「来年の春、この集会所をリニューアルして、お年寄りと子どものための食堂をオープンするんです。子どもがお年寄りから学ぶ、お年寄りが子どもから元気をもらう。食を通じた相乗効果に期待したい。」
開口一番、内田さんは楽しそうに話し始めた。
平成20年、内田さんが会長に就いた当時の猪名寺自治会は「地域が抱える課題に対し、みんなで協力して一つのことを成し遂げようという意識のない『親睦団体』だった」と振り返る。
「どうせやるなら夢のあるようなことをしよう! 『夢会議』をつくりませんか?」
この内田さんの投げかけをきっかけに、猪名寺は夢・目標・計画を持ったまちづくりに取り組むことになった。
内田さんの会長就任当時、JR猪名寺駅に、エレベーター設置を願う10年来の地域課題があった。車椅子で駅を利用する際、階段の上り下りを介助する駅員の人手が足りず、駅長も困っていたという。そこで内田さんは「全員で立ち上がろう」と声をかけ、1万人の署名活動をスタート。署名は1カ月で集まり、老人会から婦人会、子ども会、地元企業、猪名寺駅、さらには市や県まで一体となっての取り組みの結果、2年後の平成23年3月、猪名寺駅にエレベーターが設置された。
「国土交通大臣をはじめいろいろな方をお招きし、祝賀会を開きました。この地域は注目されているという意識を、住民みんなに持ってほしかったんです」と内田さん。エレベーター設置をきっかけに「やればできる」という雰囲気が猪名寺地域に生まれていった。
その後、地域住民自らの手で元気な地域をつくるための「猪名寺まちづくりステップ計画」を作成。様々な事業計画を実行に移し始めた内田さんだったが、「活動についていけない」と旧役員が突然の退陣。老人会や婦人会からも「やりすぎだ」と批判の声が上がり始めた。そんな周囲とのあつれきを、内田さんは何年もかけて一つ一つ乗り越えていった。
「家の前の犬の糞をなんとかして」「猫のおしっこをやめさせてほしい」「JR沿線の蚊が飛ぶ水路を消毒して」「工場からの煙で洗濯物が汚れて困る」。当時、アンケートをして住民から集まった要望は100以上。
「ほぼ8割を私たちで一つずつ解決しました。それが自治会への信頼を取り戻すことにつながっていったんです。小さな地域課題の解決という成功体験を積み重ねると、人がついてきてくれる。人がついてきたら、もっと大きなことができる。すると、もっとたくさんの人がついてくるんです。まちづくりは一気にはできません。
積み重ねの中で、皆が自治会活動に一生懸命取り組むように変わっていきました」と内田さんは語る。
さらに、いろいろな機会を捉えてまちづくりの構想を話して回った。
「老人会でも、猪名寺のまちづくりの話をすると喜ばれ、感謝されます。自治会が何を目指し、何をやろうとしているのかを絶えず伝え続けると、楽しみにしてくれるようになるんです。」
こうして少しずつ自治会の活動を広げていった内田さん。暗くてゴミだらけだった「佐僕丘(さぼくがおか)の森」を、住民100人で大掃除。歴史パネルの設置、万葉コンサートの開催や、平成27年からは猪名寺忍者学校を開校するなど、歴史的価値のある地域の拠点に整備した。平成28年6月には市制100周年事業として「万葉の里・石見神楽祭」を開催し、1,000人もの地域住民が参加する一大イベントとして成功させた。さらに平成29年11月には地元商店会と地域の連携をめざし、尼崎の伝統野菜である里芋を使った『里芋 地域コミュニティーバルin猪名寺』を開催。地域団体と商店が初めて一つになり成功を収めた。
「地域の繁栄のためには、一つ一つのイベントの成功を次へどうつなぎ発展させていくのか、常に考えておく必要があります」と話す内田さん。その背景には「強い地域づくり」への想いがあった。
自治会、企業、商店、学校、行政が結束し、3,000世帯が参加するまでになった猪名寺自治区。数々のイベント成功の勢いを受け、平成29年6月「園田北まちづくり協議会」を設立。「地域のことは地域で決める」「地域の課題は地域で解決する」「地域の人は地域で守る」をモットーに、買い物や送迎など、ちょっとした困りごとを地域で助け合う「園田北助け合いサポートネット」や、介護予防のための高齢者の居場所づくりをはじめとした「認知症地域支援プロジェクト」など、様々な事業を展開する強い地域づくりに取り組んでいる。
「各団体が好きなことをやっていたのでは、対応できないほどの超高齢化社会がやってくるんです。認知症になった当事者も、認知症患者を抱える家族も一緒になって支え合い、幸せに暮らせるコミュニティをつくっていくことが大切です。法律だけでは支えられない人がいっぱいできた時、地域で支えないでどうしますか?」
そうした協働の仕組みづくりに欠かせないのが、ビジネスとしての視点3つだと内田さんは言う。
これからのまちづくりに必要なビジネスの視点、その一つ目は自らの手で事業を起こし、地域ビジネスとしてサービスを提供する仕組みを導入すること。
「これからは、自治会も経営する時代です。まちづくりはボランティアだけではダメ。活動の中にコミュニティビジネスを取り入れたい」と話す。さらに、自治会の役員は地域住民から「ありがとう」と言われることが必要だと言う。
「感謝されるということは、役に立ったということ。まちづくりの原点は、人や地域の役に立つことです。『ありがとう』『よくなった』『あなたのおかげ』と言われて生まれた誇りと地域の雰囲気が、次に向かうモチベーションになるんです。」
そのために大切なのは二つ目の視点、後継者を育てること。
「時間をかけて若い人材を掘り起こし、若者が持つそれぞれのスキルを地域に生かせる仕組みをつくることが必要です。青年がコミュニティを支え、新しい事業を展開していく時代にならないと、これからのコミュニティは生きていけません」と語る。
そして三つ目、まちづくりに必要な知恵とヒントを蓄えておくこと。
「知恵やヒントを自分の思考につなぎ、想像に変えて実現する一連の作業が大切です。思いつきを蓄えておけば、いずれ行動に移すべき時期が巡ってくるものです。日ごろから考えておくことで、多様なまち、つまり暮らしやすく幸せなまちはつくれます。」
「『インサイド』とは、自分自身からの発信を意味します。失敗も成功も、すべて自分の責任だということで
す。」
自分が変わらなくては、他人は変わらない。自分の価値観が変わらなくては、他人の価値観も変わらない。自分の地域が変わらなくては、他の地域も変わらない。外の世界を変えようと思うなら、すべて自分の責任と自覚のもと、自分自身が成長し、人格を高め、変わっていくことが必要だと言う内田さん。
「外にあるものが変わることで自分が変わるのではなく、自分が変わることで外にあるものが変わっていくんです。すべては自分が変わること、そしてこの地域のまちづくりを成功させることです。この地域を確かな『まち』にしなければ、誰も見向きもしませんから。」
「夢会議をつくろう」と声をかけてから10年。
「死ぬまで楽しく、豊かに、幸せに暮らせる地域をどうつくるかを常に考えています。まだまだ地域活動に参加しない人もたくさんいる中で、できることを一つ一つ積み重ねながら、みんなに参加してもらえる自治会をつくっていきます。」