標高約350メートルに位置し、久斗川最上流で浜坂の中心市街地まで約15キロの山間集落。
一般県道山田浜坂線沿いを中心に民家が点在し、久斗山、中小屋、池ヶ平、本谷地区の4つの集落を形成している。
江戸時代は“たたら製鉄”が盛んに行われていた地域で本谷焼尾製鉄遺跡が発見されている。
中村さんは、久斗山区長を約10年間勤めた後、地域資源を活かした農産品加工と販売を行う久斗山農産加工組合を立ち上げ、「都市と農村の交流」と「特産品販売」を通して、元気な久斗山を発信しよう!と最前線を走り回っている一人。
平成27年9月には、農産加工に地域の女性の視点やアイデアを積極的に生かした取り組みを展開していることが評価され、近畿農政局男女共同参画優良事例表彰の社会参画部門優秀賞を受賞した。
中村寿弘さんは、久斗山生まれ久斗山育ち。生粋の久斗山っ子だ。
中村さんが小学生のころは、約80世帯がありそのほとんどが林業を中心に生計を立てていた。
兵庫県立農業実践研修所(現兵庫県立農業大学校)卒業後に久斗山に戻った中村さんは、農業をしながら重機のオペレータとして建設会社で約7年間勤めた後、旧浜坂町役場に入庁した。
旧浜坂町役場では、総務課、教育委員会などで約30年勤務した。
役場の仕事で地域づくりに関する経験があったこともあり、平成9年から区長として久斗山の地域づくりに関わることとなった。
若者や子育て世代が集落を離れ、活力が無くなりつつある集落を、「何とか元気にしていきたい」という思いで始めたのが「都市と農村の交流」だった。
平成20年には、県内都市部の青年を17名程度受け入れ、地域課題を見つけたり共同作業を行う「ふるさと青年協力隊」を活用するなどして都市との交流を開始した。
その他にも、平成2年の台風災害では、神戸市を拠点に活動する住民ボランティア「ブナを植える会」と住民が一緒になって、創造の森広場周辺の遊歩道沿い約五千平方メートルに、約千五百本のブナを植樹した。
「久斗山はなーんもないんです。それが、えーと言ってくれる人もおる。そんな人に元気な久斗山を伝えて行けたら」と、交流を進めるうちに想いが深まってきた中村さんは、久斗山に来てくださった方々と交流を継続的に深めようと、平成10年から年に一度の交流祭りを企画。
現在では「創造の森祭り」として毎年一回6月に開催し、今年で第16回目を迎える恒例イベントとなっている。
平成15年、集落では大きな転機を迎えることとなった。それは、「久斗山小学校」の廃校だ。中村さんが在学していた当時は、同級生が29人で全校生徒は100人を超える規模だったそうだ。
100年以上続く心の拠り所となっていた小学校の廃校により、“これから集落はどうなっていくのだろうか”と、地域住民の間に大きな不安が押し寄せた。
中村さんは区長として、小学校の存続を訴える住民と、廃校を契機に子どもたちをより良い環境で学ばせたいという住民の意見を取りまとめる大仕事となった。
住民同士で顔を合わせて話し合う機会を持ち、「これからの村づくりをどうするのか」を投げかけていった。何度も何度も話し合いを重ねる中で住民の中から「廃校にするなら小学校跡地を久斗山の将来のために使いたい」という意見が出てきた。
「久斗山は栃の実や山菜などの自然食材の宝庫だ。今までは業者に売っていたものを、自分たちで加工して売ってはどうだろうか。その加工場として小学校を使えないか」といったものだった。
ごく当たり前の日常生活の中にヒントがあった。
しかしながら、中村さんは「まったく経験も無いのに本当に加工品は売れるのだろうか」という将来の不安と戦いながらも組合設立に向けて奔走し始めた。新温泉農業改良普及センターの研修や指導も受け、元気な久斗山を創るための「久斗山農産加工組合」立ち上げに向けて、大きく舵を切ることとなった。
久斗山農産加工組合の立ち上げ準備を進めていた頃、県民交流広場事業のモデル事業を活用しないかと町役場から相談があった。小学校校舎を加工場に改修する費用や什器の資金繰りを検討していた状況もあり渡りに船だった。
中村さんは昼夜惜しまず、多方面に出向いて県民交流広場事業の先行事例となるように、久斗山農産加工組合の取り組みを様々な場所で講演した。
「この時の活動があったからこそ、様々な地域や自治体の方々とのつながりができたし、久斗山のことを知っていただく良いきっかけとなった。また、久斗山のことを伝えていくことで自分の自信にもつながっていった」と振り返る。
そして、平成16年8月に久斗山農産加工組合を設立。初代組合長に就任した。
設立から今年で12年。地域の支援の輪も広がり加工品販売も順調だ。
主力商品は、久斗山で採れた栃の実を使ったとち餅、この地域に昔から伝わるレシピで作った山菜の佃煮などだ。
栃の実や山菜などの素材を収穫してくれるおばあちゃん達は、商品が売れることがわかると「明日も採ってくるからね」とドンドンやる気を出してくれた。
とち餅製造の最盛期を迎える正月には約1トンを超える量を作る。そんなときは、婦人会や中高生の学生も入って地域総出で手伝っている。
また、郷土料理が得意な女性の技術に着目し、佃煮の製造は組合員の女性チームに製造を一任している。
販売先は、イナカフェ、元町マルシェ、道の駅など。
積極的にイベントなどでの販売も行っており、時には神戸や大阪まで車に商品を積み込んで、出向いている。
廃校となった小学校の跡地利用の一役を買った存在になりつつあるのではないかと、中村さんは考えている。
「あの時、加工組合を立ち上げなければ、小学校は閉まったままだろう。定期的に集まる場所にもならなかっただろう」と。
久斗山に住む住民みんなが、住んでよかったと思える集落にしていきたい。それが中村さんの願い。その想いで区長についた時から一息もつかず現在まで突っ走ってきた。
久斗山で唯一の専業農家で元気に育っている中学校1年生になる男の子も、この久斗山で農業をしながら暮らしていきたいと話している。中村さんの地域づくりは徐々に形になって現れ始めている。
中村さんの活動には、全て一貫していることがある。それは“心”だ。
人とのつながりや、活動への心遣いや心がある行動が必要。
真心を込めてとち餅を作る。買ってくれてありがとう。という気持ち。
そういった人たちの心に届くよう元気な村の姿を、これからも発信し続けたい。