、つながる、そのつながりが広がっていく。広がることを目的にした人もうけほど、価値のあるものはありませんね。」
地域の人たちとつながれたこと、人もうけができたことが資産。いろいろな人とのつながりが生まれるまちづくりには、損することも失敗もなく、必ず果実が残るという。
「震災前までは、自分がまちづくりに関わるなんて思ってもみませんでした。あの日、何万人もの人が『どうしよう』ってしゃがみ込みそうになって、私と同じ思いになったはずなんです。その中で、町というステージでスポットライトを当ててもらい、『森崎やれ! やれ!』と言ってもらった。そんな人たちのおかげで、まちづくりにかかわらせてもらえました。私自身が、いっぱい支えてもらったんです。商店街の人たちには感謝しかありません。」
タクシー業への転職直後、森崎さんは「もっと違う場がある、もっと何かやれる」と夢より不満でいっぱいだったという。しかし長田復興のまちづくりにかかわったことで、その仕組みがアイデア観光タクシーという自社の企画にまで広がった。
「タクシーはただの移動手段じゃありません。本業はつなぐことです。いいもの、楽しいもの、おいしいもの、町の価値、商店の人、お客さん、タクシーとしての自分たちの価値、それら『ありもの』を使ってつなぐんです。まちづくりと同じなんですよ。」
まちづくりに出会ったおかげで、自分自身の年表さえも作り替えた森崎さん。人を運ぶタクシーから、町とつながるタクシーへ。森崎さんの思いは、次のまちづくりへ広がっている。